uparupapapa 日記

今の日本の政治が嫌いです。
だからblogで訴えます。


こりゃ!退助!!~自由死すとも退助死せず~(36)

2021-03-15 03:52:12 | 日記












このイラストは私のblogの読者様であり、
イラストレーターでもあられる
snowdrop様に描いていただいた作品です。


#13イラストのリクエスト〜『板垣退助』 - snow drop~ 喜怒哀楽 そこから見えてくるもの…
 (snowdrop様のblogリンク先)

Snowdrop様
素晴らしいイラストをありがとうございました。
心から感謝いたします。










 第36話  愛国社


 退助が征韓論で敗れ下野した時、
実は彼に対する批判が多くあった。

 曰く、
「板垣が民撰議院の設立に対し、
本気で取り組むつもりなら、何故参議の職を辞した?
政府部内に残り、いわば強引にでも
改革の旗振りをすべきではなかったか?」

 

 大阪会議を受け、
退助は旧愛国公党設立時の同志たちを再結集させた。

民撰議院設立建白書を退出するために設立した
愛国公党は政府による拒絶により
一時、自然消滅したが、
その機運までもが消滅した訳ではなかった。
 
 退助は性懲りもなく
愛国公党に代わり「愛国社」を設立する。

 
   <おさらい> 退助が下野してから
いくつもの政治結社を結成している。

 
 東京に愛国公党、(1874年)
 土佐に立志社、(1874年)
大阪に愛国社。(1875年)

(日本史上、退助が結成した愛国社は、
後述するが、その直後また自然消滅。
その後退助と、その意を継いだ
立志社により1878年(明治11)4月、
愛国社は再結成される。(そのくだりは別の回で) それとは別に同名の愛国社
(1928年右翼団体が結成)も存在したが
それは全くの別物である。

 実にややこしく、面倒くさいが、
後の自由党結成までの紆余曲折が
退助の自由に対する情熱と、
決意の本気度を示しているのではないだろうか?


 愛国社に参加した者たちは主に士族であった。
その運営は退助が顔となり、土佐の立志社が中心となる。 本社は東京。
愛国社に加盟するそれぞれの地方政社からは、
委員を本社に送り、情報収集などの
「報・連・相」に当たることになっていた。
 今までになく、本格的大規模な組織である。


 しかしこの愛国社も(愛国公党同様)
長くは続かない。

 退助が参議に復職すると
次第に求心力が失われた。

 更に1877年(明治10)、
鹿児島で西南戦争が勃発すると、
立志社内部の武闘派が、
内戦に乗じて挙兵する動きを見せる。
(実際、西南戦争に参戦する者も多数出ている。)
その結果、幹部が逮捕される事件があった。
(立志社の獄)
 
 これらの事由、及び資金難に陥るなどにより、
退助が造った結社『愛国社』は自然消滅した。

 先に参議復帰により、東京に戻った退助は、
自由民権派から背信行為であると糾弾され、
愛国社創立運動の失敗の釈明に追われる。


 下野したら批判され、
復帰したら批判される。

 退助は嘆く。
「どないしたらええねん!!」

 帰宅した退助は吐き捨てるように呟く。
 自分がしてきたことは、決して無駄ではない。
大阪会議の合意に基づき、4月14日に
「漸次立憲政体樹立の勅書」が発せられる。
これにより元老院・大審院・地方官会議を設置、
段階的、立憲政体樹立を宣言した。

 民撰議院設立の下準備が決まり
公布されたのだ。

 立派に目的は果たしたではないか!
 なのに、この批判。
ああ、理不尽じゃ!
 ふてくされる退助であった。
 (それにしても
ふてくされた退助の顔って、なんて不細工!)

 それでも父が帰り、喜ぶ鉾太郎。
退助の周囲をトコトコ駆け回る。

 妻の鈴が、
「あなた、最近関西弁が多くありません?」
「あぁ?そうじゃったか?
自分じゃ、よう分からん。」
「全くあなた様には呆れます。
偉いお役人になったり、すぐ失業したかと思うと、
良く分からない人たちを集めて騒いだり。
そうかと思うと、また直ぐ帰ってくるし。
 一体何をしたいのか、私のような者には
全然分かりませぬ。
 挙句の果てにその関西弁。
大阪にまた女子(おなご)でもできましたか?」
「そんな訳なかろう!!
ワシが鈴一筋なのはしっておろうが!」
「あら、土佐の展子様にも同じ事言えますか?」
「だから!展子の事は口にするでない。」
「ほら、やっぱり!
旦那様はそれだから信用できません。」

「信用?」
ようやく言葉を喋ることができるようになった鉾太郎。
「信用ってなに?」
父に聞く。
(ワシに聞くな!)と思い乍ら、
「信用ってな、この家では母の次に大事なものじゃ。
よお覚えておけ。」
「母の次?じゃぁ、父上は?」
「母の次が鉾太郎じゃろ、その次が犬のクロ、
その次が猫のミケ。その次がこのワシじゃ。
どうじゃ?可哀そうな父上じゃろ?」
「あなた!鉾太郎にいい加減に教えないでくだされ!」
「だからワシは自由と平等と民権を
説いて回っておるんじゃ。
我が家にも自由と平等を!」
「何を言いたいのか良く分かりませぬ。
あなた様の口は
いつもろくな事に使われていませんね。
 女子を口説いたり、屁理屈を吐いたり。
 あの世に行ったら、
閻魔様に舌をちょん切られましょうぞ。」
「いいや、そんなことはないぞ!
ワシの口は
いつもそなたのためだけに存在するんじゃ。
 知っておるくせに。」

 またいつものように厭らしい目で
口を窄める。
 
 「バカ」と鈴。
 「バカ」と鉾太郎。



    つづく

こりゃ!退助!!~自由死すとも退助死せず~(35)

2021-03-12 04:16:08 | 日記











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#13イラストのリクエスト〜『板垣退助』 - snow drop~ 喜怒哀楽 そこから見えてくるもの…
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第35話 大阪会議

 

大久保利通は追い詰められていた。

 維新政府から次々と要人が下野し、
反政府の反乱が起きるなど、
不満が国中に充満している。

  征韓論で西郷隆盛、板垣退助、後藤象二郎、
江藤新平、副島種臣らが下野。

 やむを得ず維新政府の残留組、
岩倉具視・大久保利通・木戸孝允・大隈重信
伊藤博文・片岡健吉らが
政府を再編する。

 しかし6月政変の影響は大きく、
下野し、即座に帰郷した西郷らが、
鹿児島に私学校結成。
県政の壟断問題が起きる。

 一方退助、象二郎らは
1874年(明治7)1月12日愛国公党を結成、
民撰議院設立建白書を提出した。

 同年1月14日、土佐の不平武士による
岩倉具視暗殺未遂事件が起き、
更に2月江藤新平の佐賀の乱が勃発した。

 追い打ちをかけるように
台湾出兵が議論されると、
征韓論を否定しておきながら、
台湾への出兵は矛盾であるとして、
4月18日、征韓論に反対していた
長州閥トップ、木戸孝允までもが
参議の職を辞し下野した。



  台湾出兵とは

 1871年(明治4)
年貢を輸送していた琉球御用船が
台風による暴風で遭難、
台湾南部に漂着、遭難した乗組員は
先住民の集落に拉致される。
 しかし遭難者たちは現地先住民との
意思疎通の不備から集落を逃走。
 同年12月17日先住民は
逃走者54名を斬首した。
 その事件を受け、
台湾蕃地事務都督西郷従道が
独断で出兵を強行、
征討軍3,000を出動させた。
6月3日には事件発生地域を制圧、
現地を占領した。



 孤立を深める大久保は、
事態の打開を模索しなければならない。

 この時援軍が現れる。

 当時官界から実業者に転身していた井上馨が、
この情勢を憂い、混迷した政局の解決には
大久保には木戸・板垣との連携が必要であると、
盟友・伊藤博文と仲介役を買って出た。
 大久保はわたりに舟と仲介策に応じ、
大久保・木戸の会談の斡旋を依頼、
自ら大阪へ向かう。
 ここにきて
井上と同じく官界を去り実業界入りしていた
五代友厚の申し出があり、
五代邸が大阪会議の準備会談の場として使われた。
 この五代邸に大久保や伊藤らは下準備に
一か月もの間何度も往復している。
 五代は実に献身的に協力した。
 彼もまた国を憂う有志だったのだ。
 これを受け井上馨は、
山口に帰った木戸を大阪に招聘、
更に自由民権運動の小室信夫・古澤滋らに依頼し、
東京にいた退助も招く。

 1875年(明治8)1月22日、退助・木戸が会談。
 井上・小室・古沢の同席のもと、
民選議院設立が議題に上った。

 つづく29日、大久保と木戸が会談、
木戸の政府復帰が決定された。

 ここまでの会談では
大久保・退助に直接の接触はない。
三者三様の思惑を抱いた会談であった。

 大久保は退助が掲げる民撰議院には消極的であった。
 何故なら富国強兵殖産興業のため
一貫した政策を安定して継続するには、
薩長による藩閥政治が必要である事。
 自由民権運動は不平武士のうっ憤のはけ口であり、
現状に於いて本格的政党政治への移行は、
小党分立が想定され、国政が混乱、政策遂行の遅滞を招く。
 以上の理由から退助との会談には二の足を踏んでいた。
しかし、退助の民権運動が過激化、
先鋭化するのを放置するより、
政府に取り込んでおいた方が、
運動を分断、コントロールできると踏んだ大久保は、
木戸とセットでの復帰を望んだ。

 木戸は退助と復帰する事により
大久保の専横に対抗できるとの思惑から、
退助の復帰を強く望んでいた。

 会談の結果立憲政体樹立や
三権分立、二院制議会など、
政府改革の要求が認められる成果をみた。
 これにより退助は、政府に協力する決断をする。


 2月11日、木戸が井上と伊藤が同席の上
大久保と板垣を北浜の料亭に招待した。



 この三者会談を大阪会議という。



 ただし、この会議という名の会談は、
政治の話は一切していない。



 退助が登場するこの手の会談が
どのようなものだったかは、
読者の皆様はもう想像できるだろう。


 但し、この時すでに彼らは明治の元勲であり、
お互い相手の急所を直接攻撃する様な
無粋で卑怯な真似はしない。

 話し合いがついて、
仲直りしようと云うのだ。
 
 かといって喧嘩別れした彼らが、
幼稚園や小学校の仲良しクラブ然とした
会話で満足する?

 まさかね。


 ただ、ここで退助は圧倒的不利である。
彼、脇が甘く隙が多いから・・・。

 頑張れ!退助!!






 事前二者会談で合意していたとは言え、
ここで退助と大久保が顔を合わせるのは
あの日あの日以来である。


 会場である料亭の部屋には
先に木戸と大久保が到着していた。

 少し後からやってきた退助。

 大久保と視線が合う。
 暫く見つめ合うふたり。

 まず大久保が、
「よう退助どん、久しぶり。
元気にしちょったか?
 そんなに見つめられたら、惚れてしまうがな。」
「大久保どんは関西人か?」
とボケと突っ込みで会談がスタートした。



「いや、噂に違わず退助どんは元気よのう。
随分勇ましい演説をぶっこいたそうじゃなかか?」

 「いえいえ何をおっしゃる!
大久保どんの熱弁には敵(かな)いませぬぞ!
 ワシャいつもタジタジじゃき。」
「そんなこつあらへんがなぁ~、
おいどんはいつも退助どんに何か言われると
グサッ!とくるきに。」
「大久保どん!今宵おはんの話言葉はおかしいぞ!
何故に鹿児島と土佐と関西が混じっちょる?」
「ソゲンコツなか。」

 どうやらもう酒に酔っているみたいだ。

 木戸が口を挟む。
「ここ大坂でも、退助はんは偉い人気のようじゃの。
大阪日報にも勇ましい図が載っておったぞ。
ほら、こんな風に。」
 と、前のめりになり、
人差し指を突き上げて演説する姿勢を真似た。

 「ワシャそんな恰好はしちょらせん!
ワシが人前でしゃべるときは、東海林太郎のように
直立不動じゃき。」

 注:東海林太郎=昭和の大歌手。
   直立不動の姿勢で歌うのがトレードマーク。
   因みに作者の私は東海林太郎と島倉千代子が歌う
   「すみだ川」が得意です。(知らんがな)


 「そうかぁ?いつもの退助はんをみていると、
そうは見えんぞ。
 おはんは議論に熱がはいると、
オーバーアクションが凄いけん。」
 「何をおっしゃる!
木戸はんだって、凄い顔で迫るじゃなかか。
ほら、こんな風に。」
 (顔を想像してみてください)
「まあまあ、熱が入った時はお互い様。
あん時(征韓論で対立した時をさす)を見ろ、
互いに掴みかからんばかりじゃったろう。」

「とにかく、アクションと甘いマスクは
退助どんが一番じゃな。
 聴衆の男どもならいざ知らず、
 女性ファンも多いと聞くぞ。
黄色い声援が飛び交ったそうじゃなか。」
「演説会に女はおらん!
話を盛り過ぎじゃ!
誰がそんなガセネタを?」
と顔を赤くした退助が反論するが、
 しかし間髪入れず、木戸が
「そうそう、ファンレターが毎日山のように届くと
聞いたぞ。羨ましいかぎりじゃ。
ハハハハハ!」
 それを受けて退助が
「何をおっしゃるウサギさん、
そんならあなたたちと人気比べ。」

木戸が
「向こうのお山の麓まで・・・・って、
何を歌わせるんじゃ!
 まあ飲め!
今宵はその辺の武勇伝をとことん尋問するぞ、
覚悟しちょれ。」
 大久保も負けずに、
「暴露合戦じゃ!
お互い恥ずかしい話で盛り上がろうぞ!
まあ、もう一杯!」
 

 状況と雲行きが怪しくなってきたので
退助が話題を変える。

「木戸はんと大久保どんは
ワシに隠れて昨日まで
連日囲碁三昧だったそうじゃの。
何でワシにも声を掛けん?」

 (三者会談の前、木戸と大久保は
何度も囲碁をいそしんでいた。)

「だって退助どんの囲碁は弱いじゃろ?
そう聞いたぞ?」
「そげな事ないきに。
結構強いぞ!」
「ほぉ、そげなら、いっちょ勝負するか?」
「おう、いくらでも受けてたつ!」



 
 ボロ負けの退助であった。


 「今宵は酒が入っていたから
こんなもんじゃろ。
 この辺で許してやる。」

 「それが負けたもんの云う言葉か?
負けん気の強いやっちゃ!」
 
「今後はまた閣議で勝負じゃ。
そん時にゃ、コテンパンにしちゃるけん。」

「何をおっしゃるウサギさん」

 堂々巡りの酒宴であった。

 日本のその後の方向性を決めた
重要な三者会談だったが、
実はこんな具合の低次元な歓談に終始した。

(・・・って、
作者の知能と想像力と
会話能力が低次元だからじゃろ?
しかし、人は何故大阪に行くと
関西弁を話したがる?)



   つづく

こりゃ!退助!!~自由死すとも退助死せず~(34)

2021-03-08 03:26:06 | 日記


   








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#13イラストのリクエスト〜『板垣退助』 - snow drop~ 喜怒哀楽 そこから見えてくるもの…
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    第34話 立志社
  
 退助の演説は強い反響を得た。
しかし聴衆の心を揺さぶっても、
その大半は貧しい生活のどん底にいた。

 どんなに希望を以って戦えと云われても、
明日の生活に事欠く身では動きが取れない。
 民権運動に参加し、活動する余裕などない。
有難い話が聴けたと満足するのが関の山なのだ。

 それでも全く成果が無かった訳でもない。
農村の民の参加は得られなかったが、
賛同の機運の手ごたえはあった。
 それに、農民たちの代わりに
士族たちの支持を得ることができた。

 維新以降、武士は士族へと変わり、
既得権が消滅してゆくにつれ、
不平を持つ者たちが数多(あまた)でる。

 彼ら不平士族たちは、
やり場のない不満と怒りの矛先を、
自由民権運動へと傾注するのだった。

 そうした彼らを結集し、
1874年(明治6)、
片岡健吉(元迅衝隊左半大隊司令、
後に衆議院議長を務める)を社長として、
立志社を立ち上げた。

 (社長と云っても、
株式会社ではありません。
政治結社の社長です。念のため。)

 そのメンバーは退助と片岡健吉の他、
山田平左衛門、林有造、植木枝盛と云った
早々たる面々である。

 そのいずれの者も
その後の国の発展に寄与した
重要な人物であり、
退助の人望に引き寄せられた者達だ。



    立志社の理念

 天賦人権をもとに、民衆の知識向上、
気風養成、福祉上進、自由浸透を目指す。
人民主権・一院制議会・人権保障など
民主主義の理念に基づいた立志社憲法見込案の発表。



 この理念に基づき、
国会期成同盟の中心的役割を果たし、
また機関紙を多数発行、
立志学舎を立ち上げ、
近代的教育の中、民権思想の普及に尽力した。

 この退助の動きと平行し、
先に提出した民撰議院設立建白書が
新聞に掲載され、国会開設請願が広く世間に広まる。
民選議院設立の可否について、
多くの新聞紙上に於いて論戦が交わされた。

 退助の撒いた種が大きなうねりとなり、
国中に認知される。




 初めて退助の演説を聞いた展子(ひろこ)は
改めて夫・退助の偉大さ、
気高さに気づかされた。

 あの日以来、
板垣邸に続々と訪れる有志の者たち。
彼らは目を輝かせ、夫を師と仰ぎ、
行動を共にしようと馳せ参じる。

 展子にとって夫・退助は、
ガサツで危なっかしく、
厭(いや)らしい浮気者で、
脇の甘いダメ男に過ぎない。
 でも、こんなにたくさんの者たちに慕われ、
あんな熱弁を揮える人だったとは・・・。

 改めて退助の横顔をよぉく見てみる。



「あら、いい男・・・。」

 じゃなくって!!

 そんな大人物だったの?
私はそんな夫を尻に敷いていた訳?

(展子本人は、夫を尻に敷いた自覚は無い。
しかし象二郎がやたら囃し立てるので、
そうだったかもしれない、と思い始めていた。)

 その日を境に、
自分の夫がどんどん遠くに
行ってしまう気がする。

 只でさえ東京の別宅の鈴に待望の嫡男が生まれ、
自分が隅に追いやられた気がした展子。
 寂しさが募り、
退助に甘える傾向が強くなる。



 あの日の演説会以降、
立志社のメンバーが板垣邸に入り浸った。
 
 次の展開をどうするか?
民権運動の理論構築担当の植木枝盛が、
「先生(退助の事)は農民の感情に訴え過ぎです。
彼らには、運動に参加したくともできない
経済的な制約があります。
 そんな事は先生自身が一番よくご存じな筈。
何故、呼びかけの相手が彼らなのですか?
 今は士族に的を絞って訴えかけるべきです。」
「それはいけん。
日本の根幹は庶民に有り。
特に水吞み百姓(小作農民)が自立の意思を持たねば
この国は諸外国に太刀打ちできん。
 生れながらに独立精神を叩きこまれた士族どもは、
黙っていてもついてくる。
 しかし抑圧されるのが当たり前の平民は違う。
彼らを目覚めさせなければ、
この運動の意味はない。
 急がば廻れ!
我らの使命を忘れるな!

それからワシを先生と呼ぶな。
そう呼ばれると、
どうもケツの穴がムズムズしていけん。」

 象二郎が口を挟む。
「退助先生様はな、
自由と平等にうるさい。
 特に女子(おなご)との交際に関してはな。」
「象二郎!煩(うるさ)いぞ!!
またある事ない事広めよって!」

「女子?」
林有造が喰いつく。

「知らんのか?
退助先生様は特に女子には煩い。
先だっても・・・」

 すかさずヘッドロックをかまし、
口封じを図る退助。
「象二郎!この便所興梠(こうろぎ)野郎!
口を慎まないと
お前の恥ずかしい秘密も暴露するぞ!」


 と、そこにお茶を運んできた展子が、
「あら、先だっても?
象二郎様、女子に弱いうちの旦那様は
どうされたのですか?」

 目が怖い。


 「何もしちょらせん!」
「あなたに聞いておりません。
象二郎様、如何?」

「これは展子殿。
退助先生は人を身分で判断せません。
 分け隔てなく気軽に声をかけるのが
退ちゃんの良い所。
そう云う事です。」

 「そうですか。
分け隔てなく、きれいな娘には
お優しいのですね。」
「そうは申しておりません。
綺麗とは言えない娘(こ)にも
優しくしております。」
「象二郎!フォローになっておらぬぞ!
人の女房の前でワシを追い込んでどうする?」


 平左衛門も有造も枝盛も
笑いを押し殺し、小刻みに肩を震わせていた。

 
「私も旦那様のお子が欲しい。」
突然、人目も憚らず
展子の口からそんな言葉が飛び出す。

 実は退助も展子のそんな心境の変化を
感じつつはあった。
 でも実際に素直な展子を初めて見、
自分を拒絶していた態度を軟化させる程、
展子を追い詰めていたのかと、
心の中で「済まない。」と思った。

 そっと優しく展子の肩を抱き寄せ、
抱きしめたいとの衝動に駆られた。

 「展子・・・・」
 

「何です?その厭らしい顔は!」
「何です?って、ソチが子が欲しいと・・・」
「何でそんな節操のない顔ができるのです?」
「節操のない顔で悪かったな。
寂しい思いをさせて悪かったと思おておるから
慰めてやろうとしたのに。」
「旦那様はデリカシーが無さ過ぎます。
女にはムードが必要でございますよ。
 こんなたくさんの殿方の見ている前で
何ですか!女心の分からぬお人!」
「何じゃ、そのデリカシーとか、ムードとかは?」
「大体旦那様は、ワンパターンなのでございます。
いつもポポポポと口を窄めて迫って来るのは、
如何なものかと思います。」
「ではどうしろと?
手を変え、品を変え、
趣向を凝らして迫れと申すか?」
「それもどうかと思いますが・・・。
兎に角、何か厭らしいのです。
私がそう思うくらいなのですから、
東京のお鈴様も
そう思っていらっしゃるのではないですか?」

(ギク!)と狼狽えながら、
「バカな!何ちゅうことを!」
覚えのある退助の目は宙を彷徨う。

「先日の堂々とした演説をした人物と
同一とは思えませぬ。もしかして、
先日のお人は影武者でございますか?」
「何を申す!そんな訳あるまい!
あの時の良い男も、今ここに居る良い男も
どっちもこのワシじゃ!
ワシの事を惚れ直したのなら、
黙ってついてこい。」

(どさくさに紛れて
自分から『良い男?』って云う?)

 見つめ合うふたり。

 と、ふいにヒョットコに似せたひょうきん顔で
「ポポポポ」と顔を近づける退助。

ピシャ!と頬を叩く音が響く。

 
唖然とするギャラリーたち。
板垣家の闇を垣間見てしまった事を
心から後悔するのだった。
 

 気まずい顔の退助。

 フッ!退ちゃん可哀そうに。
また地雷を踏んだな。

 付き合いの長い象二郎はそう悟った。




    つづく

こりゃ!退助!!~自由死すとも退助死せず~(33)

2021-03-05 04:22:16 | 日記
 

  








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素晴らしいイラストをありがとうございました。
心から感謝いたします。










    (第33話)「諸君!!」



 1874年(明治7)年1月12日、幸福安全社を基礎に
広く同志を集め、東京銀座の副島邸に愛国公党を結成。
 日本初の政治結社となった。
その理念は、天賦人権論に基づき、
基本的人権を保護し、
政府に民撰議院設立を要求する事にある。

 退助は、象二郎、江藤新平、小室信夫、
由利公正、岡本健三郎、古澤滋らと共に
左院に対し
『民撰議院設立建白書』を提出した。

 だが大久保率いる政府に
時期尚早として却下される。

 退助たちの行動は実に画期的ではあったが、
永く封建制が続いた明治初期には
民主主義の概念が存在しない。
やはり、大久保の言う通り
時期尚早であった。

 退助は思った。

 日本全国に我らの志(こころざし)を
伝えねばならない。
粘り強く訴えなければ、機運は育たない。

 それならばワシは国許の土佐に帰り、
まず、土佐人に浸透させる。
 初心に還り、土佐で同志を集めるのだ。
そして戊辰戦争の時のように、
先頭を切ってこの国を変える戦いに打ち込もう。

 そう決心したらその後の行動は早かった。

 土佐に帰るとすぐに演説会を開催する。
弁士は勿論このワシ、板垣退助である。

 象二郎が心配した。
「退ちゃんが弁士で大丈夫じゃろか?
わしゃ、心配じゃき。」
「ワシの何処が心配じゃ?
ワシの申す事は、いつも完璧じゃろが!」
「退ちゃんが完璧?
本妻の展子(ひろこ)殿の前でもそう言えるか?
確か昨日の夜も地雷を踏む音が
土佐中に響いておったぞ。」
「ここで展子の名を出すでない。
大体象二郎は作り話が大げさでいかん。
ワシがいつ展子の地雷を踏んだ?
その地雷の音が土佐中に響きわたる?
 ワシは展子なんぞ、怖くはないゾ。」


 すると背後から展子が近づく。

「あなた・・・。」


 「ワッ!」

 退助が怯えた声で叫び、
飛び上がって振り返った。

展子は怖い目をしながら、
「私の事で、何かおっしゃいましたか?」

「おお、展子、
応援に駆けつけてくれたか?
これは心強い!
 展子が居れば千人力、万人力、億万人力じゃき。」

「私は化け物ですか?」

 また早速地雷を踏み、
象二郎がクスッ!と笑う。
講演のエピソードとして格好の餌食となる
哀れな退助。

「ウォッホン、とにかくワシは
迅衝隊や断金隊の前で
毎朝訓示をたれた身ぞ。
演説なんぞ朝飯前じゃ!」
「確かに朝飯の前に訓示をたれていたかもしれぬが、
それは意味が違うと思うぞ。」
「いや、それこそ意味が違うじゃろ?
そうじゃなくて・・・。
えぇい、面倒臭い!
とにかく見ておれ、
ワシの一世一代の名演説を。」


「はいはい、聞かせていただきます。」
と展子と象二郎が同時に言った。




     退助の演説


「諸君!!


我々は今、重大な岐路にきている。
徳川260年、永く永く風雪に耐えてきた。

 私が昔、免奉行をしていた折の、
見知った面々もこの中には居るようだ。

 あの頃私はここに集まる諸君から、
多額の税を取り立てる立場だった。

 諸君は涙を流す想いで
税を納めてくれた。
 私は思い出すだけで頭が下がる。

 しかし、それは当時の制度として
当たり前と思っていた。
 諸君、そして私もだ!

 だが、本当にそれは当たり前だったのか?

 これから私は、
「有難い」話をしよう。

 諸君!
諸君は今の税をどう思う?

 仕方ないか?
もう少し減らして欲しいか?
もう、納めたくはないか?

 さぁ、どう思っている?

(会場の聴衆から)
「減らして欲しい!」
「納めなくともよいなら、納めたくねえ!」


 そうであろう!
でも、それを決めるのは誰か?



 (聴衆)「お上。」

 今まではそうであった。

 でもいつまでもそれで良いか?
不作の時も同じだけ納めるのは
苦痛であろう?

 ではどうする?
治める税額を決めるのが、
自分たちならどうする?

(聴衆)「そんな事ができるのか?」
    「そんなの夢の様じゃ!」

「税だけではない、
誰もが読み書き算術を学び、
やりたい職業に就いてみたいと思わぬか?
百姓が医者になってはいけぬのか?
 商いがしたい漁師が居てもおかしくなかろう?
 誰もが好きなところに行けるのはどうじゃ?

私はハワイに行きたい!
草津の湯でも良いぞ!

 身分を気にせず、
好きな女子(おなご)と添う事ができたら、
とは思わぬか?

 (聴衆)「思う!」
     「ワシもじゃ!」(笑)

 我が子に明るい未来を与えたいとは思わぬか?
子にたらふく喰わせたい、
子を良い仕事に就かせて
生涯裕福な生活をおくらせたいとは思わぬか?

 そういう願いを持っても良いのだ。

 そしてそういう願いを実現する権利を
基本的人権と呼ぶ。

 そしてその基本的人権を実現し、
維持するには、
自由と平等と云う概念が必要になる。

 自由とは、好きに生きる権利であり、
平等とは、誰もが等しく
機会(チャンス)を持つ事である。

 しかし、そのどちらも
責任が伴う。

 責任無くして権利はない。

 好きに生きるのも
機会を得るのも
責任が無ければ成り立たないのだ。

 税金が無ければ、それはそれは楽であろう。
でも、税が無ければ幸福に暮らせる制度も作れぬ。
外国に攻められても抗する事はできない。

 学ぶ場所も必要、
祭りごとを論ずる場所も必要。
実行する機関も必要である。

 ただし、今までそれを決めてきたのは
幕府であり、それぞれの藩であった。
 幕府の責任、藩の責任で
祭りごとは成されてきた。


 でも、もしこれから先、
それらを全部、
自分たちで決めることができたら
不満が減るとは思わぬか?
希望が持てるとは思わぬか?

 自分がしたい仕事を
思うように、したいように出来たら、
意欲が湧くとは思わぬか?

 今までの世はそれらを全部諦め、
「仕方ない」と思うのが当たり前であった。

「自分が決める」

 そんな事はあり得なかった世、
即ち、有難い世を
「ありがたい」世に造り変えるのだ。

 そしてそれができるのは、
心をひとつにし、力を合わせた諸君である。

 希望を以って、信念を持って、
自分たちが主体となった政治をつかみ取れ!


 (聴衆)「ワシらにそんな事ができるのか?」



 出来る!

 ついこの前、おはんら土佐の男たちが先頭を切って、
あの強大な幕府を倒したではないか!

 但し、私は諸君に人同士が殺し合う戦(いくさ)に
身を捧げよと云うておるのではない。

 私は今諸君に求むのは只一点のみ!
自分自身との戦に挑め!
自分に沁みついた諦めと戦え!

 人に支配されるのを当たり前と思うな。
意味もなく偉いものにへつらうな!
自分を卑下するな!

 僕(しもべ)根性を拭い捨てよ!

 諸君にも覚えがあろう?
「へぇ、へぇ、」と偉き者に平伏する自分の姿を。

 しかしそれは諸君のせいに非ず。
全国に蔓延した社会制度にあり。

 「どうせ俺なんか」という思考を捨てよ。

 自由獲得の舞台に立つ前に、
そうした自分の意識を捨てよ!

 自由とは
その戦いに勝った者だけが得られると心得よ!
更にその先に平等との戦いが待っておる。
 
 もう一度云う。意識を変えよ!

 自らのため、後に続く子らのため、
今こそ立ちあがるのだ!
 諸君たちなら必ずできる!!

 我らは今、民撰議院設立建白書を出さんと欲す。
何度政府にはねつけられてもだ!
自由も平等も、その先にあり!

 今こそ広く会議を起こすため、
諸君の奮闘を求む!

 以上。


 

    つづく

こりゃ!退助!!~自由死すとも退助死せず~(32)

2021-03-02 02:57:35 | 日記
 

    








このイラストは私のblogの読者様であり、
イラストレーターでもあられる
snowdrop様に描いていただいた作品です。


#13イラストのリクエスト〜『板垣退助』 - snow drop~ 喜怒哀楽 そこから見えてくるもの…
 (snowdrop様のblogリンク先)

Snowdrop様
素晴らしいイラストをありがとうございました。
心から感謝いたします。









    (第32話)失業者たち


* 今日登場する面々は、皆政府高官だったので
 直ちに生活苦に陥るような人たちではありません。
ハッキリ言ってお金持ちです。
女将のお菊を含め、全員承知の上での会話である事
 を踏まえてお読みください。


 


 征韓論に敗れ下野した退助と象二郎。
失業者同士、傷を舐めあう残念会を
日本橋のお菊の料亭『むろと』で開いた。

 そこには呼んでもいないのに
江藤新平と元外務卿 副島種臣もついてきた。

 実は大久保の狙いは
西郷や板垣の追放ではなく、
江藤や反長州閥の追い落としにあった。

 目ざわりだったのは
いつも反発ばかりの江藤一派だったのだ。

 大久保にとって西郷、板垣は
新政府にとってなくてはならない存在。
 本気で追い出す気はなかった。

 とはいえ、結果は
その後の政局に大きな影響を及ぼす
明治六年の政変に発展してしまった。

 残留政府高官組は狼狽し、
その後の処理には大変苦労する羽目となる。
『後悔先に立たず』
臍を噛む思いで
その後の政治の切り盛りをせざるを得なかった。




 さて、退助の残念会は
およそ残念会とは思えぬ盛況であり、
笑いの絶えぬ宴席となった。

 出迎えた女将の菊に
「今宵は哀れな失業者の集まりである。
酒と象二郎のために黒烏龍茶をジャンジャン頼む。」

 退助の失脚を幾度も見てきたお菊は
少しも慌てず、
「あら、また失業されましたか?
懲りないお方。
 集まりと云う事は、
皆さま全員失業されたのですか?
それは豪気でいらっしやいます事。
おや、まぁ、象二郎様まで。
 退助坊ちゃまとはいつも一緒や、
とおっしゃっていましたが、
本当にお好きなのですね。」
「こりゃ!この象二郎様をからかうでない。
おまんがからかう相手は、
退ちゃんであろう?
天下の板垣退助の
隠れ専属辛口秘書であると
調べはついておるぞ。」
「こりゃ!象二郎!
おまんこそ、なんちゅう問題発言を吐いておるんじゃ!
新平も種臣どんも、誤解するじゃないか!」
 新平が口を挟む。
「そなたがあの悪名高い女将のお菊殿か?
後藤殿からかねがね噂は聞いております。」
「悪名高い?!象二郎様!
あなたは退助坊ちゃまだけでは飽き足らず、
私の悪口まで広めていらっしゃるのですか?」
「滅相もない!!
お菊殿は退ちゃんには
もったいないベッピンさんだと
申しておるよな!な?な?」
と新平と種臣に同意を求める。
しかしふたりはそっぽを向いて
知らぬふりを決め込む。
「この裏切者!!」
と象二郎が言うと、
退助が
「裏切者はどっちじゃ!
ワシの恥ずかしい話を方々に広めよって!」
「まあ、まあ、退助坊ちゃまも象二郎どんも
今宵は苦い酒でも飲んで、
憂さをはらしましょうぞ。
 女将、ジャンジャン酒を持ってきてくれ!」
と元外務卿として交渉のまとめ役だった
種臣が鉾を治めようとする。

 しかしお菊は
「象二郎様は下戸故、烏龍茶でございますね。
下町のナポレオン三世がたっぷり入った
美味しい烏龍茶をお持ちいたしますので
お待ちください。」
「許してくだされ、弁天様、お代官様、お菊様!」
と哀れな象二郎は手を合わせる。


 その日、たっぷり酒の入った4人は、
今後の明るい将来について語り合った。




 退助は夢を語る。

「この日の本は貧しすぎる。
先の戦で国中を転戦したが、何処に行っても
絵にかいたような貧乏生活ばかり。
 そんな環境だから、列強に舐められるんじゃ。
この国の民は賢い。
なのに、あんな奴らに馬鹿にされて良いものか?
新平どん、答えよ!」

「じゃあ、退助坊ちゃまはどうせよと申すか?」

「ワシを坊ちゃまと呼ぶでない!
この国は、もっともっと変えてゆかねばならぬ。
でも、一番変えなければならぬのは、
制度ではない。
 人の心じゃ。この国の民は皆、
今の貧しい生活を当たり前と思おちょる。
 貧困と不自由を当たり前と思うのは正常か?
ワシらは武士の生まれじゃが、
何故武士が偉いんか?
 武士の中にも愚か者は居る。
貧者の中にも賢い者は居る。

 人には生れながらに
人としての尊厳があって
然るべきと思おちょる。

 人には人間固有の権利があるはずじゃ。
基本的人権じゃ。

 そして基本的人権を形成する
重要な要素は自由と平等じゃ。

 だがワシは何も皆が同じ生活を
目指せと云うておるのではない。

 等しく機会を与えよと申しておる。
富める者が富を得るのは容易じゃが、
貧者でも能力と意欲を持つ者には
チャンスを与えよ!
身分を超えて生きる自由を与えよ!

 民を富ませ、国を富ませるのは
ひとりひとりの民の意識と奮闘努力ぞ。
 そうは思わぬか?」

「よく分からん。
しかし、退助どんの熱意は伝わった。
で、どうすれば良い?」

「ここでワシらがグダを巻いてばかりいても
埒が明かぬ。
結社を造るのじゃ。」
 一同が口をそろえて
「結社?」と聞く。
「おうよ、結社よ!
かつて我が藩には竜馬や慎太郎が掲げた
『陸援隊』や『海援隊』があったじゃろ?
それに倣って、政治結社を造るんじゃ。」

「結社か・・・。」
「結社を造ってどうする?」
「結社を造って、広くこの日の本に
基本的人権と自由と平等の
精神と概念を広めるんじゃ。
 そのためには今の藩閥政治じゃ駄目じゃ。
御誓文でも謳われているように、
『廣く会議を起こし』じゃ。
「そうか、こりゃ壮大な話じゃのぉ。」
「そこでじゃ、
残念じゃが、ここに居る面子じゃ
人として如何なものか疑問が残る故、
まず、準備段階として倶楽部を造る。」

「人として如何なものか?
そりゃ、退助どんの事か?」

「ワシの訳がなかろう!
ここにいるワシ以外じゃ!」
「そうか、退助どん以外か・・・
って、おはんが一番如何なものかと思うぞ!」
「まあ、細かい事は気にするな。
とにかく人材を集めて組織づくりじゃ。」
「資金はどうする?」
「募金と献金じゃ。」

「そうか、募金と献金か・・・。

って同じじゃないのか?

ところで、ここの飲み代はどうする?」

「おはんら!!皆、ここに手持ちの有り金を全部出せ。
そうすりゃ、飲み代くらい捻出できるじゃろ?」
「失業者から金を取るんかい?鬼じゃな!」
「おおよ、鬼じゃ!
ここにきてただ酒飲もうなんざ、
鬼にも劣るぞ!」

「おう、女将!
お愛想じゃ!」


「ところで女将、物は相談じゃが、
哀れな失業者の飲み代を少しは負けてくれんかの?」
「何セコイ事を!
さっきまで天下国家の志を語っていた殿方が、
飲み代を巻けろ~ォ?
びた一文負ける訳にはいきませぬ!
但し、出世払いにはできましょうぞ。
明日から死ぬ気で御働きを!
 それが嫌なら、今ここで全額お支払いいただきます。」

「お菊の鬼!!
うぬら、聞いたか?死ぬ気で働けとよ。
しゃあない、また死ぬ気で働いて出世するとするか。」

 象二郎が言った
「明日から死ぬ気で働くより、
ここは全額払った方が楽ではないか?」

「象二郎の『コロナウイルス』野郎!!」
「そのコロナナンチャラとは何じゃ?」
「未来のばい菌じゃき。」
「????」



 その後の11月
早速、銀座3丁目に一室を借り受け
幸福安全社を創設した。
 
 後の愛国公党を結成する母体である。
 
 退助が推進する民撰議院設立建白書を
提出するための第一歩となった。


   つづく