上原正稔日記

ドキュメンタリー作家の上原正稔(しょうねん)が綴る日記です。
この日記はドキュメンタリーでフィクションではありません。

沖縄をダメにした百人 33

2013-03-15 10:04:03 | 沖縄をダメにした百人


~1フィート運動騒動記~ 18

今日は「1フィート運動騒動記」のゾッとする怪談を一休みして、今、目の前で起きている、あるいは、起きようとしていることを伝えよう。

今日は2013年3月15日だ。 独りよがりの反戦平和運動家たちが、人々の善意を食い潰す最後の日だ。 昨日の沖縄タイムス琉球新報の報道は興味深く読んだ。 どちらにも、この運動を創り、思想信条にとらわれない新しい住民運動を成功させたか、という段階でこの運動を奪われることになった青年たち(もちろん、上原正稔も含めて)の大活躍は一切、報道されていない。 「沖縄をダメにした百人」というブログは今、とてつもない反響を巻き起こしていて、特に、全国のマスコミ関係者がハラハラしながら毎日読んでいるのだが、沖縄タイムス琉球新報は「見ザル、聞かザル、言わザル」の三ザル精神に徹して、日光の三猿も顔負けで、赤いお尻を見せて退散という未確認情報も入っている。

 沖縄タイムスは1984年5月の那覇市民会館での最初の上映会の超満員の観客の姿を大きく写真入りで紹介しているが、その背景については一切、触れていない。 その時の主人公は上原正稔だったが、それを裏で支えたのが宮里千里我謝幸男ら那覇市役所の若手職員だった。 そのことは後で、「1フィート運動騒動記」の中で詳しく述べよう。 それ以後、ぼくの姿も名前も1フィート運動から抹消されている。

 さて、今日、八汐荘で1フィート運動の最後の総会が開かれることになるが、偽善家で独りよがりで、嘘つきで欲の皮の突っ張った人間の顔をした魑魅魍魎たちの最後の狂宴会が見物である。 誰が参加するか、しっかり見届けよう。

 1フィート運動の残党どもが最も恐れるのは、上原正稔が12月27日の解散発表の記者会見に乗り込んだ時のように、また暴れまくることだ。 だが、それは杞憂というものだ。 ぼくは二度とクスブル(肥溜め)に足を突っ込むつもりはない。 クスブル(肥溜め)に蠢くのは蛆虫だけだ、ということをぼくは知っている。

 今、1フィート運動の最後の場面に登場するであろう蛆虫どもすなわち1フィート運動を食い潰した者たちをリストアップしよう。

代表     福地曠昭
副代表    石川元平
事務局長   中村文子
理事     安仁屋政昭
  〃    新崎盛暉
  〃    伊佐順子
  〃    石原昌家
  〃    大田昌秀
  〃    大山哲
  〃    我謝幸男
  〃    島袋淑子
  〃    比嘉勝洋
  〃    保坂廣志
  〃    真栄里泰山
  〃    松田寛
  〃    大城信也(まよなかしんや)
  〃    三浦晋一
  〃    村上有慶
  〃    山根安昇

 彼らは1フィート運動もぼくと若者たちから奪い、食い潰したバカの集団だ。 バカの語源はサンスクリットのbakaであり、本来の意味は偽善者、悪党であり、それが梵語で「莫迦」と表記されたものだ。 「馬鹿」の表記は後世のものであり、意味も違う。

 何人かの人物像を簡単に伝えよう。

  • 大田昌秀──裸の王様。 沖縄をダメにした元凶。 特に、上原正稔沖縄戦メモリアル構想を奪い、平和の礎にした罪は大きい。 平和の礎に刻まれた氏名はでたらめ。 「沖縄をダメにした百人」の後編で詳しく伝えよう。
  • 福地曠昭──朝鮮人の父と沖縄人の母との間に生まれ、それを隠してきたことが、歪んだ性格を作った。 1967年に二人組の暴力団の下っ端に太ももを刺され、自分は右翼に刺された大物と錯覚し、その後何をしても怖くない、つまり良心がマヒしてしまった男。
  • 石川元平──1フィート運動に途中から入り込み、1フィート運動の遺産を買い叩き、一儲けしようという元沖教組のボス。
  • 中村文子──内部抗争の末、仲宗根政善が事務局長に選んだ沖縄戦を体験していない元学校教師。 宮里悦のカバン持ち。 全く無能な作家の本の主人公になり、有頂天になっていたが、上原正稔が出版社に抗議して真相が明らかになる。
  • 保坂廣志──大田のお蔭で、琉大教授になったものの、師が師なら、弟子もまたしかり。 最も恥じるべき女性問題で失職し、その後、その名は新聞から消えた。メディアは仲間の恥を覆い隠している。
  • 安仁屋政昭──集団自決という言葉を嫌い、集団死という言葉を発明し、その後石原昌家が強制という言葉を上乗せして「強制集団死」という言葉が発明された。 大田安仁屋を嫌い、石原を好んで、沖縄戦メモリアルを盗作した「平和の壁」委員会の委員長に任命した。「平和の壁」はころころと変わって「平和の礎」に落ち着いたが、大田はこの名称も嫌っていた。 名前をどう変えようが、盗作は盗作だ。
  • 大山哲──沖縄タイムスOBで、かつての友人。 1992年9月13日の大田昌秀がハーバービューホテルで上原正稔酒乱狼藉を働いた事件の目撃者だが、見ザル、聞かザル、言わザル体質を地で行く今は腐敗した1フィート運動の沖縄タイムスの代表となっている。
  • 山根安昇──琉球新報OBで、かつての友人。 最近、1フィート運動について狼魔人日記の管理人である江崎孝とぼくと三人で詳しく、その内幕を説明し、1フィート運動の会には上原正稔に対して謝罪させる、と強く言ったが、今では嘘八百を並べた1フィート運動の会「記念誌」の編集長となって、自ら餓鬼道に落ちてしまったエセ文化人

 詳細は「沖縄をダメにした百人」の後編で。


ランクアップのご協力お願いします。


沖縄 ブログランキングへ