上原正稔日記

ドキュメンタリー作家の上原正稔(しょうねん)が綴る日記です。
この日記はドキュメンタリーでフィクションではありません。

その時、慶良間で何が起きたのか 2

2013-03-26 13:56:31 | その時、慶良間で何が起きたのか

前回の続き

 

 今、沖縄の新聞は「軍命による集団自決」が教科書から削除されようとしている問題で国に対して厳しい批判を展開している。

 この問題は渡嘉敷の海上挺進第三戦隊戦隊長であった故赤松嘉次さんの弟と座間味の海上挺進隊第一戦隊戦隊長であった梅澤裕さんが「自決命令を出していない」として、その名誉を傷付けたとされる「沖縄ノート」の著書大江健三郎さんと岩波書店、そして新崎盛暉さんを大阪地裁に訴えたことに起因する。

 “集団自決”が行われた慶留間、渡嘉敷、座間味で一体、どのようにして“集団自決”が始まり、終わったのか、そして、なぜ集団自決が起きたのか、これから詳しく検証しよう。

 読者の多くは自決命令があったかなかったか既に結論を出しているはずだ。この物語を読む前に、読者は頭を白紙にする。つまり結論は最後に下すことだ。いかなる結論を下すにしても、検証の前に結論があっては、真実は見えてこない。

 先ず、慶留間と渡嘉敷で住民の“集団自殺”を目撃したグレン・シァレス伍長の証言から始めよう。 シァレス伍長は第1話でも重要な証言をしてくれた。第77師団306連隊第1大隊A中隊の歩兵である。

 

-つづく


ウチナー口の秘密 3

2013-03-26 09:22:34 | ウチナー口の秘密

~その起源は梵語だ~ 3

 ぼくは梵語によってウチナー口の起源を掘り起こす作業を本格的に始めてまだ日は浅い。 ほんの5年ほどでしかない。

 梵語の基本であるサンスクリット語とパーリ語の発言と文法には手を焼いている。 その表記も同じだ。 梵字は全て同じように見える。 残念だが梵字はブログでは表示が難しい。 それをアルファベット風に換えて表記しているのだが、 その文字はアルファベットではない。 その”置換梵字”をこのブログで表記してくれないかと、ホームページを手伝っている屋比久君に頼んだが、難しいと言う。 ところが、つい2,3日前に彼がラテン語の文字表を持ってきて、これで代用できないか、と言った。 すると、全ての”置換梵字”がそこに揃っていたのだ。 なんとサンスクリット語やパーリ語の表記は実はラテン語文字だったということになる。 これは案外、梵字研究家も知らないのではないか。 ラテン語とサンスクリット語を研究している学者は極めて少ないはずだ。 ともかくも、この「ウチナー口の秘密」はこれでやり易くなった。 (但し、ブログで表示させるためには単純に文字を入力すればいいというわけではなく、画像に変換しなければならないようで、その作業も単純ではなく苦労しているようだ) 全てのウチナー口の起源であるサンスクリット語あるいはパーリ語はラテン語表記にして、その起源を明確にしよう。

 ── 浦添やうどれ(ウラシーヨードレ)という霊廟がある。 浦添は今ではウラソエと発音しているが、意味は不明だ。 ヨードレは夕凪のことだと説明されているが、その根拠はない。 実はウラシーの語源はサンスクリット語の(ウラーサ)で、その意味は歓喜あるいは幸福だ。 ヨードレの語源は(ヨードゥリュ)で、意味は戦士、勇士だ。 (oはオーと長音で発音されることに注意) 浦添やうどれとは、ここが”至福の勇士”たちの霊廟であることがわかる。

 数年前、浦添やうどれの発掘調査が行われたが、大きな棺に遺骨が無造作に放置されているが、その理由は誰も知らない。 いや、実はぼくと山里孫存はその理由解明の鍵を握っているが、まだ発表の時期ではない。 そこには、とてつもない秘密が隠されているのだ。そのうち、アッと驚くスクープが発表されるだろう。 それまで、読者は楽しみに待ってくれよ。


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