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金正男氏暗殺

2017年02月15日 06時00分00秒 | 政治
豊臣政権が一代限りで滅んだ原因のひとつとして、秀頼の地位を脅かしそうな身内を秀吉が片っ端から処刑・追放してことが挙げられる。
たとえば秀吉が太閤となり次の関白に据えた秀次は切腹を命じられ、養子に取ったねねの甥っ子秀秋は小早川家に養子に出されている。
秀次は伊達政宗などの有力武将と懇意にしていたので、もしも関ケ原の時に秀次が存命ならば政宗らは西軍に与した可能性が十分に考えられる。
養子に出された小早川秀秋が関ケ原当日に西軍を裏切り、東軍大勝利の最大原因になったのは多くの人たちが知る処である。
確かに織田家や上杉家など跡目相続で揉めて兄弟で殺し合いをした例は数多い。
秀吉はそれを恐れたのだろうが、それが豊臣の天下に終止符を打つことになったのは否めない。
あるいは彼らを全て生かしておけば、秀吉が危惧したように秀頼が後継者の地位を脅かされることが無かったとは言い切れない。
しかし同時に豊臣政権が(後継者が誰であろうと)存続した可能性も上がったのは間違いない。


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