うらくつれづれ

折に触れて考えたこと ごまめの歯軋りですが

日本の宗教

2007-08-28 14:12:42 | 文化
2007/3/31(土) 午前 0:22

子供の頃、月に一度は町の「拝みや」に父親に連れられていった。「拝みや」とは後から習った言葉で、単にOOさんと呼んでいた。宗旨は真言宗で、般若心経を唱えた。時に護摩を焚いたり、大きな数珠を参加者でまわしたことも覚えている。普通の和室で天井にまで炎が上がる護摩は、子供心にも恐ろしいものであった。

しかし、ここに行く本来の目的は、「拝みや」さんの託宣を聞きにいくことであった。般若心経を唱えるうちに拝み屋さんが「神がかり」して、信者の祖霊に成り代わり、人生の悩みに対しての対処法を説くのである。父親は、名古屋の歴史ある門前通りで小売商をしていた。商売を含め生活の悩みは多かったと思う。父親は、実際の生活決定にこの託宣を大変参考にしていた。修行すると、自身も「神がかり」できると信じてもいた。

この託宣がもっとも盛んなのが沖縄です。ユタと呼ばれる人が、祖霊と交信し、様々な助言を与える。沖縄では、「医者半分,ユタ半分」と言われるほど日常生活に密着した存在です。ユタは、生まれつき霊力の高い女性が、あるとき霊に呼ばれユタとなることを命令されるという。これを拒めば死んでしまうともいわれる。

不思議なことに、本州の北端の恐山に、同じく口寄せをするイタコがいる。死者を呼び出し死者の気持ちを述べる。東北地方のあちこちから、人々は、死者との交流のため恐山に集まってくる。コは接尾辞だから、明らかにユタとイタコは同じ言葉です。東北には、縄文要素が強いことを考えれば、この信仰は、縄文まで遡るのかも知れない。

日本の南端と北端に同じ言葉で同じ信仰がある。しかし、ミッシング・リンクかと思われる中部のど真ん中にも、真言宗を装いながら、まったく同じ信仰が生きている。また、天理教など神道系の新興宗教も、神ががりした教祖が創始している。日本の宗教は、神道、仏教といわれますが、こうしてみると、日本の基層信仰は、祖霊シャーマニズムと言っていいのではないか。ユタの「神棚」には、神道、仏教、キリストが並んで飾ってあるところがあるともいう。これは、日本の宗教事情そのままです。

沖縄は日本文化の原風景をあきらかにするのに大変参考になります。沖縄文化は、弥生時代の日本にその源流をもっていると考えられます。仏教は本格的には浸透せず、仏教以前の信仰が支配的です。

その真髄は、祖先信仰です。海の彼方にニライカナイ(ニライとは根の方という意味。ニライカナイは日本では常世の国、根の国、高天原、竜宮に対応する。)という理想の世界があり、子供はそこから来、死者はそこに戻る。死者は、33年など一定の年回忌を終えると死者は鬼から神に昇華する。また、ニライカナイの祖霊は、清明祭、お盆には、この世を訪れ子孫に守護と豊穣をもたらす。お盆の後には、ウンガミ祭がお家庭には、仏教と無関係の位牌(トートーメ)があり、位牌そのものが崇拝対象です。

また、神社の相当するものとして各村の御嶽(ウタキ)があります。ウタキは、男子禁制の聖地で、村の女性神官であるノロが各種祭祀を執り行いました。社殿はありません。沖縄の伊勢神宮とも言うべきセーハー・ウタキを90年頃見学したことがあります。まさに、霊地という荘厳さが感じられる地でした。最近は世界遺産になって俗化したのではないかと危惧していますが。日本の神社も、三輪山や那智の滝のように社殿がないのが原型とされています。

神との仲介は女性の役目です。女性は男性に比し霊力(セジ)が高いとされました。「おなり信仰」というものがあります。姉妹の霊力により兄弟を守るというものです。例えば、漁師の安全をその姉妹が守っているというような話です。

琉球国王にも「おなり神」がいました。聞得大君(キコエオオキミ)といいます。制度発祥当初には,国王の任命行為をも行ったという。聞得大君は、階層制により全国のノロを支配し、祭政一致の王朝で権勢をふるった。ノロの役割は、豊穣を願い、災厄を払い、祖先を迎え、豊穣を祝う祭祀において神を憑依させる依代となることでしたが、政治力も強大でした。地域の裁判権を掌握していた例もあるという。。軍尼という言葉もあります。1500年、八重山のオヤケアカハチが反乱を起こした時には、王国軍は、祈祷をするノロを軍の先頭にし、反乱鎮圧にあたったという。ノロは戦闘にもまったく怯えることなく戦場に参加したという(この姿は、神功皇后の新羅征伐の姿を彷彿とさせる)。

日本の原信仰に関する最古の同時代文献は魏志倭人伝です。そこでは、卑弥呼は鬼道を事とした、とされる。鬼とは漢語で死者のこと。鬼籍に入るとは死ぬことです。鬼道とは、死者を呼び出し託宣をたれることで、卑弥呼は死者を呼び出す巫女だった。魏志にいう鬼道が、沖縄の信仰にぴったりはまることはあきらかでしょう。

現代では、お盆も先祖供養も仏教の儀式になってしまった。しかし、仏教からはこれらの儀礼を説明するのは困難です。毎日の仏壇礼拝も、仏壇を拝んでいるのでなく位牌をおがんでいるのであれば、これは仏教以前です。(逆にお正月は、神道の原型たる祖霊信仰を残しているといえる。なお、古代信仰では1月15日の満月の小正月こそが祖霊の訪問時期だという。)日本の歴史の中で、真に仏教哲学を信じたのは一部インテリに留まり、大多数の日本人は仏教の殻をかむった原神道を信じていたのでしょう。神仏習合教こそ日本の信仰です。そして、祖霊信仰を逆手にとった霊感商法詐欺が尽きないのもその信仰のせいでしょう。


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