上原正稔日記

ドキュメンタリー作家の上原正稔(しょうねん)が綴る日記です。
この日記はドキュメンタリーでフィクションではありません。

沖縄をダメにした百人 25

2013-03-06 09:06:27 | 沖縄をダメにした百人

~1フィート運動騒動記~ 10

 一か月余前の1月26日、沖縄タイムスは「1フィートの会 フィルム 公文書館に寄贈へ」の見出しで、NPO法人「沖縄戦記録フィルム1フィート運動の会」が寄付を元手に米国で収集した35ミリフィルムを県公文書館に寄贈することを大々的に報道した。 なぜか、琉球新報の報道はなかった。 県公文書館から5人の職員が旧琉球新報ビル5階の事務局で3時間余りかけてフィルムを点検した。

 その日の沖縄タイムスの報道の中で

 ─点検に立ち会った同会の真栄里泰山理事(68)は「現事務局では管理が難しい。県公文書館なら適切に保存してもらえるので安心」と述べた─

としている。 実は七、八年前から1フィート運動のまよなかしんや事務局長は県公文書館に、この使い物にならないフィルムの保管を頼んだが、図々しいと断られていた。 真栄里泰山は押しつけがましい口調で「1フィート運動の延長線上に県公文書館がある。」と述べ、「米軍による国際法違反の住民虐殺を撮ったフィルムが未公開のまま米軍内に残っているはず。 志を継いで収集を続けて欲しい」と要望しているのだ。 そう、図々しくて厚かましいのがエセ文化人の共通項の一つだ。

 ここではっきりさせておくが、真栄里泰山共産党員であり、ぼくが1フィート運動を乗っ取られてから1フィート運動のメンバーになった那覇市職員だった。 乗っ取られてから数年後、市役所前で彼とバッタリ会い、ぼくは尋ねた。 「君はいつから1フィート運動の委員になったんだね」 真栄里は堂々と「私は設立の最初から委員だ」と言ったもんだ。 ぼくは怒鳴った。 「嘘つき野郎が! この運動はぼくが創立して乗っ取られたんだ!」 全く呆れたものだ。

 ぼくがこの「1フィート運動騒動記」で指摘したが、このフィルムは35ミリのフィルムで時代遅れで、骨董屋も見向きもしないシロ物なのだ。 しかも、NHKから県公文書館と1フィート運動事務局に贈呈された600本のDVDには1フィート運動が収集したフィルムの全てが含まれているのだから、公文書館にとってはありがた迷惑な贈り物だ。 ところが、公文書館職員もDVD全てを見たものがおらず、一応受け取ったが、それを使用することはありえない。 そして前にもぼくは指摘したが、あの600本のDVDの話は琉球新報沖縄タイムス報道しないが、あの福地曠昭石川元平の代表、副代表の詳細な内容が伏せられている覚え書きによって、石川元平の「沖縄県学校用品株式会社」の手に渡っていることは間違いない。 その譲渡金額についての報道もない。 都合の悪いことを隠すという、実に悲惨な習性が身についているのは琉球新報沖縄タイムスに限らず、沖縄の「反戦平和」を叫ぶエセ文化人の特質だ。

 ぼくは1984年4月、フィルム調査員のリチャード・プレリンジャーから沖縄戦のフィルムを受け取るためにアメリカに向かったが、その時までに既に1000万円の寄付が沖縄県だけでなく全国から集まり、寄付してくれた人々全ての氏名、住所、金額を記した記録を残していた。 その記録が事務局にあるかどうかも不明だ。奴らが主導権争いの醜い戦いをしていたことはこれから明らかにする。 奴らは12月27日のあのドラマチックかマンガチックかわからない記者会見で、3月15日(あと10日もないが)に1フィート運動最後のつまり、まとめの記念誌を発行すると言ったが、奴ら自身の醜い真相が出てくることは全く期待できない。

 1フィート運動を創り、乗っ取られた上原正稔愛すべき不良少年たちに対する謝罪も弁解もないのは確かだ。


ランクアップのご協力お願いします。


沖縄 ブログランキングへ