うな風呂

やる気のない非モテの備忘録

劇場版ヤッターマン 新ヤッターメカ大集合 オモチャの国で大決戦だコロン!  70点∈(゜◎゜)∋

2009年08月22日 | ヤッターマン感想
本日8月22日から公開された、アニメの劇場版ヤッターマン。

劇場版でもいつもの通りに、今回のドクロリングの在り処はトイトイ王国のプラモン王子のペンダントの中。
トイトイ王国と云えば、ガンちゃんの父親、高田徳兵衛が仕事を依頼されて招かれている場所だという。
折りしもちょうどその時、トイトイ王国からヤッターマンに招待状が届き、一行はヤッターワンでトイトイ王国に向かうことに。
しかし一方まさに同じ時刻、天才ボヤッキーのもとにもまた、トイトイ王国の大臣パ・ズールから招待状と金の延べ棒が届いていたのであった。
果たしてボヤッキーはなぜ招かれたのか? そして高田徳兵衛はどこでなにをしているのか……

今回はアニメ版初の長編劇場版。タイムボカンシリーズの三十余年に及ぶながーい歴史の中でも、長編版が製作されたのは今年三月の実写版が初(しかもあれは実質的に長編ではなく、旧シリーズを四話に再構成しなおした一種の総集編だった)アニメ版での劇場版は過去に幾度かあったが、それは他のアニメと同時上映で、むしろ尺は通常よりも短いものだった。
というわけで、ボカンシリーズにおける長編は今回が初ということになる。
上映時間はおよそ90分。いつもの三倍強ということで、さてとういう風にしあげるものかと思っていたが……
一言で云うと「リメイク版におけるいつものヤッターマン」に尽きる。良い意味でも、そして悪い意味でも、だ。

以下、多少のネタバレを含みながら感想を。


冒頭、いきなりのインチキ商売からのスタート。テレビ版いつもの流れを十分程度にまとめ、つかみはバッチリ。
ドロンジョ様のテンションも高く、体つきや仕草も妙に色っぽい。
全体的に今作のドロンジョ様、どうも実写版の深キョンに対抗しているような感じで、出動シーンでは泡風呂入浴に生着替えと「実写版には負けない」というスタッフの意気込みが感じられる。オープニングの流れは非常に良かった。
しかし意気込みは、感じられるが、どうにも全体的に漂うのは予算及びスケジュールの厳しさ。

邦画全体でもまれにみる大作となった実写版のクオリティと比べてはあまりにも酷というものだが、劇場版であるのに映像のクオリティがほとんどテレビでいつもやっているものと変わらず、止め絵のクオリティ、構図・演出の凡庸さ、すべて劇場版アニメとしてはいささか苦しいものになっている。無論、ひどい出来ではないのだが、本当にテレビ版と大差ないのだ。
いや、一部においては、テレビ版を下回る部分もあった。代表的なところでは主題歌が流れるオープニング部分だ。
テレビ版ではゴールデンの時のポップでキュートなバージョンも、現行のスピーディーでヒーローらしいバージョンも、とてもすばらしい出来だったが、劇場版のオープニングは止め絵でキャラを紹介するだけという、いささかがっかりしてしまう出来だった。
テレビ版オープニングはその後もずっと使いまわす部分であり、むしろ本編より力が入っていて当然の場所だからあれだけのクオリティを発揮したのだとわかってはいるが、この劇場版のオープニングは淋しかった。タカミーマンの歌がいつも通りに走っていただけになおさら。

クオリティが同じなのは映像だけでなく、脚本もそう。
今回の脚本はテレビ版のシリーズ構成も勤める高橋ナツコ女史と、あと二名クレジットされていた。が、残りの二人の名前はよく知らないものだった。
まあ、知らない二人はいいとして、最初にクレジットされていたし、なによりもシリーズ構成でもあるし、メインのライターは高橋ナツコなんだろう。
だから当然として、テレビ版でもおなじみの高橋ナツコの悪癖が披露されている。
すなわちそれぞれの設定やシーンを思いつくのはいいが、うまくつなぐことができないという、それだ。
おそらく、彼女の脚本に足りないのは繊細な気配りと、そしてなにより時間なのだろう。

今回の脚本も、劇場版にふさわしいベタな王道と云える設定・シーンがたくさん詰まっていて、それ自体は良かった。
ドロンボーをもハメようする悪の存在。敵にまわった?ガンちゃんの父親。囚われのアイちゃん。兵器として特化された黒いヤッターワンことヤッターゼロ、そして満を持して登場のヤッターキング! 地球の危機に力を合わせるヤッターメカ、そしてドロンボー!
と、一つ一つの要素は王道を行くまさに劇場版らしい内容なのだが、それらの設定やシーンのつなぎ合わせ、キャラの言動などによるつじつま合わせなどが、いかにも大雑把でいい加減で子供だまし。子供用アニメなんだから子供だましでもいいと云えばいいのだが、クレヨンしんちゃんにしろアンパンマンにしろドラえもんにしろ、自分の知っている子供向けアニメの劇場版は、わかりやすいながらももっと丁寧かつ繊細にシーンをつなげていたため、今作の「まあ時間もないしこれでいいでしょう」的な妥協感が目に付いてしまう。

全体的に、高橋ナツコの脚本は、そういう丁寧さが足りないばかりでなく、もう一方で大胆さにもいまいち欠ける。
マンネリを基調とした作品であるため、フォーマットを崩そうとしないのは美点でもあるのだが、そのフォーマットに捕らわれてしまって、彼女が他のアニメ脚本でまま見せるぶっ壊れた超展開を見せることもなく、大胆さにも繊細さにも欠けるいまいちな仕上がりになっていることが多い。
同じくよく脚本を書いている武上純希が、毎回キャラがたちまくったオリキャラを導入し、フォーマット破壊ギリギリまでマイワールドを展開しているのとは好対照だ。あれはあれでやりすぎていると思うこともままあるが、いまのヤッターマンに関しては、まだそちらの大胆さの方が望ましいと自分は感じている。

いささか話が劇場版から脱線してしまったが、要するに、この劇場版のシナリオもまた「ああ、高橋ナツコだな」という感じで、大胆さと繊細さのどちらも物足りなく感じるものに仕上がっていた。
実写版の脚本がまさに大胆かつ繊細であったために、どうしても比較してしまうのもいけないのだろう。


と、ここまでぶつくさぶつくさ云っていると、じゃあつまらなかったんだなって思われるだろうが、ごめん、それでも楽しかった。
シーンごとのつなぎはいまいちで、構成の巧みさを感じることはないが、しかし一つ一つのシーン自体が退屈にはならないのが高橋脚本の魅力でもあるだろう。
最終的にはいささかちぐはぐな印象を受けないわけではないが、とりあえず退屈することはなく、もはや定番となったアイちゃんのバカップルぷりや、三十年来のおなじみとなるボヤッキーの女子高生ネタ、ずっとテンションがあがりっぱなしのドロンジョ様に、リメイク版でひまな時の顔芸やお遊びに磨きをかけたトンズラーと、いつものお約束をスクリーンで順次くりひろげているだけで十分に面白い。
ゴールデンから移籍してからフィーチャリングされるようになった人助けの部分もゲストキャラの親子関係でうまく取り入れていたし、今回の悪役となるパ・ズールも、もっと掘り下げてくれたらなーとは思ったが、無難にキザで増長する悪役を(顔芸とともに)こなしていた。

作画もテレビ版と変わらないとは云ったが、それは普段のシーンのこと。
今作の目玉ともいうべきヤッターゼロ、そしてヤッターキングのアクションシーンは、実に多彩なギミックをカッコよく描いていた。
特にヤッターゼロはワンと同じ姿ながら、ガトリングガン、バズーカ、火炎放射、波動砲っぽいビームと「おお、ワンのそこからそんな武器が」と感心してしまうギミックが満載で、動きも実に悪メカっぽくて良かった。外見はアクダライオンレベルの単純さなのに。

そしてなによりもヤッターキングの登場シーン!
山本正之先生の『ヤッターキング2009夏アニメ』(だったと思う)と題された新録のヤッターキングの歌を背景に、大きくリファインされた新ヤッターキングが登場、活躍。
正直なところ、脚本的・演出的にそこまでのシーンとも到底思えないのだが、何故か気が付くと目頭が濡れていた。
どういう理屈か知らないが、何故かおれは昔からヤッターキングの歌がけっこう泣けてしまう。去年の山本正之のライブに行ったときも、ヤッターキングが一番やばかった。典型的なヒーローソングで、どこに泣く要素があるのかは自分でもわからぬが、なぜか涙腺に訴えるものがあるのだ。

しかし実写版のクロマニヨンズによるヤッターキングの歌は、燃えはしたが涙腺にはなにも訴えなかったところを見ると、どうも山本正之の声が重要らしい。
今回の新録でも、衰えぬどころかより強調されているが、山本正之は、跳ねるような声で歌う。その声はおもちゃ箱をのぞいている時のようなワクワクと、一掴みのノスタルジーとセンチメンタリズムを与えてくれる。

山本正之は、エゴイストでナルシストだ。
アニメへの愛やアニメソングへの思い入れを語るが、どうにもその言葉は薄っぺらく、実際に彼にあるのは、自己と自己の歌への愛だけだというのが透けて見える。だから自分が曲を作ったアニメのタイトルだって間違えまくる。おそらく見てもいないのも多いのだろう。以前の主題歌騒動も、結局は楽曲のクオリティの問題ではなく、自分がないがしろにされたような扱いが気に食わなかっただけだ。その程度なのに、不満があればあちこちで被害者面で文句を垂れる。

だが、だからこそ、山本正之の声じゃないとダメなのだ。
その身勝手さ、欲望への忠実さ、それこそが冒険心や好奇心の裏側にある子供らしさというものだ。無邪気なほどに自己中心的であるからこそ、世界を輝いて見ることが出来るのだ。短所と長所はすべて一つの事象の裏表、彼はそのずるさ、優しさ、好奇心、ナルシシズム、すべてを合わせてあのなにものにも代えがたい、少年のごとき癒しに満ちた声で歌うことが出来る。
そのハートは、三十年経った今でも失われていなかったのだ。
ヤッターキングの歌が自分の心を打ったのは、言葉にすると、そういうことだろう。

ぐだぐだ考えて、欠点をいくら見つけたところで、ここで目頭を熱くしたのだから、おれの負けだ。
このアニメ劇場版を全面的に認めるしかない。

正直なところ、実写版のように「あまりヤッターマンを知らない人にも」「むしろちょっとしか見たことがない人こそ」薦めたい作品ではないが、現行のヤッターマンを好きな人ならば、間違いなく満足は出来るレベルに達している。
満点には遠いが、及第点は確実にキープしつづけている。今のリメイクヤッターマンのレベルそのままの劇場版だ。
はっきり云ってこのブログで薦めたところで誰も観に行きはしないだろうが、気が向いたら子供とでも観に行ってほしい。
感情面と理性面がぶつかりあって、いまいち誉めているのかけなしているのかわからない感想になってしまったが、とりあえずそういうことで。

それにしても、つくづく凄いのは山寺宏一だ。スタッフロールで、いつものナレーションワンペリカンアンコウモグラドラゴンジンベエおだてブタに新登場のコングにキングを加え、ずらっとキャラ名が並んで「山寺宏一」と記されている部分は圧巻の一言。どこまで役を増やすつもりなんだ、この人。変態か。




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2 コメント

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確かに… (輪駆)
2009-08-23 12:22:40
ちゃんと初日に見たようで、何よりです。

実写版を意識した箇所は多かったねー
海上をワンが走るシーンも「ひょっとしたら波とかかぶるのか?」ってドキドキしたし(笑)
劇場版とはこうあるべきだ、という王道的展開と、
ボカンってこうだよね?っていうお約束と、
それを両方絡めるのは大変だったと思うけど…

見た後に素直に「面白かったー」って声が出たんで、
それが一番なんだろうな、と思う。

しかし、山寺さん…凄すぎだす。
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Unknown (うなぎ)
2009-08-25 22:34:57
うん、まあ、おおむね満足できる出来ではあったし、おそらく短かったであろう制作期間から考えるとよくがんばったとは思う(その間もテレビは休んでないし)
ただ実写映画が凄すぎたってのがあるからな……

でも「ボカンは長編でもいける」ということを示した功績は大きかったかな、と今になって思う。
来月でテレビ放送終わりか!?という噂もあるし、来年の劇場版はないとは思うけど、今作だけでなく、機会さえあれば別の劇場版も作って欲しいなあ。
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