うらくつれづれ

折に触れて考えたこと ごまめの歯軋りですが

福島原発事故とリーダーシップ

2011-03-19 17:33:09 | 政治・行政
今次震災に対し、アメリカでは暴動も起こさず対応する国民に対する驚きが報道されている。日本人に特有の「我慢の精神」によるのだそうだ。しかし、日本でも、一揆や米騒動はおきている。政権交代も怒りの発露だったろう。まだ、福島の事象は継続中の事態出はあるが、現在までの経過をみる限り、これは、東電社長と菅総理による人災だ。国民は、怒らなければならない。
福島原発事故は、非常電源の機能不全が大本の原因だ。このこと自体過去の経験を学習すれば、対応が可能のことだった。阪神淡路でも、非常時用の衛星通信回線は、非常用電源が機能せず無用の長物となった。非常用電源を含め全体のシステムを耐災仕様とするのは、重要インフラ防護の基本原則だ。それが、不備であったのは反省すべきであろう。
しかし、問題はそれではない。いかに、システム防護体制をとっても想定以上の事象は常に発生する。たとえば、津波に対して高さ50メートルの防潮堤をつくることは非現実的だ。津波危険地域では、住宅建設を高台のみに限定することの方がいいだろう。(ちなみに、被災地域の復興計画では、自治体が被災土地を買い上げ、大規模な高台宅地造成を行うべきだろう。日銀引き受けの国債発行で賄えば、デフレ脱却にも役立ち、買収資金は、被災者への資金援助ともなる。被災地では、津波に耐える鉄筋建物以外は建築させない。)
問題は、想定以上の事象が発生した時の危機管理だ。今回の事象は、ポンプを回し原子炉を冷却すれば回避できた。そのために必要なのはポンプとポンプを回す電源だ。震災発生後、東電は、事故の性格を把握した後、復旧努力を行ったと思われる。しかし、欠けていいたのは最悪事態の想定と最悪に対に対処するための準備行動だ。
最悪事態事の想定自体は、専門家には簡単のことだ。しかし、課題は、組織防衛・自己防衛本能により、関係者が最悪事態を避けられるとの楽観に囚われることだ。リビヤのカダフィの息子は、インタビューに応え、われわれには、プランA、プランB、プランCの3つの選択肢があると語った。一般的に、ある事態に対し、楽観、悲観、中立の3つの予測を立てるのは基本中の基本だ。東電の復旧努力は、復旧が可能という楽観シナリオにのみ対応している。東電の対応は、危機管理の観点からは、リビヤ以下といっていいだろう。
復旧不可能という悲観予測に立った準備行動を取っていれば、どうなっただろうか。直ちに政府の連絡するとともに、電事連を通じて他の電力会社にいざという場合の協力体制の準備を要請している筈だ。例えば、電源に関しては、震災後一週間たって初めて実現した恒久電源の東北電力からの調達準備は直に開始された筈だ。放射能の放出後の作業は手間のかかるものとなったが、事故直後であれば、一日程度の作業で済んだものという。非常用電源復旧見込みが困難となった時点ですぐに対応しておれば、これで、対応が済んでいた筈だ。また、各電力会社からの原発要員の応援を得るのいう決断を早期にしていれば、その作業は更に早まっただろう。
この、対処を妨げたものは何か。想像するに、組織長の面子であろう。原発所長は、自らの面子を気にし、東電社長は自らの面子を気にした。それが、判断を鈍らせた。もっとも、社長はそれ以前かもしれない。日本のリーダーは、危機に際しても、部下に何とかしろと言うだけで自らの判断をしないリーダーが多い。損な役回りを避けてうまく立ち回った人間が出世するという日本型組織の欠陥だ。東電の社長が、どちらの人間かを判断する情報は残念ながら持ち合わせていない。いずれにしても、組織単独では対処できない自体を想定し、他組織に支援を求めるという判断は、組織長のみが可能な判断だ。それを直にしなかった所長・社長の責任は極めて重い。
次の責任は、総理をはじめとする政府首脳だ。政府は、2日後の最初の原発爆発以後、東電に任せておけば解決するという楽観を捨て最悪シナリオに対処する準備をするべきであった。それは、まず非常事態宣言と国内・国外のあらゆる資源の自主的および強制的動員準備であった。これは、対策本部といった協議機関ではだめで全権を持った危機管理官が必要だ(意見を広くき聞くことは必要)。官僚組織は、民間以上に面子のかたまりだ。誰も率先して火中の栗は拾わない(これは、官僚非難ではなく、あらゆる官僚組織に共通する性向だ。リーダーは、それを承知で官僚を使いこなさなければならない)。抵抗を抑え、意見を聞いた後は不確実下で困難な決定をするのがリーダーだ。残念ながら、政府の対応は後手後手にまわり、外国では、日本政府の統治能力に失望が生まれた。非常用発電機は、結果的には米軍が提供したが他に国内にもいくつか調達可能であったのではなかろうか。放水車にしても、一週間後に初めて自衛隊、東京都のものが到着したという体たらくだ。対処が遅かったため、放射能で作業も停滞した。米国は当初は政府の対応を好意的に見守っていたが、あまりのお粗末さに米国は見かねて全面支援声明を発表したほどだ。危機に際しての強制権限の行使は、総理の危機管理能力さえあれば、事態はこれほどになることはなかったであろう。この意味で、これは人災だ。
今回の事故を通じて思うことは、これは、第2の敗戦ではないかということだ。大東亜戦争は、国のリーダーの面子維持と不作為により開戦せざるを得ない事態に追い込まれ、超楽観シナリオの下になし崩し的に戦端を開いてしまった。陸軍と海軍の面子と組織拡張という官僚根性を当時のリーダーは誰も抑制することができなかった。結果、未曾有の大惨事となった。今回も、性格は異なるが、外部環境の変化に対しリーダーが的確な対処をしなかったという意味では同じだ。我々の行動様式は、戦前と何も変わっていない。
日本人の現場力はすごい。我慢の精神とは違うと思うが、各自の使命に対する忠誠心や協調力は一級品だ。それに比べるとリーダーは三級品だ。思うに、その理由は、日本文化に潜む人間関係重視の要素があると思われる。欧米では、組織は使命遂行にために存在する。リーダーは、使命達成のために組織を率いる。しかし、日本では、組織はそれ自体が構成メンバーの福利のための存在に転化する。当初の使命は忘れ去られ、組織の拡大がリーダーの役割となってしまう。
これは、戦前の軍に顕著であるが、現在の官僚も同様だ。更に言えば、これは日本特有の性向ではなく、一般的に長期間存続する組織にはどこでも発生する問題だ。ただ、日本では特にその傾向が顕著だということだ。国際的には、日本の非常任理事国立候補も、何をやりたいのかわからないのに地位だけ求めると揶揄された。また、いま流行に地域政党の動きも同じだ。地方議会議員は、地域住民の福利ではなく議員自身の利益をはかっているとことに根本的な原因がある。さらに言えば、国会自体も与野党を問わず議員の利益を図る集団に転化していることが問題だ。一部の議員個人には、良心的な人がいると思うが、議員間、利害組織間のしがらみに絡みとられそういう人は動きがとれない。
第3の敗戦を避けるにはどうするか。これは、憲法を改正して首相公選制を目指す以外にないと思う。そして、国民が試行錯誤を重ねながら本当に能力のあるリーダーを直接選ぶしかないだろう

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