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uparupapapa 日記

今の日本の政治が嫌いです。
だからblogで訴えます。


<北海道男児保護>山道10キロ 7歳の生命力、歩いて実感

2016-06-05 04:52:11 | 日記
 約10キロの道のりは、うっそうとした草木に覆われていた。

北海道鹿部町の自衛隊演習場内の施設で、

6日ぶりに発見された北斗市追分4の小学2年、田野岡大和さん(7)。

置き去りにされた場所から大和さんがたどったとみられるルートを

記者が日中と夕方の2回歩くと、

わずか7歳の男の子の生命力に改めて驚かされた。

大和さんは5月28日午後5時ごろ、

「しつけ」のため七飯(ななえ)町の林道に置き去りにされた。

4日の同じ時間に現場に立つと、曇り空にうっすらと日が差している。

林の奥は薄暗い。ヒグマが出没する恐れもあり、

1人だとヒヤリとするだろう。

林道の幅は約3メートル。

砂利道になっており、最初は電柱や看板もあるが、

徐々に山深くなり、人けがなくなっていく。

 
記者は日中、地図を持って歩いた。

なだらかな上り道を約1時間行っても景色は変わらない。

男性2人組とすれ違った。報道関係者のようだ。

この先に案内板があり、右に曲がると演習場の方向という。

約15分。

駒ケ岳が噴火した際の避難ルートを示す黄色い看板を見つけて右に進んだ。

 

だが、すぐに道がなくなってしまった。

おかしいと思いながらも、獣道もない完全な林の中を約15分にわたって突き進んだ。

不安になって引き返したが、今度は元の道に戻れない。

山林の中で方向感覚を失ったようだ。

しばらくさまよい歩いていると、ようやく林道の砂利道が見えた。

 
ちょっとでも判断を間違えば、遭難しかねない。

林道に戻って先に進むと、十字路に案内板を見つけた。

右が演習場の方向だ。

一転して下り坂になった林道を歩き、ようやく演習場にたどり着いた。

迷った時間(約40分)を除くと、約1時間40分。

疲労に耐えかね、膝が震えている。


止まると、ひんやりとした冷気が体を包み、上半身の汗がひく。

自衛隊の許可を取り、林道よりも少し広い演習場敷地内の道路に入った。

夜になれば、ホテルのネオンが遠くに見える。

大和さんはこの光を頼りに歩みを進めたのだろうか。

 
約40分後、廠舎(しょうしゃ)と呼ばれる簡易宿泊施設に着いた。

施設内はひんやりしている。

演習場内は入り組んでおり、施設に着くには運も必要と感じる。

大和さんのたどったルートはまだはっきりとしていないが、

どの道を通っても肉体的にも精神的にも強くなければ歩ききれないはずだ。

野球好きだった大和さん。その強さを実感した。【澤俊太郎、遠藤修平】


-毎日新聞 6月4日(土)21時26分配信-










無事保護の第一報が流れたとき、

日本国中に安堵のため息が広がった。

勿論私もその中のひとり。


素直に喜び、心からその頑張りを称えたい。


海外メディアも素早く反応し、保護までに至る経緯を伝え、

7歳の少年の奇跡の生存を驚きをもって紹介している。




私はそれらの記事をネットニュースを通して読みながら、

昔のある出来事を思い出した。


それは1972年(昭和47年)に発見された横井正一さんと、

昭和49年(1974年)に発見された小野田寛郎さんという

元日本兵の驚異の存在だ。



世界史を見渡しても何処にそんな事例があったろう?

日本人の不屈の意思とそれを持続させる頑張りに

世界中が驚いた。



もちろん元日本兵と田野岡大和くんを同列にするのは間違いだ。

しかし、その精神の底流に流れる芯にあたる部分が

すでに7歳の彼に存在するような気がする。



その要素を海外メディアが匂いとして嗅ぎ取り、

いち早く反応した理由ではないかと思う。



第一報以降も、私はずっとその後の報道を追ってみた。


当初から虐待の疑念がもたれていたこの事件。

置き去りその行為自体虐待だとの主張もあるが、

その是非はともかく、不確かな足取りにも関わらず、

生存に結びついた数々の奇跡。


少年の行動が不自然な偶然によるところが多いとの指摘から

狂言説まで見られた。




それらの雑音に対し、少々不快感を覚えた。

真偽のほどは分からないが、今はそっとしておくのが

礼儀というものではないか?


メディア関係者のサガなのかもしれないが、

掘り下げるべき事案を誤っているように思う。



大和くんを取り巻く生活環境は

今回の一件で大きく変化するのではないかと危惧する。


多分日を改めて行われる所属する小学校の運動会でも

たくさんの注目を集め、メディア関係者がまた殺到するだろう。


これからの大和くんの人生。

生命の危機的状況を、驚異の抑制的行動と冷静さで乗り切った

資質と頑張りに期待し、奇跡の幸運を信じ、

見守るしかないのかもしれない。




しつけの是非もクローズアップされた一件だが、

程度の差こそあれ、

それらのしつけが今の日本人を形成してきた事実を思うと

批判だけで済ますテーマではないのではないか?


大切にすべき部分と、直すべき部分。


単に疎ましさからくる虐待は論外として、

行き過ぎたしつけが虐待に発展する事案については

一律にボーダーラインを敷き規制するべき場合でも

慎重に議論し深めるべきと考える。



海外や、日本の教育関係者や一般的な親からも

置き去りは虐待と断じたが、

もう少し深く掘り下げみてみてはどうか?



批判はだ誰でもできる。

本当に自分が親になったとき、

大和くんのような活発な子を持ったとき、

本当にあなたは一番適切な対応で子育てができるという

自信とその根拠はあるのですか?



ここは日本であり、日本人として、

我が子を誇りを持って育てる気概と覚悟がひとりひとりにあるなら、

海外のしつけに対する論調など一蹴し

親として必死に頑張る人とその子供を応援すべきである。



私の故郷、北海道でおきた事件に、

どうにも無関心でいられなかったオヤジが一句。




  
暗闇に ひとりで過ごす  怖さかな







空腹を耐え、熊や幽霊の恐怖にひとりで耐えた大和くんを

やはり私は称えたいです。