うな風呂

やる気のない非モテの備忘録

第18話 OLD DAYS 下町の夕日だコロン!

2008年07月08日 | ヤッターマン感想
OLD DAYS 下町の夕日だコロン!

OPの歌手が変わった。
歌うのは物真似する演歌歌手として有名な、西尾有紀。
物真似の人であるためか、初の女性ボーカルでありながら、今までのバージョンで一番オリジナルに近い。
微妙にこぶしがまわっているのが演歌っぽさはあるが、原曲も微妙にこぶしがまわっているため、違和感はまったくといっていいほどない。もはや原曲を別の人が歌いましたというだけのバージョンに近いだろう。
女性ボーカルでありながら、ともすれば下品にきこえがちな歌詞を明るく歌いあげた点を評価したい。
映像的には、イントロの部分を尺に合わせて調整しただけで、ほとんどせ変化はなかった。


二人の中学生が、街を歩いている。
男子と女子だ。
男子の方は、歩きながらハンバーガーをぱくついている。
「もう六個目よ」
呆れた声を出す女子にも、男子は平然と「腹が減っては散歩が出来ぬ」と返す。
無論、アイちゃんとガンちゃんだ。
今日は二人で散歩をしているらしい。
と、いつものように、二人は奇妙な店を発見した。

それは郷愁の具現であった。
都会の真ん中に出現した駄菓子屋。
店内では、鼻の赤くてデカイおばあちゃんが、懐かしのアイテムを売っている。
中でもとびきり懐かしいのは「なめくじ」である。
ぬめぬめした生物のことではない。なめる籤で「なめくじ」だ。
なにも書いていない紙のクジをべろりと舐めると、文字や模様が浮かび上がるという、不思議なものが好きな子供の心理を巧みに利用したクジだ。
この店のなめくじ、一等はなんとダイヤモンドだという。その代わり、一回千円もするというのだから、インチキ臭いことこのうえない。
だが、このなめくじを大人たちは、次から次へと買い求める。
特に「やあ」と声をそろえる、どこかでテレビで見たことあるような三人組はクジに夢中で、札束を取り出して「大人買いだ」と宣言までするではないか。
そこにあるのはダイヤモンドを狙うあさましさではなく、純粋な郷愁であった。
だからこそ、かれらは金銭の損得など考えることなく、口々に「この店は素晴らしい」と褒め称える。かれらの購買意欲は、店の座敷でせっせと空クジを作りつづけるドロンジョとトンズラーのスピードを上回り、辟易とさせる。
「感謝されたんじゃやってられないよ」
ドロンジョは店を閉めることを決意し、シャッターの外では、いつものごとく客たちのブーイングが吹き荒れる。だが、そこにあるのは楽しい時間を奪わないで欲しいという嘆きであり、悪辣な商売に対する不満は一つとしてなかった。

「いいことすると気持ちが悪いねえ」
地下のアジトで、ドロンボーたちはへばっていた。
「ぼくちゃんたち、根っからの悪党なのねえ」
騙すつもりではじめた商売が、まっとうに受け入れられたことが不快であったらしい。
最良の詐欺とは、相手が騙されたことに気づかないことであるが、その点でいうと、どうもかれらは優れた詐欺師とはいいがたい。
かれらはまっすぐな悪党すぎる。人は、まっすぐなものには憧れを抱かずにいられない。生きるということは、妥協し、曲げるということだ。だからこそ、まっすぐなものは善悪を超えて魅力的にうつる。三悪の魅力は、そのまっすぐな頭の悪いほどの悪党ぶりだ。かれらは悪いことをやろうと思わないと悪いことができないタイプの人間なのだ。
「ひかえるだべ~」
へばる三人の下に、ブリキのおもちゃがあらわれる。
無論、ドクロベーの指令マシンだ。
それにしても、よく動くおもちゃだ。
「いきなり今週の豆知識だべー」
昭和三十年代は、文明の変革期である。経済は右肩あがりに急成長を遂げ、人々には活気があった。ゆえに、その年代を懐かしがる人が多いという。

ドクロベーは好意的にそう解釈するが、なにも難しい話ではない。要するに、団塊の世代だ。
かれらにとって懐かしい年代が昭和三十年代であるから、商売モデルとして成り立っている。それだけの話だ。昭和三十年代がほかの時代と比べて優れているわけではない。どの時代も同じように輝いている。輝かないのは、いまこの瞬間だけだ。
思い出とは、自己により監督・演出された一つの作品だ。作品化にあたっては、必要のないものは切り捨てられる。悲劇を演出するには喜劇要素を、喜劇を演出するには悲劇要素を、人の記憶は自然に排除する。
想い出が美しいのは、いらぬものが淘汰された理想の具現であるからだ。
それを考えれば、昭和を懐かしむなど、バカげた話にしか思えぬが……これは余談に過ぎる。

ともあれ、ドクロリングは、その昭和三十年代の東京にあるという。
「一本が二本、三本が四本、それを見守る赤い目玉」
このなぞなぞを解けば、ドクロリングのありかがわかるという。
時間を超えるには、以前と同様、どこかにあるタイムトンネルを発見すれば良いとドクロベーは云う。
しかし、タイムトンネルなどそう簡単に見つかるものなのだろうか?
ともあれ、ドロンボーのメカが発進する。
今週のメカはブリキンガー・ゼット。
昭和三十年代でも違和感がないように作られた、ブリキのおもちゃ風のロボットである。
確かにデザイン的には鉄人28号を踏襲し、違和感はないかもしれないが、街中にロボットが出現したら大変な騒ぎになるのは間違いないだろうに。
だが、いつになく強そうなのは確かだ。頑丈そうだし、力強く空も飛んでいる。
やはり、今回のインチキ商売が儲かったからであろうか?
さらに、優れているのは外見だけではない。
移動中、ドロンジョは奇妙な音に気が付く。
「ぶぉぉぉ、ぶぉぉぉぉ」
と聞こえるそれは、まるでイビキのようだ。
「ぼくちゃんのつくったタイムトンネル発見器ですよ」
どうやらいびきの音が、タイムトンネルに反応し、近づくほどソナーのように音が大きくなっていくらしい
タイムトンネル発見器の外見は、寝ているブタそのものだ。
さらに、掌(ひづめだが)をTの字に組み合わせている。
「タイムしている豚寝る」でタイムトンネルらしい。
強引なダジャレにはナレーションも苦笑い。
しかし性能は確かだ。
かつて訪れた六本木にある東京マッドタウンの路上にて、タイムトンネルを発見、突入する。

一方、ドロンボーの発進を見届けたヤッターマンたちは、基地に戻りすみやかにヤッターワンを出動させる。
タイムトンネルの場所はわからないが、ドロンボーたちについていけば大丈夫だろうという判断だ。
しかし、空を飛ぶメカを追跡するのに、なぜペリカンではなくワンなのか?
判断基準に疑問はある。が、ワンで出動したいからワンなのだ。仕方あるまい。
ヤッターマンたちもまたタイムトンネルに突入する。
行き着いた先は昭和三十年代で、出口は土管だった。
「これがホントのタイム土管」
「それを云うならタイムボカンでしょ」
昭和三十年代、六本木にはまだ首都高がなく、空き地が点在しており、東京タワーもまだ建設中であった。
ヤッターワンに周囲の枝をさし、映画館の前においてドジラの置物に変装させると、二人は当時の中学生らしい姿に変装することにした。
ガンちゃんは白の半そで短パンに白の体育帽。
アイちゃんも同じく白の半そでに、紺のちょうちんブルマと赤の体育帽。
「抵抗あるなあ」
アイちゃんは顔を赤らめ、ちょうちんブルマをいじる。
観ている方として、ちょうちんブルマがそんなにエロいのは抵抗がある。
太ももの露出具合がちょうちんブルマとしてはおかしいからエロいのではなかろうか?

昭和三十年代の東京は、二人にとって異世界だった。
同じ町でありながら、なにもかもがちがいすぎる。
だれか案内してくれないだろうか?
そう思っていると、昭和三十年代風……というよりは1960~70年代風なのではなかろうかというオシャレな三人組があらわれ、唐突に解説をはじめるではないか。
無論、ドロンボーであり、アイちゃんは一目で気づく。
が、ガンちゃんは気づかない。目の前にあるものを見逃すのは、もはやガンの本能である。
ドロンジョは、昭和三十年代の三種の神器「テレビ」「冷蔵庫」「洗濯機」などを次々と手際よく、そしてハイテンションに解説していく
あまりにもテンションが高すぎる。
あまりにも楽しそうで、謎めいている。
中の人にとって青春を過ごした年代だからであろうか?
「ドロンジョ様って昭和三十年代に詳しいのねえ」
「スカ! 余計なことお言いでないよ!」
解説したいだけ解説すると、三人は去ってしまった。
「あの人たち、ドロンボーよ」
「ええ? 通りすがりのいい人かと思った」
たしかにドロンボーであるが、やっていることは通りすがりのいい人で間違いないだろう。

いずこかへと行ってしまった三人を追い、またなぞなぞの答えを求め、ヤッターマンは昭和三十年を彷徨する。
テントを発見した。
サーカスである。
当時は空き地も多く、そういった場所に旅のサーカス団が興行をはじめるのも、珍しくはなかった。
無論、現代っ子の二人にとってははじめてみるものだ。
思わず足を踏み入れると、中ではピエロが曲芸を披露している。
そのことに感心する間もなく、男の声が響きわたった。
「そこまでだ怪人百面相!」
二人の後ろに立つ男であった。
その声に不適な笑いを浮かべたピエロは、正体をあらわす。
ある時はピエロ、ある時はビキニの似合う女の子、しかしてその実態は、二十世紀最大の泥棒、怪盗百面相であったのだ。
正体をあばかれてなお余裕を崩さない百面相は、おりよく上空より下ろされた救いの縄ばしごにつかまると、高笑いをあげて去っていく。
なにを盗みにサーカスにもぐりこんでいたのかの説明は、ない。

私立探偵ドケチ小五郎。
というのが、怪人百面相を追っていたこの男の名前である。
鋭いまなざしと理知的なおもざしを持つ二枚目であるが、ひじとひざにはツギハギをあて、ベルトのかわりにロープをしめた、愉快な男だ。
怪人百面相のみを追いつづけた結果、事務所は傾き赤字だらけ、やむをえず極貧のドケチ生活をつづけ、助手の小林少年にも愛想をつかされた情けない男なのだ。
かれの夢はただ一つ、怪人百面相を捕まえ、小林少年が戻ってくることだ。
捕まえても戻ってくるとは限らないであろうに。哀れだ。
百面相は、きっとドクロリングの場所に現れる。
アイちゃんはそう提案し、なぞなぞを解くことをドケチに依頼する。
「一本が二本、三本が四本」
見た目はダメ男だが、実はできる男である。
ドケチはたちまちに答えにたどりついた。
一方、怪人百面相。
を、助けたのは、もちろんドロンボー一味である。
かれらもまた、百面相に謎解きを依頼していた。
すぐれた頭脳を持つ百面相は、ライバル同様、たちまち解答にたどりつく。

一本が二本、三本が四本。
それは、煙突のことであった。
千住のおばけ煙突。
上空から見ると四本の煙突が狭いひし形に建っているため、地上からだと見る場所によって一本に見えたり二本に見えたり三本に見えたり四本に見えたりするという、当時の下町で親しまれていた煙突だ。下町の人間でなくとも、こち亀などで取り上げられたことがあるので、知っている人も多いのではなかろうか?

「それを見守る赤い目玉」というのがなんなのかは、まだわかっていない。
だが、それだけわかれば十分だ。
あのおばけ煙突を壊してドクロリングを捜せばいい。
短絡的にそう考えたドロンボーは、怪人百面相を置き去りに、ブリキンガー・ゼットへと乗りこむ。
これに血相を変えたのは、ドケチ小五郎であった。
かれは正義漢である。下町の象徴とも云えるおばけ煙突を壊すーなど、見過ごせるはずがない。
「ヤッターマンがいるかぎり」「この世に悪は栄えない」
変身し、ワンを出動させるヤッターマンであったが、ワンの到着にはしばしの時間がかかる。その間も、巨大なメカはおばけ煙突へと向かっていく。
ドケチは、生身のままに巨大なメカに立ち向かった。
一方で、同じく血相を変えた男がいた。
「怪盗とは、美を愛するあまり、独り占めしたくなってしまうもの。美を愛するものなのだ」
おばけ煙突に下町の美を見出していた怪人百面相である。
彼もまた、生身のままにブリキンガー・ゼットへと立ち向かう。
「あの二人、ライバルっていうか友達みたいだね」
それはヤッターマンとドロンボーもだ。

二人のおかげで、ヤッターワンは間に合った。
メカ戦の開始である。
が、ヤッターワンがあっという間にピンチになる。
いろいろあって、メカの素を食べる。
今週のビックリドッキリメカはなつかしのおもちゃをモチーフにした三種。
ビーダマメカ、メンコメカ、ベーゴマメカだ。
だがそれぞれの特攻攻撃は、ブリキンガーゼットのぶあつい装甲にはまるで効かない。
最近のボヤッキーは、装甲にこだわる。
「そんなの、束になったって効かないよ~~だ」
実際に、束になってみた。
ビーダマメカが、大量に足元にもぐりこみ、ぐらつかせる。
合体巨大化したメンコメカが、風を送り、地に倒す。
そこへ、同じく合体したベーゴマメカが襲いかかり、回転する。
見事な連携に、なすすべもなく爆発するドロンボーであった。

さて「それを見守る赤い目玉」とはなんだったのか?
怪人百面相が、その答えを出す。
時刻は、夕暮れになっていた。
真っ赤なな夕日が、おばけ煙突の影をつくる。
四本の煙突は、たった一本の影をつくり、ある塀の上に焦点を結ぶ。
百面相は、その塀を蹴り砕いた。強い。
果たして、その中にリングはあった。
「ハハハハハ。今回は私の勝ちのようだなドケチくん」
勝ち誇る百面相は、しかし自転車にひかれてリングを奪われた。
「抜け目のない奴らだ」
最後までおちゃめな百面相であった。

ドロンボー、速攻でドクロリング鑑定、した瞬間にブッブー。
「お仕置きなの~?」
「逃げろ~」
タイムトンネルの中へと逃げ込んだドロンボーは、現代へと逃げ延びおしおきを免れる。
わけもなく。
巨大な手でつかまれると、昔の洗濯機のように、ローラーでひらべったくノシイカにされてしまうのであった。
同じく現代へと戻ってきたヤッターマンたちは、風に飛ばされる三人の姿を見て「あ、お仕置きされてる」「偽物だったんだ」「アハハハ」と今日もいけすかない感じで夕日の向こうへ去っていった。
そして家に帰ると、二人と一体で昔の遊びに興じるのであった。
「今日のガンちゃん、いつもより素敵」
定期的に発情期に入るアイちゃんの意味不明な発言で、今週も終わる。


EDもまた一新。
歌うは黒瀬真奈美 with 12人のヴァイオリニストで、曲名は「恋想曲(れんそうきょく)」
で、あるが、リメイクヤッターマンのEDは毎回普通すぎて印象がないため、特に曲的なコメントはない。
問題は、それよりも映像の一新だ。
今回のEDはアイちゃんの歌のようで、背景には普段のアイちゃんの姿がいくつか映し出されている。
それがどう見ても普通に可愛い(性的な意味で)
アイちゃんが普通に可愛いのは、なんか困る。
それにしても、ラストの写真でガンちゃんの顔を隠す意味がどこにあったのか、それだけがわからない。

今回は秀作であった。
あまり気をてらわない、正統派のパロディネタでありながら、ネタの入れ方が小気味よく、BGMの使い方も見事。
ドロンボーがちゃんと悪役していたのも評価したいし、なによりボヤッキーが良かった。今回は往年とまるで変わらぬ演技を見せていた。声質もテンポもテンションもまるで問題なし。あいも変わらず、いやいつも異常にテンションの高いドロンジョ様とも対等に渡り合っている。見事なコンビネーションだ。そしてボヤッキーが元気だと影が薄くなるトンズラーがまた旧作のようですばらしいw
作画も凝っていた。アイちゃんドロンジョの美しさのみならず、、ボヤッキーの間抜けさと悪さを兼ね備えた顔が実にうまく描けていた。
ネタのあつかい、テンポ、バトル、オチ、すべてが完璧に近い状態の、理想的な「毎週やってるヤッターマン」
これを保った上で、たまにみのもんたのようなはっちゃけた回が混ざっていれば最高だ。
本当に、今回は素晴らしい出来であった。正統派だったのがまた嬉しい。


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