寒い日が続いています。皆様、お変わりありませんか。
真冬日の日が多くなり、一年の内で最も寒い時期で、しばらくは続くで
しょう。まさに「冬眠」状態といったところです。
年が明けて、「龍馬伝」(NHK)の放送が始まりした。福山雅治さんが
演じる坂本龍馬の評判はどうでしょうか。また、三菱財閥の創始者で
ある岩崎弥太郎の若い頃の姿は、うまく表現されているでしょうか。
いろいろな印象・評価はあるでしょうが、坂本龍馬は日本の歴史上の
人物の中では、いつの時代も人気ランキングでは上位にくるようです。
その坂本龍馬、そして坂本一族は北海道と深い関係がありました。
札幌市中央区にある円山は原始林が残され多様な昆虫が生存しています。
中には、北海道ではここだけでしか発見されていない昆虫も知られていて
かつて自然が豊かだった頃の札幌の姿の一端を見ることができます。
その円山のふもとに墓地があります。以前からその西の端に「坂本一族
ここにねむる」の墓碑があるのが気になっていました。ひょっとして坂本
龍馬の関係者の方々か・・・「龍馬伝」が放送されることを知り、昨年夏に
少し調べてみました。
やはり龍馬の子孫・縁者の方々のお墓が並んでいました。開拓農家として
苦労され画家でもあった坂本直行さんを中心とするお墓でした。坂本直行
さんの祖父は、坂本直寛さんで龍馬の甥にあたります。
坂本直寛さんは高知で自由民権運動に力を入れ、北海道の開拓とキリスト
教の伝道のため明治30年に一家をあげて今の北見市にやってきました。
坂本龍馬も当時の蝦夷地の開拓には並々ならぬ意欲を示していたようです
から、その影響もあったのかもしれません。
坂本直寛さんの長女直意さんは、婿養子をとりますが、その方は浜武弥太郎
さんといい、熊本県出身の方のようです。 細川藩と関係あり・・・・!?
かと思って「侍帳」を見ましたが、「浜武」は見当たりません。調べが
不十分かもしれませんので、熊本の「浜武家」をご存じの方がいらっしゃれば
お知らせいただけると有難いです。
この坂本弥太郎さんと直意さんの次男として生まれたのが坂本直行さんです。
1906年生まれで1982年に亡くなられました。お会いしたことはありませんが、
その絵はしばしば目にします。バターサンドなどで知られる菓子店の包装紙
に使われているからです。えぞしゃくなげ・きじむしろ・なわしろいちご・
にりんそう・えぞりんどう・・・などなど野の草花が素朴なタッチで描かれ
ています。北海道の山や草花などの自然を愛した「いごっそう」だったの
かもしれません。
円山墓地にある坂本一族の墓碑です。この日、この墓を訪ねて
こられた歴史研究家の方にお会いしました。(2009年8月に撮影)札幌に
お越しの際にはご案内いたします。
真冬日の日が多くなり、一年の内で最も寒い時期で、しばらくは続くで
しょう。まさに「冬眠」状態といったところです。
年が明けて、「龍馬伝」(NHK)の放送が始まりした。福山雅治さんが
演じる坂本龍馬の評判はどうでしょうか。また、三菱財閥の創始者で
ある岩崎弥太郎の若い頃の姿は、うまく表現されているでしょうか。
いろいろな印象・評価はあるでしょうが、坂本龍馬は日本の歴史上の
人物の中では、いつの時代も人気ランキングでは上位にくるようです。
その坂本龍馬、そして坂本一族は北海道と深い関係がありました。
札幌市中央区にある円山は原始林が残され多様な昆虫が生存しています。
中には、北海道ではここだけでしか発見されていない昆虫も知られていて
かつて自然が豊かだった頃の札幌の姿の一端を見ることができます。
その円山のふもとに墓地があります。以前からその西の端に「坂本一族
ここにねむる」の墓碑があるのが気になっていました。ひょっとして坂本
龍馬の関係者の方々か・・・「龍馬伝」が放送されることを知り、昨年夏に
少し調べてみました。
やはり龍馬の子孫・縁者の方々のお墓が並んでいました。開拓農家として
苦労され画家でもあった坂本直行さんを中心とするお墓でした。坂本直行
さんの祖父は、坂本直寛さんで龍馬の甥にあたります。
坂本直寛さんは高知で自由民権運動に力を入れ、北海道の開拓とキリスト
教の伝道のため明治30年に一家をあげて今の北見市にやってきました。
坂本龍馬も当時の蝦夷地の開拓には並々ならぬ意欲を示していたようです
から、その影響もあったのかもしれません。
坂本直寛さんの長女直意さんは、婿養子をとりますが、その方は浜武弥太郎
さんといい、熊本県出身の方のようです。 細川藩と関係あり・・・・!?
かと思って「侍帳」を見ましたが、「浜武」は見当たりません。調べが
不十分かもしれませんので、熊本の「浜武家」をご存じの方がいらっしゃれば
お知らせいただけると有難いです。
この坂本弥太郎さんと直意さんの次男として生まれたのが坂本直行さんです。
1906年生まれで1982年に亡くなられました。お会いしたことはありませんが、
その絵はしばしば目にします。バターサンドなどで知られる菓子店の包装紙
に使われているからです。えぞしゃくなげ・きじむしろ・なわしろいちご・
にりんそう・えぞりんどう・・・などなど野の草花が素朴なタッチで描かれ
ています。北海道の山や草花などの自然を愛した「いごっそう」だったの
かもしれません。
円山墓地にある坂本一族の墓碑です。この日、この墓を訪ねて
こられた歴史研究家の方にお会いしました。(2009年8月に撮影)札幌に
お越しの際にはご案内いたします。
坂本弥太郎さんの実家のものです。
住まいは山鹿市です。
現在は結婚して姓はかわりましたが、
旧姓”濱武”と申します。
弥太郎さんは、私の祖祖祖父の弟だそうです。
最近”龍馬伝”にノッテ色々と調べておりましたところこちらにたどりつきました。
熊本には2度ほど出かけましたが、山鹿にはまだ行ったことがありません。温泉や灯篭踊りで有名なようですね。明治時代に先祖が熊本から出かけていたようです。
濱武弥太郎さんのご先祖は細川藩と関係があったのでしょうか・・・熊本と北海道、南と北で離れていますが、意外に関係が深いようですね。
細川藩とは関係ないと思います。ご先祖は農民だと思いますので。”浜”辺の”武”士?で侍だったのか?不明です。
当時弥太郎氏はあの板垣退助さんの秘書をしていたそうです。婚姻の時の仲人も板垣退助さんだそうで、”人力車に乗ってもらいに来た”と聞いています。弥太郎さんも自由民権運動に熱心だったんだろうなと勝手に解釈しています。
当時の結婚式の写真や子供たちの写真、当遺品らしきものもあるですが、祖父母も父も他界し、誰が誰なのかわからない状態で、遺品も掛け軸などがあるのですが、よくわからない状態です。自分なりの調べたところ、弥太郎さんの龍馬&坂本家への貢献度は結構なもので、びっくりしてます!!!
ちなみに私の祖母は婿養子をとったタイプで、祖母の妹は同じ山鹿市内の”宇野さん”ちに嫁いでます。なんか宇野さんと御縁がある感じ♪
いつかは九州から遠い北海道へ行った弥太郎さんのお墓参りをしたいと思っています。
熊本の「宇野」には、いくつかの家系があるようです。私の先祖は隈部氏の流れをくむようですが、残念ながら、今はだれも熊本には住んでいません。山鹿の宇野さんですか・・・興味深いですね。遠い昔はつながっていたのかもしれませんね。
今後とも坂本(濱武)家・宇野家のことなど、情報交換できるといいですね。
メールアドレスは下記の通りです。
unoroots@mail.goo.ne.jp
今日、テレビ番組で姓に関しての面白い番組があったので検索してみたところ貴ブログにたどり着きました。
いろいろな事がかかれてあって勉強になります。
今まで特に気にもしていなかった姓についてちょっと考えさせられました。
既出かも知れませんが、大分県日田市は結構宇野姓が多いです。私もその流れですが、人口5~6万人の地方の小都市なのですが、商売(電話帳の企業登録を参考)人の登録だけで10件くらいありますので一般人を考えれば人口に対しての比率は結構なものかと思います。
北海道在中ですか。いいですね(^^)
私は北海道大好きで1~2年に1度訪れています。
今年の6月にも道東に行く予定です。
オリーブさん、始めまして大分の宇野です。
予断かも知れませんが、私の妻の旧姓は「濱」です。(天草出身です。宇野とは関係ありませんが)
濱武さんとやや似てたもので・・・。
これからもたびたびお邪魔させていただきます。
細川藩には宇野を名乗る家がいくつかありました。また、大分(当時の豊後)の一部は細川藩の領地で、参勤交代のルートになっており、鶴崎港から船が出入りしていたようです。その関係で役所が置かれ、私の先祖も一時期、郡代として詰めていました。
宇野などのルーツ関連の不定期ブログですが、よろしかったまたご訪問ください。上記のメルアドがお使いいただけます。
毎日仕事と主婦と忙しい日々を過ごしておりますので、随分パソコンを開かない日も多いのですが、合間をみて龍馬やご先祖さんについて調べています。
意外とストレス解消や気分転換になります。
大分日田市は私は行った事がないのですが、主人の親戚がおりますので話は時々聞いています。今は旅館”かやうさぎ”に宿泊してみたいなあと気になってるところです。何か情報があれば教えていただきたいです。
”濱”の姓は海の近くらしいですが、私の住んでるところは海まで何時間もかかります。実家は同じ土地に5、6代以上前から住んでいるので、その以前に海の近くから引っ越して来たのでしょう。
天草いいですね。同じ県内なので、小さい頃から旅行といえば、天草でした。
話はとびますが、先日実家から中岡慎太郎氏の遺族と近江屋主人井口氏の息子さんと坂本弥太郎氏が一緒に撮影した写真が出てきました。撮影場所は龍馬の墓の前です。龍馬伝が始まらなければ、見つける事はなかったでしょう。
それから、宇野さん情報については今のところありません。ごめんなさい。(*_*;
また時々お邪魔させていただきます。(^_^)v
時間の流れの中で堆積して化石となっていく中で、のちに必ずそれを発掘する人が現れるものだと思っています。そのためにもなるべく保存状態がよいようにしたいものですね。また、ご訪問ください。
私(54)も山鹿市長坂の出身で、浜武弥太郎は、私の実家の出身と聞き及んでおります。もしかして「オリーブ」さんは私の兄弟??
小学生の頃、北海道の「坂本」さんから毎年お歳暮で新巻鮭を送られてきていた事を思い出しました。祖父の葬儀の際にも、伊藤博文よりの礼状が出てきて、びっくりしました。
東京に住んでた折、恐らくは濱武弥太郎と共に蝦夷開拓に向かったであろう祖父のいとこの方々とお会いいたしました。
父(86)も高齢になり、記憶が定かでなくなっております。
私はあまり「ルーツ探し」には熱心では有りませんでしたが、実家が没落し、引き継いできたものが散逸することを恐れております。
何とかして、「オリーブ」さんと連絡が取りたいのですが…。
坂本家のご子孫は、今でも札幌でお元気のようです。ご先祖から伝承の貴重品は大切にしたいですね。オリーブさんと連絡が取れるよう、このブログで仲介できるといいのですが・・・オリーブさん、junさん、何かありましたら、上のメルアドをご利用ください。