上原正稔日記

ドキュメンタリー作家の上原正稔(しょうねん)が綴る日記です。
この日記はドキュメンタリーでフィクションではありません。

沖縄をダメにした百人 22

2013-02-28 09:06:23 | 沖縄をダメにした百人

~1フィート運動騒動記~ 7

 ぼくは12月中旬からの沖縄タイムス琉球新報の伝える「1フィート運動の活動に幕」についての福地の発言を取り上げ、「自然発生的に子供たちの100円カンパで始まった運動とか、県民一人一人が参加して作った運動とか、積極的な解散だ。 解散しても運動の火が消えるわけではもない」と嘘を並べて、自分たちが人々の善意を食い物にし、経営できなくなって、大失敗してしまったことを全く反省していない態度を非難した。 そして1枚の原稿を取り出した。 「お前らは読んでいないかも知れないが、これは俺が2008年琉球新報で連載した「パンドラの箱を開ける時」の最終章の原稿の一節だ。 1フィート運動について書いたものだ。 よく聞けよ。 

==そうした裏でぼくの「1フィート運動を乗っ取る動きが進行していたのだ。 婦人連合会は1フィート運動の事務所を婦人連合会内部に持ち込もうと画策し、ある政党(共産党のこと)の連中はぼくの追い出し工作を図書館内で連日、進めていた。 沖縄教職員会福地もぼくを事務局長から外し、那覇市職労君に事務局長になるよう打診していた。 彼らはぼくが集めた一千万円の寄付金も、机も、電話も全て取り上げた。 運営委員会がぼくに連絡もなく開かれ、国会で上映会を開く話に彼らが熱中している中に、ぼくは乗り込んで、怒り心頭に発して叫んだ。 「これは一体なんだ。 これは乗っ取りだぞ。 ぼくは明日にでも記者会見して発表するぞ。」 仲宗根政善は「上原君、君がそんなことをすれば、せっかくの運動も丸つぶれになる。 我慢してくれないか」と懇願した。 大田昌秀は「私のメンツを潰してくれるな」と怒鳴った。 こうして、ぼくが作った「1フィート運動」を乗っ取られてしまった。==

 ぼくはこの原稿を読み上げて、七人の愚男愚女に目を向けると、誰も聞いていないことに気がついた。 奴らは記者会見の席で罵倒されて、嘘つき呼ばわりされて、すっかり正気を失って他人(ひと)の話を聞くどころではなかったのだ。

 この原稿の一節にはさらに裏話がある。 2008年8月下旬、ぼくが「パンドラの箱を開ける時」の180回 最終章 ─そして人生は続く」でこの原稿を琉球新報に送った時、高嶺朝一社長を始め、幹部が編集会議を開き、「これはちょっとキツいんじゃないか」とぼくに書き直しを頼んできた。 その時には、不愉快であったが、大したことではなかったから、当たり障りのないものに書き直して送った。 最終稿181回に、ぼくは赤松嘉次さんと梅澤裕さんが集団自決を命じていないことを理路整然と短くまとめて、原稿を送ったところ、またも、高嶺社長始め琉球新報幹部が編集会議を開いて、書き換えを頼んできた。 ぼくは高嶺社長に代わって電話をしてきた名城知二朗に「絶対に書き換えない」と告げた。 本来、ぼくには著作権があり、誰も書き換えやあれを書けとか著作内容を指示できないものだ。 詳しいやり取りは控訴審で明らかにするが、ぼくは書き換えを断固拒否した。

 ところが、何と、琉球新報の翌日の新聞には最終稿が発表されなかったのだ。 琉球新報は「赤松さんと梅澤さんの汚名を晴らす」ぼくの最終稿をボツにするという前代未聞の愚挙に出たのだ。 これが、今ぼくが琉球新報を訴えている理由の一つになっている。 そして歴史は誰にも先を読むことはできないのだが、あの時、「大したことではなかった」1フィート運動の内幕が大きな意味を持って今、読者に伝えられている。


沖縄をダメにした百人 21

2013-02-27 09:38:20 | 沖縄をダメにした百人

~1フィート運動騒動記~ 6

福地と石川の二人がひた隠しにしている600本の沖縄戦DVDには裏話がある。

大田昌秀知事の一の子分であった故宮城悦二郎県公文書館館長の命によって英語の達者な(実名を記さないのは彼が「沖縄をダメにした百人」とは関係ないからだ)はメリーランドに長期滞在し、アメリカ公文書館の沖縄関係資料を集めていたが、その資料の中の沖縄戦フィルムを調べ上げ、あるフィルム・リサーチ会社を通して全ての沖縄戦フィルムを県公文書館が購入する約束をした。

2007年と2010年にアメリカ公文書館を訪れた上原(ぼくのこと)はニュースをそのリサーチ会社で知り、もヤルねと思った。 ところが、沖縄県庁は予算がない、という理由で公文書館予算を凍結し、沖縄戦フィルムを含め、全ての資料の入手をストップし、それは今も続いている。 この件はと話したことはないが、Nがそのフィルム・リサーチ会社に対し、不義理をして、辛い想いをしたことは明らかだ。 その後、沖縄NHKが沖縄戦フィルムの収集の件でに問い合わせしたところ、NHKは何の苦もなく全ての情報を手に入れ、直ちに600本のDVDも手に入れることができたのである。

 その協力に対して、NHKは県公文書館に全てのDVDを贈与し、ついでに長年フィルム入手もせず、反戦平和のかけ声ばかり出して声も枯れかけている1フィート運動事務局にも情をかけて贈与した、という経緯がある。

 その600本のDVD石川元平沖縄県学校用品株式会社の手に渡っていることは明らかだ。 ゴミ屑と化し、使い物にならない全ての35ミリフィルムは県公文書館に”贈呈”するという話は出ても、肝心のDVDの話が表に出たことはないことが、その証拠だ。 臭い物にフタではなく、ウマい物にフタをしているのだ。

 話を解散記者会見の場に戻そう。

 福地曠昭は目線を三十度から今では四十五度に落とし、唇をへの字に曲げ、ブルブル震わせている。 右奥の方で目の色を変え、身体半分前に乗り出して、言葉が出る前に口をパクパクさせている、頭には雑巾を巻いた男が抗議した。 「上原さん、あなたがこの運動を創ったことは認めるが、ここは僕らの記者会見の場所ですよ。後であなたの会見の場所を設定したらどうですか」

 記者会見で嘘を並べることが、そんなに大事なことなのか。 ぼくはこの雑巾を頭にした男に言った。 「お前は真っ昼間から、マヨナカ・シンヤと言って世の中を暗くしている奴だな。 お前は糸満出身の共産党員だな。 糸満のウミンチュは嘘を言わないものだ。 海の魚は嘘は言わないが、お前は嘘ばっかし歌っている。」 1フィート運動を利用して、下手な反戦平和の歌をガチャガチャ演奏して人生のウサ晴らしをしている。 事務局長のまよなかしんやは口を開けたまま、沈んだ。

 この男はつい、2,3年前にも図書館でバッタリ出会った時にも、「ぼくが乗っ取られた1フィート運動を利用して歌を歌って見苦しいぞ」と叱ったが、ちっとも反省しない。

 そう、大田昌秀にしろ、福地曠昭にしろ、石川元平にしろ、新崎盛暉にしろ、沖縄のエセ文化人の一つの共通項が「反省しない」ということだ。

 

上原正稔に叱られている、まよなかしんや

 

 

上原正稔が記者会見の場を去った後、生き返り説明をする"反省しない"まよなかしんや


沖縄をダメにした百人 20

2013-02-26 09:40:48 | 沖縄をダメにした百人

~1フィート運動騒動記~ 5

新崎盛暉、お前は名誉教授だと抜かしているが、お前は不名誉教授だ。大学など辞めろ。」

 ぼくはカバンから1フィート事務局が発行した記念誌を出して、叱りつけた。 「お前はこの中で俺のことは一言も書いていないぞ。お前が委員になったのは俺がお前に協力を頼んだからだ。

 しかし、この卑怯者の大学教授はぼくが悪党どもに1フィート運動を乗っ取られるのを目の前にしながら、知らんふりし、記念誌でも嘘を書き連ねていた。 そして彼は・・・何とか平和賞を数年前に貰って嬉々としているような奴だ。 人間失格だ。

 しかし、ぼくの目の前で「1フィート運動を創ったのはあなたです。」と言いながら「今、大事な記者会見が開かれているから、引っ込んでくれないか」と言っている。

 1フィート運動の醜い実態を隠そうとしているどころか、悪事に加担している。こういう偽善者が大学の名誉教授として大手を振って歩き回っているのが沖縄の文化のレベルの低俗さを示している。

 ぼくが新崎盛暉に怒鳴りつけている間、ぼくの後ろに控えている記者団はビックリ仰天しながらも、次にぼくが何を言うか息を呑んで待っている。 天性の嘘つきのハクチ、いや福地曠昭は相変わらず、目を落とし、文句も言えず、黙っている。 福地の右側に座っていた石川元平が腰を浮かして、「ここは私たちの記者会見の場所だから、あなたは別に記者会見の場所を設けてはどうか」と困惑と怒りの表情を浮かべてマクし立てた。 この男は元沖教組のボスで今は沖縄県学校用品株式会社という生徒たちを食い物にしている会社の社長で、1フィート運動に途中から入り込んで副代表におさまっている。 最近の報道では福地代表と覚書を交わし、その資産を買い取り、一儲けを企んでいることは先に述べた。

 ぼくは一喝した。 「黙れ! イシカワ・ガンペイ、お前は元沖教組の代表でもう一人の元沖教組の代表だったフクチと覚え書きを交わしているな。」 これだけでもオカしいことなのに、1フィート運動の代表と副代表が覚え書きを交わして、1フィート運動の資産を売却することは人の道に反するし、違法行為だ。 新聞も真実を伝えないが、1フィート運動が集めた35ミリフィルムは今では骨董屋も引き取らない、使い道のないものだ。 1フィート運動のメンバーは誰もこのフィルムを見たものはいない。 宝の持ち腐れで、今はゴミ屑になっている。

 新聞もテレビも伝えないが、1フィート運動事務局に残された宝物は約600本の沖縄戦DVDだ。 このDVDは事務局がアメリカの公文書館から取り寄せたものではない。 これは実は「寄贈」されたものだ。 その「寄贈」の背景には次のような誰も知らない事情があった


沖縄をダメにした百人 19

2013-02-25 10:49:26 | 沖縄をダメにした百人

~1フィート運動騒動記~ 4

 記者会見場を埋め尽くしたマスコミ人の中に錦古里という人物がいた。 錦古里は偏向報道を続けている沖縄の新聞とメディアの状況を憂い、左翼文化人や政治家が沖縄をダメにしている現状を嘆き、赤松嘉次さんと梅澤裕さんの汚名を晴らそうとする上原正稔という一作家を琉球新報の悪徳記者団が言論弾圧を加えているのに怒り、「三善会」を組織し、上原正稔vs琉球新報の裁判を支援してくれている頼もしい人物だ。 しかも、全て無給奉仕で頑張っている今どき、珍しい人間だ。

 彼が質問を投げた。 「1フィート運動を創設した上原正稔さんがよく言っていますが、沖縄戦フィルムの中に自分の姿や家族の姿を発見した人たちは、心が解き放たれ、そこに自分の全人生を見て感動する。 反米や反日本軍の無惨な反戦映画を作るのではなく、人を感動させる映画が生まれるのです。 上原さんが制作した映画(『そしてぼくらは生き残った』 2004年)が終わった時、観客は感動して拍手喝采したそうですよ。 そういう映画を作るつもりはなかったんですか?」

 これに対し、沖縄大学の新崎盛暉名誉教授が答えた。 彼は明らかに質問を誤解して、1984年上原正稔がアメリカ公文書館から選び抜かれた12本のフィルムを持ち帰り、那覇市民会館で1フィート運動の最初の上映会を催し、超満員の盛況だったことを思い出し、的外れの答えをした。 しかし、上原の名は出さず、「あれは確かに大反響を呼びました。私は運動の成功を確信しました」という旨の発言をした。 知ったかぶりで、新崎が話を続けようとした時、ぼくはツカツカと記者団の中央に歩み寄り、肩から黒いカバンを外し、首に巻いたマフラーをほどき、テーブルの上に畳んで置いた。 そして、仁王立ちしたまま、目の前の7人の悪党をジロリと眺め回した。 

 ぼくは目の前に座って、エラそうにすましこんでいる偽善者たちの面(ツラ)を見ると、いよいよ怒りが込み上げてきた。

この運動を創ったのは俺だぞ! 運動を奪って潰したのはお前らだ! 今日は1フィート運動が集団自決するのを見届けにきたんだ。 オイ! フクチ、いや、お前は嘘ばかり並べて、ハクチ(白痴)だ。」 

福地はいつものように目を下に向け黙っている。 新崎が「確かに、1フィート運動を創ったのはあなただ。 しかし、今日は記者会見の場だから・・・」と言いかけると、ぼくはいよいよ腹を立て、「オイ、ダマレ! アラサキモリテル、お前は俺が1フィート運動を創ったことを知っているな」 「ハイ、確かにあなたです」 その間、7人の愚男愚女は声もなく、ただオロオロしている。

 


沖縄をダメにした百人 18

2013-02-24 09:27:57 | 沖縄をダメにした百人

~1フィート運動騒動記~ 3

 1フィート運動は自然発生的に子どもたちの100円カンパで始まった? カマス(麻袋)に集めたお金を数えるのがとても大変だった?

よくもシャーシャーと、こんな大嘘がつけるもんだ。 大した老人だよ、福地君。 これが真っ赤な嘘だと完全に証明するのは後にして、先に進もう。

 同じ12月15日、沖縄タイムスは薄笑いを浮かべた福地曠昭代表と石川元平副代表の顔写真を載せ、「1フィート作品版権譲渡」を報道した。 つまり、1フィート代表の福地は副代表の石川沖縄県学校用品株式会社に在庫の映像作品を譲渡し、版権も譲渡したというのだ。

 その理由は明白だ。 報道されないが、1フィート事務局は数百万円の借金を抱え、経営が成り立たず、事実上数年前から破産していたのだ。 1フィート運動事務局の資産を石川元平が社長に就いている学校用品株式会社が安い値段で買い取り、1フィート事務局は借金を残さず解散できるという算段であることは子どもでも知り得ることだ。 石川社長は「学校生協の全国ネットワークを生かし、県内外に作品を広めていきたい」つまり一儲けできると宣言しているのだ。 全く呆れた話だ。

 そして、その後、数回に亘って新聞は嘘八百のニュースを流していたが、ぼくの耳に12月27日に1フィート運動の解散記者会見が開かれるという情報が入ってきた。 しかし、その報道はない。 友人が事務局に電話を入れ、確認を取ろうとするが、「確かに記者会見はしますが、時間や場所は教えられない。」とかなりピリピリしているとのこと。 奴らが何を恐れているか、誰を恐れているか、すぐ明らかになる。

 記者会見の日、ぼくは予定の午後2時よりわざと遅れて県庁記者クラブに向かった。 会見室には琉球新報沖縄タイムス朝日読売毎日などほとんど全ての全国紙の記者とNHK琉球放送沖縄テレビQABなどの記者とカメラマンがギッシリ詰めかけている。 そこにはこれから始まる前代未聞の事態の全てをビデオカメラで撮影することになるチーム沖縄佐久川聖(ひじり)がじっと控えていることには誰も気付かない。 ぼくもその時には全く気付かない。 その向かいに7人のマジメ腐った顔が横一列に並んでいる。 

 ぼくは記者団の正面から入室したので1フィート運動のメンバーたちは、ぼくに気付かない。 1フィート運動代表の福地曠昭がボソボソと原稿を読んでいる。 1フィート運動がいかに始まったか、一切語らず、自分たちが数々の賞を貰ったことを自慢し、自分たちが1フィート運動で人々の善意を食いつぶし、破滅したことを一切語らず、自画自賛の長ったらしい原稿だった。 記者団が居眠りをしないのが不思議だった。

 

 

 


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