前回の続き
~1フィート運動騒動記~ 20-11
「未来への墓標」のもう一人の編集委員が真栄里泰山だ。 この男も大田昌秀、福地曠昭、石川元平、まよなかしんやに負けず劣らずの良心のマヒした「嘘つき」だ。 編集委員の特権を活かして4つの論説を載せて、「オレはエラいんだ」と威張り腐っている。
「初代事務局長の外間政彰さん」というタイトルのユクシ(嘘)はオモシロク読ませてもらった。
「外間さんが那覇市立図書館長の定年を迎える頃、沖縄戦フィルムを沖縄で購入する運動をしようとの話が持ち上がり、その事務局長人事の相談があったわけです。 その頃、琉球大学の我部政男さんから当時那覇市編集担当だった私に相談がきたわけです。 即座にこれは外間さん以外に適任者はいないということで一致し、外間さんの事務局長就任を前提に、1フィート運動の会が1983年12月8日発表することになったわけです。」
といかにも自分が主導して1フィート運動を創ったようなことを言っている。
上原正稔が組織の全てを決定したのであり、事務局長は上原ただ一人であり、後は大泥棒軍団にすぎないことを指摘しておこう。 真栄里は沖縄大学の理事であり、共産党員だ。 こういった腐り切った男が沖縄をダメにしたのだ。
上原正稔が創り上げ、奪われたことについては一言も述べず、全く無関係の男が平気で嘘を並べて、「知識人ぶる」。 ぞっとするばかりだ。 ぞっとする怪談の続きの中で詳しいことを述べることにして、真栄里泰山の嘘とハッタリの世界を覗いてみよう。
彼は全く英語も話せず、アメリカ公文書館に1991年に訪ね、フィルム調査したことを延々と語り、戻ってきたらアメリカについて全てを知ったようなことを書いている。
「1フィート運動騒動記 20-1」で指摘したが、3月14日の沖縄タイムス社会面は1984年5月16日の那覇市民会館ホールを埋め尽くした観衆の写真を大きく載せ、次のように報じた。
「歴史研究者有志が沖縄戦を考える会を結成した頃、”アメリカ公文書館に沖縄戦のフィルムがある”との情報が入り、『考える会』の真栄里泰山さん(68)は映像を有志で集めよう。 と1フィートの会を1983年に結成し、翌年がフィルムが届き、初の上映会が開かれた、と語る。」
と報じている。
さらに3月16日の琉球新報は
「1983年の会発足後、初の上映会で映像解説した理事の真栄里泰山さんは”集まった人は皆、肉親を捜そうと必死に映像を見ていた。 あの光景は何と表現していいのか分からない”と振り返る」
と報じた。
上原正稔がその上映会を企画し、宮里千里らが協力し、上原が映像を解説し、上原は超満員の観衆の前で挨拶をしたのだ。 1フィート運動の立役者としてそれはテレビの映像に残されている。 新聞紙上でも、記念誌でもこれだけ嘘を並べて、読者を騙しているのだが、この完全に良心のマヒした男は大田昌秀、福地曠昭、石川元平らと共に精神病棟に閉じ込めるべきだ。 いや、沖縄は既に精神病島(棟)になっているから、その必要はないのか。
─つづく