上原正稔日記

ドキュメンタリー作家の上原正稔(しょうねん)が綴る日記です。
この日記はドキュメンタリーでフィクションではありません。

その時、慶良間で何が起きたのか 3

2013-03-27 09:49:03 | その時、慶良間で何が起きたのか

前回の続き


グレン・シァレス伍長は語る

 1945年3月26日、潮が満ち、ついに出撃命令が出ると、水陸両用車の列は横一線に並び、海岸に向かう。 そのすぐ後ろから小型LST艇がおれたちの頭越しに慶留間島の海岸線と村落に向けロケットを発射し、おれたちを援護した。

 海岸から五百メートルほどの距離まで来ると、そのLSTはくるりと反転し、戻ってゆく。 上陸第二波陣に道を開けるためだ。 今やおれたちは自分で自分の身を守らなきゃならない。

 案の定、日本兵のやつらが穴の中から出てきて、軽機関銃をぶっ放し始めた。 思い出したように機関銃が1,2発、水陸両用車の鉄板にぶつかり、はじけてゆく。 おれたちは50口径の重機関銃をむちゃくちゃにぶっ放した。 敵の機関銃をおとなしくさせるためだ。 この上陸作戦は岩礁を避けるため、満潮時を選んで行われたから、水陸両用車が陸に揚がると、目の前に石垣の堤防が立ちふさがっていた。

 それにしても見事な石細工だ。石垣は所々、砲弾で爆破され、崩れ落ちていた。 おれたちは逃げる日本兵を追って、崩れ落ちた堤防の間を通り抜けて、左手の村落に出た。

 日本軍は村落から退却していた。やつらを山に追い詰めろ、という命令が下った。 住民がよく利用する山道を見つけると、おれたちは登って行った。 頂上に達するまで何の抵抗もなかった。 頂上に着くと、背後から攻撃を受けたが、大したものじゃなかった。 この頂上から続く尾根の向こうで猛烈な銃撃戦が行われていた。

 

-つづく


ウチナー口の秘密 4

2013-03-27 09:07:14 | ウチナー口の秘密

~その起源は梵語だ~ 4

 「ウチナー口の秘密」の冒頭で述べたが、首里、那覇という言葉は中国語にはない。 首里も那覇も当て字だ。 首里は中国語でシュリと発音する。 その語源はサンスクリット語の(シュリ)で「吉祥」、すなわち「めでたいこと」を意味する。

 首里城の入口に立つ門を「守礼」(シュレイ)の門と発音しているが、中国では「守礼」をシュリと発音し、実は「首里」の掛け言葉なのだ。

 守礼の門近くに園比屋武(スヌヒヤン)御嶽(ウタキ)という拝所がある。 ウタキの中には宝物が隠されているわけではない。 何もないのだ。 石を積み重ねただけの拝所になぜ毎日のように信仰厚い人々が訪れ、祈願しているのか。 ぼくにはそれが長い間、謎だった。 「芸術は爆発だあ!」と威勢よく叫んだあの岡本太郎も「何もない」拝所に感動したが、その謎は解けなかった。

 実は園比屋武(スヌヒャン)はサンスクリット語の(シュニャ ヴァーダ)で「万物は無空」、これから「万物には神が宿る」という意味に発展したものだ。 御嶽(ウタキ)は当て字で(ウダカ)、すなわち「祖霊に対し聖水を供えること」を起源としている。

 島々の至る所にある拝所には「何もない」ことがこれで納得できる。

 「那覇」は中国語で「ナバ」と発音し、その語源は(ナバ)で「天空」を意味する。 漢字は発音記号と考えた方がよい。 もちろん、そうでない場合、例えば仏教語の発音記号となっていることが多い。 「首里」という漢字や「那覇」という漢字からその起源を探ろうとしても無駄骨を折るだけだ。


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