宇野ルーツだより

ご先祖のルーツを探す旅

大震災の訓え

2011-04-04 20:45:29 | 日記
  朝はマイナス4℃まで下がりましたが、陽が高くなるにつれて暖かくなり、
 春らしい一日となりました。熊本城では、桜が満開のようですね。関東でも
 そろそろでしょうね。宇野ゆかりの皆さま、いかがお過ごしでしょうか?

 4月になって、瓦礫の撤去、港の修復、仮設住宅の建設など、まだまだ不十分で
 しょうが、復興への歩みが始まりました。その一方で、原発事故の終息の目途は
 立たず、被災地の明るい未来が描けない状況です。この違いは、何でしょうか。

 考えられるひとつは、天災と人災の違いにあるように思います。1000年に一度とも
 言われる大地震や大津波は、多くの尊い命を奪い、日本そして世界に悲しみを拡げ
 ました。しかし、1000年に一度ならば、その間に天災対策は可能でしょう。

 一方で、放射性物質の漏えいは、そうはいきません。特に、半減期が長い物質が
 拡散すると、食物連鎖による濃縮が進み、途方もなく長い期間の監視が必要と
 なり、いつまでも安心できません。対処の仕方を見ると、瀬戸際状態でしょう。

 現在進行形の原発事故。元々、自然界にわずかずつしか存在しないものを集めて
 濃縮し、反応させて利用し制御できるはずだという「科学の過信」が招いた人災です。
 いったん核分裂を始めた物質の反応を完全に止める手段を、私たちは知りません。
 「核のゴミ」は、微量であっても、長い期間、放射線を出し続けています。

 今回の大震災に際して「専門家」や関係者から、よく「想定外」という言葉が聞こえて
 きますが、果してそうでしょうか。自然のふるまいに「想定内」は、ありえません。
 天気予報ひとつ取っても、「想定外」はしばしばです。どこかに「想定できる」という
 驕りや騙しがなかったでしょうか。

 関東大震災では、地震や津波よりも、その後の火災で多くの犠牲が出ました。その
 大震災に際し、宇野家と縁があった小橋一太さんについて、次のようなエピソードが
 残されています。

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   関東大震災の2、3年前に、母が父に
   「女中さんたちが、井戸の手汲みポンプの長い柄が、洗濯の邪魔になるから
   取ってほしいと言っていますが・・・」と話したら、即座に父は、
   「もし停電したらモーターが止まり、屋上のタンクに水が揚げられなくなる。
   地震か何かのため、水道管が破裂したら完全に水が使用できなくなるから、
   手汲みポンプは非常用として保存しなさい。文明の利器は、平素は便利だが、
   天変地変には弱い・・・」         (小橋一雄「続・折ふしの記」より)

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 「父」とは、小橋一太氏のことです。この井戸を残しておいたことで、震災時に近所の
 人々も含めて、水に不自由することはなかったといいます。今回の大震災でも、わき水、
 井戸、小川の水に救われたという話を聞きました。集合住宅が多くなった都会だから
 こそ、広場にでも井戸のひとつやふたつ、残しておく価値はあるのではないでしょうか。
 
  大震災の余波はあるものの、直接的な被害はなかった札幌ですが、一時的に
 物資不足となりました。米もそのひとつでした。先日「ふっくりんこ」という名称の米を
 いただきましたが、美味でした。道産米もなかなかです。
 





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