グレン・シァレス伍長は語る
1945年3月26日、潮が満ち、ついに出撃命令が出ると、水陸両用車の列は横一線に並び、海岸に向かう。 そのすぐ後ろから小型LST艇がおれたちの頭越しに慶留間島の海岸線と村落に向けロケットを発射し、おれたちを援護した。
海岸から五百メートルほどの距離まで来ると、そのLSTはくるりと反転し、戻ってゆく。 上陸第二波陣に道を開けるためだ。 今やおれたちは自分で自分の身を守らなきゃならない。
案の定、日本兵のやつらが穴の中から出てきて、軽機関銃をぶっ放し始めた。 思い出したように機関銃が1,2発、水陸両用車の鉄板にぶつかり、はじけてゆく。 おれたちは50口径の重機関銃をむちゃくちゃにぶっ放した。 敵の機関銃をおとなしくさせるためだ。 この上陸作戦は岩礁を避けるため、満潮時を選んで行われたから、水陸両用車が陸に揚がると、目の前に石垣の堤防が立ちふさがっていた。
それにしても見事な石細工だ。石垣は所々、砲弾で爆破され、崩れ落ちていた。 おれたちは逃げる日本兵を追って、崩れ落ちた堤防の間を通り抜けて、左手の村落に出た。
日本軍は村落から退却していた。やつらを山に追い詰めろ、という命令が下った。 住民がよく利用する山道を見つけると、おれたちは登って行った。 頂上に達するまで何の抵抗もなかった。 頂上に着くと、背後から攻撃を受けたが、大したものじゃなかった。 この頂上から続く尾根の向こうで猛烈な銃撃戦が行われていた。
-つづく