上原正稔日記

ドキュメンタリー作家の上原正稔(しょうねん)が綴る日記です。
この日記はドキュメンタリーでフィクションではありません。

ウチナー口の秘密 2

2013-03-05 09:20:32 | ウチナー口の秘密

~その起源は梵語だ~ 2

 ぼくは毎日、散歩に出る。 必ず誰かとすれ違う。 その人には必ず名前がある。 沖縄には奇妙な名前の人がほとんどだ。 謝名(ジャナ)、 屋比久(ヤビク)、喜屋武(キャン)、我如古(ガネコ)、伊波(イハ)、照屋(テルヤ)、目取真(メドルマ)、我謝(ガジャ)・・・ 意味の分からない人名がほとんどだ。 人名のほとんどは地名でもある。 那覇、首里、北谷(チャタン)、嘉手納(カディナ)・・・ 全く意味不明だ。 那覇という中国語はない。 首里という中国語もない。 ぼくの出身地の糸満(イトマン)という中国語もない。

 「城」をなぜグスク、あるいはグシクと発音するのか、誰も知らない。 だから金城(カナグシク)をキンジョウと呼んだり、大城(ウフグスク)をオオシロと呼んだり、玉城(タマグスク)をタマシロとかタマキと呼んでも誰も気にしない。 キンジョウ・ジローやオオシロ・タツヒロが気の毒だ。

 那覇港内の海上に森もないのに屋良座森城(ヤラザムイグスク)と名付けたのはなぜか、誰も知らないし、知ろうともしない。 首里城入口にそっと佇(たたず)む園比屋武御嶽(スヌヒャンウタキ)の意味を誰も知らない。 なぜ、あちらこちらに奥武(オー)という地名があるのか、誰も考えようともしない。 これではナイナイ尽くしの謎の島だ。

 歴史家とか歴史研究家と称する者は数多い。 しかし、どれだけ本を読もうと、どれだけ本を書こうと、「身の回りの現象」を理解し、説明できなければ何の意味もない。 今ぼくらの身の回りにある「人」と「物」を理解し、説明できてこそ本物だ。

 このブログの読者諸君はもう悩まなくてよい。 諸君も本物になるのだ。 全ての人名、地名、行事、民謡、おもろさうし、などの謎を解明する方法が発見された! 

 それが梵語、すなわち仏教語だ。

 読者の中には「うらそえ文藝」の「ウチナー口の秘密の扉が開かれた ─その鍵は梵語だ─」を既に読まれた方もいるだろう。 しかし、雑多に言葉を並べた印象しか残っていないものと思う。 詳しく解説しなかったからだ。

 今日は城(グスク)の語源について解説しよう。

 「おもろさうし」では「グスク」とか「グシク」の表記はない。 全て「クシク」と表記されている。 そこでサンスクリット辞典で調べると(クシカ)が出てくる。 その意味は「王」だ。 わずか、一、二行の説明だが、ここまで来るには実際には長い長い時間が必要だ。 「城」は「王」の居住する所だから「クシカ」に「城」を充てたことがわかる。 これから玉城の意味が明確になる。 「王城」ではないことに注意しよう。 サンスクリット語の「ターマ」は憧憬(あこがれ)を意味することから「玉城(ターマクシカ)」は「憧れの王様」というのが語源だと判明する。 金城(カナクシカ)は(カナカ=黄金)とクシカ(王)の組み合わせでカナカクシカ⇒カナクシカ(黄金の王様)だと判明する。 大城(ウフグスク)は大きな城を意味しないことに注意しよう。 八重山の「大浜」は「ホーマ」と発音し、サンスクリット語の(ホーマ)で梵語表記で護摩(ホーマ)すなわち神聖な火にくべる祭を意味する。 日本の仏教語でゴマと発音されるようになったものだ。 すなわち「神聖な祭」とクシカ(王)を組み合わせてウフクシカ、大城と表記されるようになったもの。 大城(ウフクシカ)とは「神聖な祭の王」が語源だ。 池城(イケグスク)とは(エーカクシカ)が語源だ。 「エーカ」とはサンスクリットで「1」を意味し、それから一番とか一族の意味に発展し、ナンバーワンの王様を意味する。 新城(アラグスク)とはアーリャ・クシカが語源で、アーリャは「尊敬すべき」を意味し、クシカは「王」だからアーリャ・クシカとは「尊敬すべき王様」を意味する。


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