シニアのウエさんの旅日記

神社を軸に全国各地を歩いてます。

現存天守12城+8城 9.高知城

2013-08-19 07:48:46 | 旅行
 高知城は江戸時代初期に、土佐藩初代藩主・山内一豊によって着工され、2代忠義の時代に完成した。本丸の建物が完全に残る唯一の城として知られ、天守・御殿・追手門など15棟の建造物が現存し、国の重要文化財に指定されている。
 2010年5月23日、四国淡路の諸国一宮を巡る旅の初日、高知竜馬空港からレンタカーで高知城に直行、雨の中を大高坂山(標高44m)上に築かれた天守まで登る。石段を登る途中には、板垣退助や山内一豊の妻・お千代さんの銅像が立っていた。天守に登ってから、御殿の中も拝観した。
この日は土佐神社に詣でてから祖谷まで行き、祖谷渓の断崖絶壁にたたずむ一軒宿に泊まり、ケーブルカーで170m下る谷底の露天風呂を楽しんだ。


お堀


大手門


板垣退助の像


お千代さんの銅像


見上げると


本丸


御殿と天守


天守からの眺め


天守から見下ろすと


御殿の中で

現存天守12城+8城 8.松江城

2013-08-18 07:33:05 | 旅行
 松江城は島根県松江市にある平山城、堀尾吉晴・忠氏父子により築かれ、1611年(慶長16年)冬に落成しているが、吉晴は完成目前に急死している。堀尾氏は3代で改易となり、 京極氏を経て、1638年(寛永15年) 信濃国松本藩より松平直政が18万6千石で入封し、以後、明治維新まで続く。二の丸には松江神社があり、松江開府の祖・堀尾吉晴と松平初代藩主・松平直政を祀る。二の丸に入ると神社があった、松江開府の祖・堀尾吉晴と松平初代藩主・松平直政を祀る。天守からは宍道湖が一望。
 山陰の諸国一宮巡拝の旅で、隠岐の島に渡った翌日・2011年6月1日に境港から美保神社に詣でた後、出雲空港まで戻る途中で寄った。


堀川


入口


石段


松江神社





本丸


天守


天守からの眺め


石垣


城内には

現存天守12城+8城 7.備中松山城

2013-08-17 07:41:26 | 旅行
 備中松山城は岡山県高梁市の臥牛山頂上付近に建つ、標高430mと現存天守12城の中では最も高所にある。鎌倉時代に砦が築かれたことに始まり、歴代城主は十数家を数えるが、その中には小堀遠州が父から継承したり、播州赤穂の浅野家が一時預かった時に大石内蔵助が城代として1年間在番したりしている。天守は1683年に水野勝宗によって大修復された。
 2013年6月2日、宇和島まで行った帰り寄り、現存天守12城の最後の登城になった。備中高梁駅から備中松山城への登り口・ふいご峠までは5キロあるのでタクシーで直行、ここからは歩くしかない。資料には20分の山登りと言うが、写真を撮りながら登ったら天守が見えるまで45分もかかった。天守の最上階には御社壇が設けられ水谷氏の守護神などが祀られていた。


ふいご峠


かなり登ってきたが


石垣


二の丸


本丸へ


天守が見えた


天守


階段


御社壇


天守からの眺め

現存天守12城+8城 6.丸岡城

2013-08-16 07:37:34 | 旅行
 丸岡城は福井県坂井市にある独立した丘陵にある平山城で、柴田勝家の甥である勝豊により天正4年(1576年)に築城された。現在、見られる天守は、昭和23年(1948年)の福井地震によって倒壊した後、昭和30年(1955年)に部材を組みなおして修復再建されたもの。大入母屋の上に廻り縁のある小さな望楼を載せた古い構造で、寒冷地と言うことから屋根は石瓦で葺かれている。
北陸の寺社歴訪の旅で、粟津温泉の千年の宿・法師に泊まった翌日・2010年6月29日に行ったが雨に降られた。


麓の公園


見上げると


石垣に沿って登る


途中に神社


本丸


天守


石造りの鯱


急な階段


天井の木組み


天守からの眺め

現存天守12城+8城 5.弘前城

2013-08-15 08:08:00 | 旅行
 弘前城は津軽氏4万7千石の居城として、 2代信枚によって1611年(慶長16年)築城されたが、その時の5層5階の天守は落雷で焼失、1810年(文化7年)に 9代藩主津軽寧親により現在の3層3階の天守が建てられた。
 ここも2度行っている、始めは2004年10月28日、城内では菊まつりをやっていた、この旅では竜飛岬や恐山まで行った。2度目は2012年6月19日、この旅では奥入瀬を歩いてから岩木山や男鹿半島に行った。弘前城は桜の名所だが、満開の時期がほぼゴールデンウィークと重なるため、なかなかお花見には行けない。




















天守から岩木山を眺めたが