昨年4月のコンサートのCDが出来上がってきました。
倉知緑郎先生の作品集です。
私は2,3,4です。
先生、そしてフランスに関係の深い演奏家の演奏です。
先生の長い創作活動の集大成の第1弾です。
倉知緑郎先生のこと。
奇跡の出会いでした。
1999年2月に2曲のチェンバロの曲を預かりました。
よく見ると1949年2月に作曲されている。これはちょうど50年前だ。綺麗なメロディーを持った2曲で、どうしてもこの作曲家に会いたくなった。スイスとフランスの間のエヴィールというところに住む86歳になる日本人の作曲家です。ジュネーブでお会いした、とても86歳とは思えない若々しい倉知先生は素晴らしい方でした。
50年ぶりにチェンバロのために作曲してくださるということで、新作を依頼して帰ってきて、出来上がった曲が今回のクラブサンのための組曲の第3曲目。今回私は組曲として初めてこの曲を発表しました。半世紀以上をフランスやベルリンで過ごされた先生はもっとも華やかなヨーロッパが漂う面影のある方で音楽もそんな香がします。この世で会えてよかった。
2001年に奥様であり日本の声楽界のもっとも重要な方である古澤淑子先生が亡くなり、その同じ年に倉知先生も亡くなられました。チェンバロ作品としては私の弾く第3曲目が最期の作品です。この音楽会は倉知緑郎先生、古澤淑子先生の業績の集大成でした。
もうこの音楽は近代でも現代でもない。音楽の世界です。
倉知緑郎先生の作品集です。
私は2,3,4です。
先生、そしてフランスに関係の深い演奏家の演奏です。
先生の長い創作活動の集大成の第1弾です。
倉知緑郎先生のこと。
奇跡の出会いでした。
1999年2月に2曲のチェンバロの曲を預かりました。
よく見ると1949年2月に作曲されている。これはちょうど50年前だ。綺麗なメロディーを持った2曲で、どうしてもこの作曲家に会いたくなった。スイスとフランスの間のエヴィールというところに住む86歳になる日本人の作曲家です。ジュネーブでお会いした、とても86歳とは思えない若々しい倉知先生は素晴らしい方でした。
50年ぶりにチェンバロのために作曲してくださるということで、新作を依頼して帰ってきて、出来上がった曲が今回のクラブサンのための組曲の第3曲目。今回私は組曲として初めてこの曲を発表しました。半世紀以上をフランスやベルリンで過ごされた先生はもっとも華やかなヨーロッパが漂う面影のある方で音楽もそんな香がします。この世で会えてよかった。
2001年に奥様であり日本の声楽界のもっとも重要な方である古澤淑子先生が亡くなり、その同じ年に倉知先生も亡くなられました。チェンバロ作品としては私の弾く第3曲目が最期の作品です。この音楽会は倉知緑郎先生、古澤淑子先生の業績の集大成でした。
もうこの音楽は近代でも現代でもない。音楽の世界です。
倉知先生のことでお問い合わせありがとうございます。
このCDはソルフェージスクールにご連絡いただくと良いかと思います。
03-3953-8517
http://www.maroon.dti.ne.jp/solfege.school/index.html
古澤裕治先生に連絡してみてください。