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皇位継承、有識者会議来週にも初会合

2021-03-16 18:48:17 | 皇位継承
皇位継承、有識者会議設置へ
(朝日新聞デジタル2021年3月16日16時30分)
 政府は16日、今後の安定的な皇位継承の方策について検討するための有識者会議をつくり、来週にも初会合を開くと発表した。専門家らの意見を集め、論点を整理するためという。加藤勝信官房長官は同日午前の閣議後会見で「落ち着いた環境で予断を持つことなく議論いただきたい」などと述べた。加藤氏は議論をまとめる時期を明言しなかったが、官邸内には来年度中をめざすとの意見もある。会議のメンバーは、大橋真由美上智大法学部教授▽清家篤・前慶応義塾長▽冨田哲郎JR東日本会長▽俳優で作家の中江有里さん▽細谷雄一慶大法学部教授▽宮崎緑・千葉商科大教授の6人。

いよいよ始まるようです。
女性宮家創設、旧皇族復籍、どうなるのか眼が離せません。
参加メンバー

大橋真由美 上智大学法学部教授
 日本の法学者。専門は行政法。上智大学法学部教授。
 総務省行政相談高度化アドバイザー、地方制度調査会委員、宗教法人審議会委員等も務める。 
 経歴 
東京学芸大学附属高等学校を経て、1996年一橋大学法学部卒業。2002年一橋大学大学院法学研究科博士後期課程修了、指導教員は高橋滋、博士(法学)。日本学術振興会特別研究員を経て、2003年から成城大学法学部法律学科専任講師。同准教授を経て、2013年同教授。2019年上智大学法学部地球環境法学科教授。この間、一橋大学国際・公共政策大学院講師としても教鞭を執った。

行政争訟の裁判外紛争解決手続のアメリカ法との比較を主な研究テーマとし、法務省大臣官房行政訟務課調査員、総務省行政不服審査制度研究会委員、内閣府政府調達苦情検討委員会委員、総務省行政相談高度化アドバイザー、東京都行政不服審査会委員等を務める。また、内閣府地方制度調査会委員、文部科学省宗教法人審議会委員等も歴任。
→行政紛争がお得意か?


清家篤 前慶應義塾長
日本の経済学者。専門は労働経済学。日本私立学校振興・共済事業団理事長、慶應義塾大学客員教授、国立大学法人一橋大学経営協議会委員、一般財団法人生涯学習開発財団評議員。
慶應義塾大学商学部長、慶應義塾長(2009年‐2017年)、日本私立大学連盟会長を歴任した。
学会
  • 日本労務学会副代表理事(2007年(平成19年)8月から)
  • 日本経済学会理事(2008年(平成20年)4月から)
政府
  • 高齢社会対策の推進の基本的あり方に関する有識者会議座長(内閣府、2001年(平成13年)6月から同年9月まで)
  • 労働政策審議会委員・同労働力需給制度部会長・同雇用保険部会長(厚生労働省、2005年(平成17年)4月から)
  • 社会保障国民会議委員・同第一分科会(年金・雇用)座長(内閣官房、2008年(平成20年)1月から同年11月まで)
  • 社会保障改革推進懇談会構成員(内閣官房、2009年(平成21年)1月から)
  • 東日本大震災復興構想会議委員(内閣府、2011年(平成23年)4月から2012年(平成24年)2月まで)
  • 社会保障制度改革国民会議会長(2012年(平成24年)11月から2013年(平成25年)8月まで)
  • 2013年1月から内閣府経済社会総合研究所名誉所長
  • 社会保障制度改革推進会議議長(内閣官房, 2014年)
→労働問題がお得意か?


冨田哲朗 JR東日本会長
略歴1951年東京都生まれ
1974年(昭和49年)4月 - 東京大学法学部を卒業後、日本国有鉄道に入社。1987年(昭和62年)4月 - 国鉄分割民営化により東日本旅客鉄道に入社。東京圏運行本部(現:東京支社ほか)総務部人事課長。
2000年(平成12年)6月 - 取締役・総合企画本部経営管理部長。
2003年(平成15年)6月 - 常務・総合企画本部副本部長。
2008年(平成20年)6月 - 副社長・事業創造本部長。
2009年(平成21年)6月 - 副社長・総合企画本部長。
2012年(平成24年)4月 - 社長。
2018年(平成30年)4月 - 会長。
社外
2018年(平成30年)6月 - 日本経済団体連合会副会長
2020年 (令和2年) 6月 - 日本製鉄社外取締役
→感覚的に男系支持者?


中江有里 俳優・作家
1973年生まれ日本の女優、脚本家、文筆家、歌手、コメンテーター、元アイドル。 本名、中江 幸恵(なかえ ゆきえ)。大阪府大阪市出身。ウイングスジャパン(2015年から野村誠一ウイングスジャパン)→オフィスクレヨン所属。
来歴
 1989年、アイドル雑誌『アップトゥボーイ』の美少女コンテストで優勝したことをきっかけに芸能界入り。 
1994年3月、東京都立新宿山吹高等学校卒業 
2013年、法政大学通信教育部文学部日本文学科卒業 
第19期文化審議会委員 
2015年からはTBSテレビ番組審議会委員。
作家としての活動
小説
結婚写真(2006年11月、NHK出版)
ティンホイッスル(2013年1月、角川書店)
残りものには、過去がある(2019年1月、新潮社)
トランスファー(2019年6月、中央公論新社)
エッセイ
ホンのひととき(2017年9月、PHP研究所)
わたしの本棚(2017年11月、PHP研究所)
→何故このかたが選ばれたのでしょう?


細谷雄一 慶大法学部教授
1971生。日本の国際政治学者、慶應義塾大学法学部教授。専門は、国際政治史、イギリス外交史。 
立教高校、立教大学法学部。慶應義塾大学大学院法学研究科。イギリス・バーミンガム大学大学院に留学。
2002年、『戦後国際秩序とイギリス外交』でサントリー学芸賞を受賞。2010年、『倫理的な戦争』で読売・吉野作造賞受賞。
2020年、ワシントンに拠点を置くシンクタンク戦略国際問題研究所 (CSIS) がまとめた報告書「日本における中国の影響力」に、「中国は日本に影響を及ぼすため間接的な手法を採用している。例えば沖縄独立と米軍撤退を追求するため沖縄の新聞に資金提供し、影響を及ぼすことを通じて沖縄の運動にも影響を及ぼすような秘匿ルートがある」という細谷の発言が引用された。沖縄タイムスの取材に対し、細谷は「誤解を招きかねない表現になった。中国が沖縄の新聞に資金提供しているという根拠や認識はない」と語った。後日、報告書の「沖縄の新聞」「資金提供」の文言が削除された。
→なかなか香ばしい履歴をお持ちのようですが。


宮崎緑 千葉商科大学教授
1958年生。日本のジャーナリスト、国際政治学者、国際政策学者[1]。千葉商科大学国際教養学部教授、同学部長、東京都教育委員。国家公安委員会委員。元ニュースキャスター。
1982年(昭和57年)から6年間、テレビのニュース番組「ニュースセンター9時」(NHK)のキャスターを務め、日本の女性ニュースキャスターの草分けとしても知られる。
湘南高校。慶應義塾大学法学部政治学科卒業。同大学院法学研究科修了 。
2016年9月23日、上皇明仁が意向を示した「生前退位」への対応に関し、同日付で「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」を設置され、その有識者会議のメンバーに選ばれた。
2019年3月5日、「元号に関する懇談会」の有識者委員の一人に選ばれ、新元号「令和」の選出に関与する。
2021年2月22日、国家公安委員会委員に任命された。2月21日に任期満了となった木村恵司(三菱地所特別顧問)の後任。

うーーーん。このメンバーで大丈夫なの?全員「天皇」については系統立てて研究したことのない素人ばかりじゃないですか?

眞子内親王の皇籍離脱はあるのか。

2021-03-16 10:38:00 | 眞子さま

「女性自身」2021年3月23日・30日合併号 掲載
「もはや金銭トラブルだけが、小室さんとの結婚を祝福できない理由ではありません。秋篠宮さまや宮内庁長官の要請に応えて、小室さん側がトラブルについて説明したとしても、世論が大きく変わるかどうか……。追い込まれた眞子さまはすでに、“皇籍離脱”という道も考え始めているといいます」(皇室担当記者)

天皇誕生日の御言葉を「天皇の本意は反対」と読んだ複数のマスコミがこのところ眞子内親王の皇籍離脱を言い囃しはじめています。
制度的には眞子親王は御自分の意志で皇籍離脱することはできます。
皇室典範第十一条《年齢十五年以上の内親王、王及び女王は、その意思に基き、皇室会議の議により、皇族の身分を離れる》 

果して、週刊誌が囃し立てるように眞子内親王は皇籍離脱するのでしょうか。
1,本人の意志。
1,皇室会議の承認
この二つが揃わないと皇室離脱はできません。

1,本人の意志
私は眞子内親王には皇室離脱する強い意志はないだろうとみています。
眞子親王は、頑固で慎重なかたです。小室が皇室離脱した自分を受け入れて呉れるという見極めがないかぎり、自分の気持ちだけで飛び出るほど無鉄砲でも勇敢でもない。
小室には皇室利権が引き続き得られるという保証がないかぎり、皇室離脱してきた眞子内親王を受け入れる余裕がない。

1,皇室会議
皇室会議は内親王の皇室離脱を認めたほうが外的内的に皇室の体面が保てると判断すれば認めるでしょう。

皇室会議は形式になされるもので、そこでの論議で何かを決めるということはない。形式的に質疑してあらかじめ決定していたことを認証するだけです。
つまり皇室会議に至ったということは、それまでに全ての段取りはついていることを表しています。
政府、皇室が眞子内親王の皇室離脱を認めることが皇室の評価を高めないまでも低くしないと判断すれば、二人の生活など全てをお膳立てしたうえで、皇室離脱を認めるということも有りでしょう。

皇室離脱後の結婚でも結婚は結婚。法的に小室は皇室の姻戚です。
皇室離脱が婚姻と同時になるか、先にしておくかの違いだけ。
「残された道は皇籍離脱しての駆け落ち婚だ!」と言い立てる人々は、根回ししての駆け落ち婚は実質は皇室が認めての結婚と変わらないということに気が付かないのでしょうか。

皇室離脱といえば、頭に浮かぶのは故三笠宮寬仁親王 殿下ですね。
ちなみに、昭和の時代には故・三笠宮寬仁親王が「皇族の身分を離れ、身障者問題などに打ち込みたい」として、宮内庁に皇籍離脱を申し出る騒動があった。このときは皇族方が総出で説得し、寬仁親王は考えを改められたという。 

若い頃三笠宮寬仁親王殿下はかなりやんちゃな方でした。
「天皇になれない宮家に存在意義は無い。」と公言されていたことも有名です。「(天皇になる見込みが無いのなら皇族などやっていられるか!)皇族の身分を離れ、身障問題などに打ち込みたい。(て、ほんの冗談よ!)」
殿下にはそのようなどこか人を食ったようなところがある方でした。
昭和天皇は「天皇になれない宮家に存在意義はない。」と公言される殿下を苦々しく思われ、皇室離脱の申し出には激怒されたと当時報じられましたが。
また昭和天皇は皇族お一人お一人について御歌を詠まれていて、その数によって相手への思いの多寡が解るとも言われていて美智子さまについても一首詠まれていますが三笠宮家では弟の三笠宮崇仁親王殿下を詠まれている以外、そのお子様がたについてはただの一首も詠まれていないということから、三笠宮家には思うことがお有りだったのだろうという推察もあります。

やんちゃで自由奔放な言動がしばしば物議をかもした寛仁殿下も晩年は一族の長老としての責任感からか一言居士になられていましたが、「天皇になれない宮家などいらねーんだよ。」などと短気をおこさず男子をもうけておられたら、三笠宮系の天皇もあったかもしれないのに残念なことです。

“国民が望む意向”とはますます逆行されている眞子さま。小室さんとの結婚のために皇籍を離脱したいと宣言したとしたら、何人の皇族方が引き止めてくださるだろうか……。

三笠宮殿下の引き留めに皇族が動いたのは、当時の皇族が同族意識が強い身内の集まりだったこともあるでしょう。殿下は親戚の中に一人はいる「しょうがないなー」というタイプです。そのような人は「しょうがないなー」と言われながらも案外愛されていたりするのですわね。
現在の皇室にはマイホーム主義はあっても同族意識が希薄のように感じられます。なんだかお互い知らん顔です。
政府、皇室が「眞子内親王が小室との結婚を強く望まれているのに、外部圧力で無理矢理破談にするよりは皇室離脱させてから結婚させた方が外的内的に皇室の体面を保つことができる。」と見極めたら、御二人の生活を含めて一切合切を根回ししてからの皇室離脱もあるのではないでしょうか。
皇室離脱後の結婚でも結婚は結婚。小室が天皇の姻戚になることには絶対反対です。私は、ですが。