このイラストは私のblogの読者様であり、
イラストレーターでもあられる
snowdrop様に描いていただいた作品です。
#13イラストのリクエスト〜『板垣退助』 - snow drop~ 喜怒哀楽 そこから見えてくるもの…
(snowdrop様のblogリンク先)
Snowdrop様
素晴らしいイラストをありがとうございました。
心から感謝いたします。
第38話 自由党
1880年(明治13年)11月10日、
国会期成同盟の大会にて植木枝盛、河野広中らが
政党結成の提案を提出、
「自由党準備会」を発足し、
自由党結成盟約4か条を定めた。
(第2次)愛国社の使命は
次の段階へと発展する。
1881年(明治14)
明治天皇より国会開設の詔(みことのり)が発布される。
10年後、帝国議会を開設すると云う
政府の約束を取り付ける事に成功したのだ。
退助の目指す自由・平等・人権の確立のための
第一関門突破の瞬間であった。
退助はここに日本初の近代本格政党である、
『自由党』を結成した。
初代党首(総理)は退助。
後藤象二郎は常議員として参加した。
結党の理念は
当時士族の支持者たちの間で急速に普及した
フランス急進思想(ルソーなど)の影響にて、
一院制・民本主義・尊王・公正な選挙制度を掲げる。
退助は西洋の啓蒙思想とは
一線を画す独自の考えを持つが(尊王思想)、
敢えて就任を受諾した。
『自由党の尊王論』
退助は1882年(明治15)3月、
著作『自由党の尊王論』を発表、
自由主義は尊王と同一であると説き
自由民権の意義を表した。
「世に尊王家多しと雖(いえど)も
吾(わが)自由党の如き(尊王家は)あらざるべし。
世に忠臣少からずと雖も、
吾自由党の如き(忠臣)はあらざるべし。
吾党は我
皇帝陛下をして英帝の尊栄を保たしめんと欲する者也。
皇帝陛下には
「広く会議を興し万機公論に決すべし」
と宣(のたま)ひ、
又「旧来の陋習を破り天地の公道に基くべし」
と宣(のたま)ひたり。
故に吾党が平生自由を唱え権利を主張する者は
悉く仁慈 皇帝陛下の詔勅を信じ奉り、
一点(の)私心を(も)其間に挟まざる者也。
吾党は我人民をして自由の民たらしめ、
我邦をして文明の国に位し、
(陛下を)自由貴重の民上に君臨せしめ、
無上の光栄を保ち、
無比の尊崇を受けしめんと企図する者也。
(抜粋)
板垣退助 著
自由党が強力に推進する自由民権運動は、
全国に組織を広げた。
しかし政府はその急進的且つ、
過激な言動を問題視し、
集会条例を以って弾圧した。
何故急進的、過激な傾向があるのか?
それは自由党を構成する党員にあった。
それまでの愛国党などは、
士族が中心だったが、
今回の自由党は農民が大半を占める。
つまり、税金を直接負担する階層なのだ。
だから、彼らの関心は、自由や平等ではなく、
如何に税金を軽減するかにかかっていた。
税負担軽減を掲げる、一種の一揆感覚なのだ。
退助が全国を飛び回る中、
ひとりの女性が退助の元を去る。
土佐の本宅を守ってきた展子(ひろこ)である。
退助は政治に傾注し、
もうここには殆ど戻ってこない。
どれだけ待っても、
待っても
待っても
待っても
戻ってこない。
東京の妻には嫡男がいる。
しかし私には何も無い。
夫がたまに帰ってきたとしても、
もう心が通じ合う事はない。
いつも隙間風が体を貫くこの寂しさに、
展子は耐えられなくなっていた。
たまたま退助が運動で土佐に帰郷した折り、
展子は意を決し、
ついに退助に離婚を切り出す。
退助は最初から気づいていた。
東京の妻、鈴との間にできた鉾太郎の誕生は、
展子を孤立させると。
展子にも子ができるという可能性は極めて低い。
第一に、自分がこの土佐に留まるのは
ほんの一刻(いっとき)に過ぎない。
離れたお互いの心を修復する術はなく、
一緒にいるのが苦痛にさえ思えた。
「・・・済まぬ。
総てワシが悪い。
ソチを幸せにできなかったこと、
自分勝手なワシの振る舞いに
さぞ心が痛んだだろう。
ワシを恨んだだろう。
寂しかっただろう。
ソチのその涙は、
裏切りや、恨みの眼差しより辛く痛い。
いっその事、ソチに愛想を尽かされ
浮気され、裏切りに遭った方が
どれだけ気が楽か。
ワシは我が身の身勝手さを、
死後の世界で閻魔に厳しく裁かれるだろう。
だからといって、
それで済むとも思っておらぬ。
ソチを不幸にした報いは
ワシの生涯を蝕み、苛まされ続けるだろう。
だが、これだけは分かってくれ。
今となってはもう
信じてもらえぬかもしれぬが、
ワシはソチを愛していた。
心から愛していた。
・・・本当に済まぬ事をした。」
「あなた様の事は
良く分かっております。
いつも一生懸命で、悪気はなく、
人の事を第一に考えてくださるお人だと。
ただあなた様のその情の深さが
仇(あだ)になっていることも。
あなた様は人を引き付けます。
同じくらい女心を刺激します。
そしてあなた様はそのご気性から、
惚れた女子(おなご)を放したくないのです。
多分あなた様のその性向は
今後も変わらぬでしょう。
願わくは、私のような寂しい思いをする者が
もう出ないように、と思うだけです。」
別れの朝
私は、ちぎれるほど手を振る
あなたの目を見ていた。
(どこかで聴いたフレーズ?)
もうとっくに母は他界し、
この家には誰も居ない。
退助は東京に帰ると
鈴に展子との離婚を告げた。
鉾太郎はじっと父を見る。
無言でひたすら見ている。
この日の父の表情を
生涯忘れぬと決めたかのように。
いたたまれない父、退助は、
ひとりでお菊の店に足を運んだ。
「今宵は酔いつぶれるまで
飲むから、そのつもりで。」
女将のお菊は、
何か言おうとしたが止めた。
程なく障子の向こうの廊下から、
聞きなれた声の一団が近づく。
ノックもなく、「入ります」もなく
ニコニコ顔の象二郎。
その後ろから植木枝盛、河野広中が続く。
「なんだ、退ちゃん、
やっぱりここにいた。
お宅に行ったらどこかに出かけたというから、
きっと此処じゃろと思った。
他に行くところは無いんか?」
「ん?その顔はどうした?
左の頬が赤いぞ。」
憮然とした退助、
「何でもない。」
(実はこの少し前、退助がおいおい泣きながら
お菊にすがろうとしたら、
ピシャリと平手が飛んだのだった。)
何かを察した象二郎が
底抜けに明るく話題を変えて、
「さあ、皆の衆、
今、手持ちの有り金を全部ここに出せ。」
とテーブルを指した。
すると広中が、
「え?象二郎殿、活動資金は任せろと
云っていたじゃないですか?」
「活動資金はな。
ここの飲み代は別会計じゃ。」
「出たよ、大風呂敷の真骨頂!」
と枝盛。
「やかましい!さっさと出さんかい!
有り金全部だぞ。
なんだ、広ちゃん(広中の事)、
そんなぽっちしか無いんかい?」
「だって、今宵の会計は象二郎どんが
持つとおもっとたから。」
「何か怪しいな・・・。
ちょっとそこで何回か飛び跳ねてみよ。」
するとポケットからチャリチャリと小銭の音。
「やっぱり隠しておった。
正直に全部出さんかい!」
「だってこれは帰りの馬車代だから。
これだけはお代官様、お許しを!」
「いや、許せん。
帰りの事まで計算して飲もうなんぞ、
天下の自由党員の風上にもおけんきに。
帰りの金が無いときは、
徒歩か野宿と相場は決まっちょる。
軟弱な考えはご法度ぞ!」
すると枝盛が
「女将、今宵は豆腐とモヤシだけで良いぞ!」
「何をおっしゃいます!
天下国家のお話をされる志士の皆様が
豆腐とモヤシだけなんて。
今日は生きの良いカツオがあります。
遠慮のぉ、ご注文ください。」
「え?いいんかい?じゃぁ、納豆も!」
「その代わり、後日厳しく取り立てますので。」
「また出世払いの借金が増えたか。」
「また?どんだけ借金があるのですか?」
と広中が不安な顔になる。
すると枝盛が
「大丈夫、イザとなったら大風呂敷象二郎様が
何とかしてくれますけん。」
「だれが大風呂敷じゃ!
ワシャ名高い後藤象二郎様ぞ!」
「ハイハイ、この失業者集団は
いつになったらもっと羽振りが良くなるのでしょう?」
「何を云う女将、それが伝統というものぞ!」
すると枝盛も口をそろえるように、
「それが貧乏政党、自由党の真骨頂じゃ!」
と胸を張る。
存在を忘れられていた退助が、
「なあ、お主ら何しに来た?
ワシを忘れておるぞ。」
「ああ、退ちゃん、居ったのか。
今日は憂さ晴らしにぱぁ~と行こう!
のう、広ちゃん!」
「ワシが悲しみに暮れるのを、
皆でハチャメチャにする気じゃな?
仕方ない。
よぉし、今宵は飲むぞ!
菊、ジャンジャン下町のナポレオン三世を
持ってきてくれ!」
さっきまでの退助の悲しみは
何処に行ったのでしょう?
懲りない面々でした。
つづく