昨日と今日の新聞にデカデカと載った広告?が目を引いた。
朝日いきいきシニアセミナー
第二の人生の
楽しみ方、教えます 700名様無料ご招待
3月14日(日) 有楽町朝日ホール
という文字と同時に、左側に前田美波里、右側に日野原重明先生の大きな顔写真が
目に入ってきた。
<98才の現役の医者・・・高齢社会の星>
日野原重明先生は、言わずと知れた聖路加国際病院の理事長・名誉院長で現在98才の
バリバリの現役の医者であると同時に、生き方名人の高齢者の星といわれる。日野原先生
と前田美波里の関係はよく分からないが、主催者か協賛会社(世界的な補聴器メーカー)
との関係かも知れない。以前ならともかく高齢社会を迎えた現在、61才の彼女が「第二
の人生の楽しみ方」の話をするのはまだ早いような気もするが、彼女のテーマは「ナチュ
ラルに生きる」と書いてあった。最近舞台や映画などで顔を拝見したことはないが、新聞
の写真で見る限り2008年に還暦、現在61才、8月には62才になるとは思えないほ
ど若くきれいだ。彼女の一つ年上が2008年に61才で紅白に初出場した秋元順子である。
このような人たちが高齢者層の入り口に立っていると言うことは、高齢社会も捨てたもの
ではない。がんばれば楽しい社会、幸福な長寿社会が構築されるのではないかと明る
い気分になる。
前田美波里のことはさておき、日野原先生は明治44年(1911年)10月生れの98才である。
我が国の総人口は平成20年あたりで1億2千6百万人程度、そのうち60才以上の高齢者は
約3千6百万人(総人口に占める割合は約28%)、65才以上が約2千5百万人弱(約20%)、
70才以上は約1千9百万人(約15%)、90才以上は約100万人強(0.9%)位といわれる。
坂本龍馬は天保6年(1835年)生まれだから、76才の明治44年10月まで生きていたとした
ら、その年、丁度日野原先生が生まれたということになる。98才ということはそういう歴史
のつながりである。
<いきがいと長寿>
新聞によると、日野原先生の特別講演のテーマは「各年代の生き方の刷新と幸福な長寿」
となっている。年代別にギアチェンジをする、ということだろうか。先生の講演を調べて
みたら、4月3日(土)流山市文化会館 特別講演「生きがいについて」。こちらの方は
「オープニング演奏」として東京藝術大学音楽部卒業生3人(アルト、ソプラノ、ピアノ)
が加わる。
そう、先生はピアノが趣味であり、作曲もされるのである。2年前の今頃、「N響アワー」
(TV)で先生の作曲を聞いたことがある。また、後にミュージカルになった絵本も執筆され
るなど多芸・多趣味である。私は有楽町か流山か、どちらかの講演を聴きたいと思っている。
<よど号ハイジャック事件と地下鉄サリン事件>
先生は超有名な方なので今更の紹介は不要と思われるが、日本中を震撼させた、かの有名
な「よど号ハイジャック事件」のとき、その飛行機に乗り合わせていて韓国の金浦空港ま
で連れて行かれたのである。また、平成7年のあの忌まわしい出来事「地下鉄サリン事件」の
ときには、院長として、当日の被害者を大量に無制限に受け入れ病院をあげて治療に当
たったことは記憶に新しい。この時のことは、NHKのドキュメンタリー番組「プロジェクトX
~挑戦者たち~」で取り上げられたので見られた方も多いのではないかと思われる。
<私と聖路加>
36年前、私の息子は、まだ古い建物の時代の聖路加国際病院で生まれた。当時私たち
夫婦は江東区に住んでいたのであるが、心臓に少し問題があると言われたため、それまで
通っていた近くの墨東病院から、当時すでに内科の優秀な先生として知られていた日野原
先生がいる聖路加国際病院を希望して紹介状を書いていただいた。当時は33才での初産
は高齢出産だ、と先生に言われたので、心臓のこともあり、日野原先生の存在がどれほど
心強かったことか。それともう一つ、聖路加国際病院と宗派は異なるが、私たち夫婦も
ミッションスクール出身だったので親近感があり、もともとできれば聖路加へと考えていた。
女の子だったら“路加”か“路花”にする積りだったが男の子だった。男の子でも当時とし
ては、極めてユニークな呼び名と漢字を当てた。難産だったが母体の命が助かったという
感謝の気持ちと、それだけに心の澄んだ、まっすぐな人生を生きてほしい、という意味を
込めて付けた。
余談だが、転勤で神戸にいたときにも、聖路加に紹介してもらって六甲の山の中腹にある
瀟洒なミッション系の病院をかかりつけの病院とした。先生は神戸育ちで、経歴には諏訪
山小学校、神戸1中、関西学院中学部に通ったと書いてあるが、私たちも甲東園の関西学
院の正門のすぐ近くに住んでいたことがある。懐かしい思い出である。
日野原重明先生は私よりも29才も年長である。私は、今、元気であるが、あと29年も
長生きできるかというと、全く自信はない。長生きできなくても、今、先生のような方が
いると思うだけで幸せになる。高齢社会日本の希望の星としてこれからも是非長生きして
いただきたい。
朝日いきいきシニアセミナー
第二の人生の
楽しみ方、教えます 700名様無料ご招待
3月14日(日) 有楽町朝日ホール
という文字と同時に、左側に前田美波里、右側に日野原重明先生の大きな顔写真が
目に入ってきた。
<98才の現役の医者・・・高齢社会の星>
日野原重明先生は、言わずと知れた聖路加国際病院の理事長・名誉院長で現在98才の
バリバリの現役の医者であると同時に、生き方名人の高齢者の星といわれる。日野原先生
と前田美波里の関係はよく分からないが、主催者か協賛会社(世界的な補聴器メーカー)
との関係かも知れない。以前ならともかく高齢社会を迎えた現在、61才の彼女が「第二
の人生の楽しみ方」の話をするのはまだ早いような気もするが、彼女のテーマは「ナチュ
ラルに生きる」と書いてあった。最近舞台や映画などで顔を拝見したことはないが、新聞
の写真で見る限り2008年に還暦、現在61才、8月には62才になるとは思えないほ
ど若くきれいだ。彼女の一つ年上が2008年に61才で紅白に初出場した秋元順子である。
このような人たちが高齢者層の入り口に立っていると言うことは、高齢社会も捨てたもの
ではない。がんばれば楽しい社会、幸福な長寿社会が構築されるのではないかと明る
い気分になる。
前田美波里のことはさておき、日野原先生は明治44年(1911年)10月生れの98才である。
我が国の総人口は平成20年あたりで1億2千6百万人程度、そのうち60才以上の高齢者は
約3千6百万人(総人口に占める割合は約28%)、65才以上が約2千5百万人弱(約20%)、
70才以上は約1千9百万人(約15%)、90才以上は約100万人強(0.9%)位といわれる。
坂本龍馬は天保6年(1835年)生まれだから、76才の明治44年10月まで生きていたとした
ら、その年、丁度日野原先生が生まれたということになる。98才ということはそういう歴史
のつながりである。
<いきがいと長寿>
新聞によると、日野原先生の特別講演のテーマは「各年代の生き方の刷新と幸福な長寿」
となっている。年代別にギアチェンジをする、ということだろうか。先生の講演を調べて
みたら、4月3日(土)流山市文化会館 特別講演「生きがいについて」。こちらの方は
「オープニング演奏」として東京藝術大学音楽部卒業生3人(アルト、ソプラノ、ピアノ)
が加わる。
そう、先生はピアノが趣味であり、作曲もされるのである。2年前の今頃、「N響アワー」
(TV)で先生の作曲を聞いたことがある。また、後にミュージカルになった絵本も執筆され
るなど多芸・多趣味である。私は有楽町か流山か、どちらかの講演を聴きたいと思っている。
<よど号ハイジャック事件と地下鉄サリン事件>
先生は超有名な方なので今更の紹介は不要と思われるが、日本中を震撼させた、かの有名
な「よど号ハイジャック事件」のとき、その飛行機に乗り合わせていて韓国の金浦空港ま
で連れて行かれたのである。また、平成7年のあの忌まわしい出来事「地下鉄サリン事件」の
ときには、院長として、当日の被害者を大量に無制限に受け入れ病院をあげて治療に当
たったことは記憶に新しい。この時のことは、NHKのドキュメンタリー番組「プロジェクトX
~挑戦者たち~」で取り上げられたので見られた方も多いのではないかと思われる。
<私と聖路加>
36年前、私の息子は、まだ古い建物の時代の聖路加国際病院で生まれた。当時私たち
夫婦は江東区に住んでいたのであるが、心臓に少し問題があると言われたため、それまで
通っていた近くの墨東病院から、当時すでに内科の優秀な先生として知られていた日野原
先生がいる聖路加国際病院を希望して紹介状を書いていただいた。当時は33才での初産
は高齢出産だ、と先生に言われたので、心臓のこともあり、日野原先生の存在がどれほど
心強かったことか。それともう一つ、聖路加国際病院と宗派は異なるが、私たち夫婦も
ミッションスクール出身だったので親近感があり、もともとできれば聖路加へと考えていた。
女の子だったら“路加”か“路花”にする積りだったが男の子だった。男の子でも当時とし
ては、極めてユニークな呼び名と漢字を当てた。難産だったが母体の命が助かったという
感謝の気持ちと、それだけに心の澄んだ、まっすぐな人生を生きてほしい、という意味を
込めて付けた。
余談だが、転勤で神戸にいたときにも、聖路加に紹介してもらって六甲の山の中腹にある
瀟洒なミッション系の病院をかかりつけの病院とした。先生は神戸育ちで、経歴には諏訪
山小学校、神戸1中、関西学院中学部に通ったと書いてあるが、私たちも甲東園の関西学
院の正門のすぐ近くに住んでいたことがある。懐かしい思い出である。
日野原重明先生は私よりも29才も年長である。私は、今、元気であるが、あと29年も
長生きできるかというと、全く自信はない。長生きできなくても、今、先生のような方が
いると思うだけで幸せになる。高齢社会日本の希望の星としてこれからも是非長生きして
いただきたい。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます