今、沖縄の新聞は「軍命による集団自決」が教科書から削除されようとしている問題で国に対して厳しい批判を展開している。
この問題は渡嘉敷の海上挺進第三戦隊戦隊長であった故赤松嘉次さんの弟と座間味の海上挺進隊第一戦隊戦隊長であった梅澤裕さんが「自決命令を出していない」として、その名誉を傷付けたとされる「沖縄ノート」の著書大江健三郎さんと岩波書店、そして新崎盛暉さんを大阪地裁に訴えたことに起因する。
“集団自決”が行われた慶留間、渡嘉敷、座間味で一体、どのようにして“集団自決”が始まり、終わったのか、そして、なぜ集団自決が起きたのか、これから詳しく検証しよう。
読者の多くは自決命令があったかなかったか既に結論を出しているはずだ。この物語を読む前に、読者は頭を白紙にする。つまり結論は最後に下すことだ。いかなる結論を下すにしても、検証の前に結論があっては、真実は見えてこない。
先ず、慶留間と渡嘉敷で住民の“集団自殺”を目撃したグレン・シァレス伍長の証言から始めよう。 シァレス伍長は第1話でも重要な証言をしてくれた。第77師団306連隊第1大隊A中隊の歩兵である。
-つづく