草むしりしながら

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草むしり作「ヨモちゃんと僕」後5

2019-09-25 05:48:44 | 草むしり作「ヨモちゃんと僕」
草むしり作「ヨモちゃんと僕」後5

(夏)ネコは何かを我慢している⑤

「あっ、ヨモちゃんだ」
 納屋の軒下にヨモちゃんがいました。
「今、星が流れた……」
 ぼくは言いかけた言葉を飲み込んで、その場に立ち止まりました。腰を低く落として納屋の中を覗き込んでいるヨモちゃんは、振り向きもしません。そのままの姿勢で、尻尾を地面すれすれに気ぜわしそうに振っています。それは来るなという合図です。
あっ、突然ヨモちゃんが納屋の中に飛び込みました。
「………」
 ネズミだ。ネズミの鳴き声が聞こえたと思ったら、ヨモちゃんが納屋から飛び出してきました。
「ダメ」
 ネズミをもらおうとして走り寄ったぼくは、ヨモちゃんに追い払われました。
「お母さんにあげるンだから」
 ヨモちゃんはネズミを口にくわえて、明かりの消えた窓の下に走って行きました。
「お母さん大好き」
 ヨモちゃんは窓の下にネズミを置いて、納屋に戻っていきました。
「お母さん大好き」
 ぼくもカナブンをネズミの隣に並べて置いて、納屋に入っていきました。納屋の中にはクワやカマ、エンジンの付いた草刈機やチェーンソー、肥料の入ったビニール袋や、灯油を入れるポリ容器など、多種多様の物がしまい込まれています。この春お父さんが竹林に張った網も、小さく折りたたまれて棚の上に置かれていました。

 倉庫にしまいきれなかったのか、空のコンテナも入口近くに高く積み上げられています。ヨモちゃんはコンテナの後ろに隠れて、ネズミの歯型の残ったジャガイモを見ていました。
「ダメ」
 ヨモちゃんの尻尾がゆれました。ヨモちゃんがダメだというのは絶対にダメです。ぼくは立ち止まったままその場に座りこみ、息をひそめてネズミが出てくるのを待ちました。

 でもそんな時に限ってぼくの鼻の頭は痒くなるのでした。以前にも何度かネズミを捕まえようとしたことがありました。物陰に隠れてあともう少しというところで、どうしても鼻がムズムズしてくるのです。たぶんもうじきネズミが出てくるのでしょう。
「ああもう我慢できない、掻いちゃえ」
「何やっているのよ」
「ごめんなさい。もうしません」
 我慢できなくて鼻を掻こうとしたら、ヨモちゃんにパンチを喰らってしまいました。どうやらネズミに気づかれて、逃げられてしまったようです。こういう時には逃げるが勝ち。ぼくは急いでコンテナの上に駆け上がりました。
 ヨモちゃんは嫌な顔をしてコンテナの下からぼくを睨むと、灯油の入ったポリ容器の後ろに隠れ場所を替えました。ぼくは思う存分鼻の頭を掻いてから、コンテナの上に座りこみました。

「………」
 首がコトンと横に傾いて、ぼくはハッとなって目が覚めました。しまった。不覚にも眠ってしまったようです。ぼくは大きなあくびを一つしました。緊張が極限に達し心拍数が低くなり、体の中が酸欠状態になったので、酸素を補給したまでです。でもどうひいき目に見ても、のん気にあくびをしているようにしか見えませんね。
「あっ」
 ヨモちゃんがネズミを仕留めたようです。でもあくびの途中だったので、ネズミに飛びかかるところを見逃してしまいました。ネズミを口にくわえたヨモちゃんがぼくを睨んでいます。
「ダメ、お父さんにあげるンだから」
「ちょうだい」ってぼくが言う前に、断られてしまいした。でもヨモちゃんはお父さんにあげると言った割には、ネズミで遊び始めました。
 チョンチョンチョン、ポーン。ネズミを高く放り上げて空中でキャッチ、しばらくその場に置いてひと休み。ネズミはその隙に必死で逃げようとするのですが…。ヨモちゃんの方は余裕しゃくしゃく。逃げるネズミを横目で見ながら知らん顔。ネズミが壁際まで逃げ切ったところで、またしても飛びかかり、口にくわえて元の場所に運んで来ました。
「ぼくも入れてよ」
「ダメ」

 コンテナから降りようとするぼくを、ヨモちゃんがおっかない顔で睨みました。ところがその隙にネズミが逃げ出して、棚の後ろに隠れてしまいました。もとは小学校の図書館の本棚だったという棚は、三段に仕切られていて、細々としたものをしまうにはちょうどいい大きさです。古くからある四つの小学校を統合して、新しい学校ができたのが五年前になります。その時に古い学校のいらなくなった備品を、お父さんが貰ってきたのです。
 
 納屋に置かれた棚の横には、クワやスコップなどの比較的大きな道具が立てかけられています。ネズミはそこに逃げ込んだようです。クワとツルハシの間の隙間に前脚を突っ込んで、ヨモちゃんがネズミを追い出しています。出て来たネズミを口にくえて、振り向こうとしているヨモちゃんのようすが変です。どうやら柱に打ち付けられた釘に、首輪をひっかけてしまったようです。釘の先はぼくの尻尾の先のように曲がっていて、一旦引っかかるとなかなか外せません。ヨモちゃんは首をしきりに傾けています。

「どうしよう。お父さん呼んでこようかな」
 ぼくがコンテナから降りようとした時でした。ヨモちゃんが首を大きくかしげたままグイと引っ張りました。プッンと止めがねが外れて、ポロリと首輪が落ちました。
「なんだ、首輪って簡単に外せるンだ」。
 ぼくはちょっと意外な気がしました。
「お父さんにあげるンだから、ついて来たらダメだよ」
 ヨモちゃんはネズミをくわえて納屋の外に出て行きました。後にはヨモちゃんの首輪がポツリと落ちていました。ヨモちゃんの首輪はきれいなピンク色をしています。ぼくの首輪は黄色で、小さなハートの飾りが付いています。

「フサオ。あんた色が黒いから黄色がよう似合ちょるねぇ」
 この前、回覧板を持ってきたおサちゃんが誉めてくれました。おサちゃんは、黒と茶色の縞模様の地味な毛色には、黄色が良く似合うと言いたいのだと思います。おサちゃんに誉められたからだけではないのですが、黄色い首輪はぼくのお気に入りです。釘などに引っかけないように気をつけなければ。
 


草むしり作「ヨモちゃんと僕」後6

2019-09-25 05:48:00 | 草むしり作「ヨモちゃんと僕」
草むしり作「ヨモちゃんと僕」後6
(夏)ネコは何かを我慢している⑥

 夏の夜明けは早く、朝もやの中から足音が近づいて来ました。足音を聞きつけて、ヨモちゃんが軽トラックの運転席の屋根の上から飛び降りてきました。ネズミはもうくわえてはいません。
「えっ、ヨモちゃん。お父さんにあげるって言っていたけど、もしかして軽トラの屋根の上に置いて来たの。そんなところに置いたら、お父さんいつまでたっても気がつかないよ」
 ぼくはヨモちゃんに忠告しようと思ったのですが、新聞配達のおじさんの姿が見えたので、そのままコンテナの後ろに隠れてしまいました。相変わらずぼくはビビリ虫のままです。

「子供の時に人間にいじめられて、よっぽど怖い思いをしたようだな。かわいそうに」
 お父さんはぼくが隠れるたびに、そう言います。この家を訪ねてくる人は優しくって、ぼくを保健所に連れて行く人なんていません。それは分かっているのですが、どうしても誰かが来ると隠れてしまうのです。ユミコとトキオが来たらどうしようか。どこかに隠れていようかなって、今から心配しています。

 新聞はこの春からおじさんが配達をするようになりました。それまでは中学生のお兄さんが自転車で配達をしていたのですが、高校生になったのを機に新聞配達を止めてしまったのです。おじさんは定年退職したばかりで、運動のために歩いて新聞の配達をしています。 
 ヨモちゃんはおじさんの足元に駆け寄り、ゴロリと仰向けになって寝ころびました。そして背中を地面にこすりつけながらクネクネと体を動かしています。顔を横に向け前脚でこすりながら、おじさんの方にチラリと視線を投げかけます。

 出ましたヨモちゃんのラブリー攻撃。ヨモちゃんのこの攻撃を受けると大概の人は嬉しそうな顔をします。おじさんもヨモちゃんのラブリー攻撃に撃沈された模様です。
「お前は、なんて可愛いンだ」
 おじさんはしばらくヨモちゃんと遊んでいました。
「今日も暑くなりそうだな」
 明るくなった空を見上げてポツリと呟くと、おじさんは残りの新聞の配達に行きました。

 薄暗かった庭もいつの間にか明るくなってきましたが。ヨモちゃんは勝手口の前でお母さんが起きてくるのを待っています。ぼくはまだコンテナの上に登ったままです。
「うん」
 鼻の頭が無性に痒くなりました。ネズミが近くにいるようです。ここで掻いてしまってはおしまいです。必死になって我慢をしているのですが、もう限界のようです。後ろ足を持ち上げてそっと鼻の頭に近づけようとした時でした。スコップの陰にネズミの姿がチラリと見えました。

 ネズミはあたりの様子をうかがいながら、ジャガイモに近づいてきました。コンテナの上のぼくには気づいていないようです。しかし困った、コンテナの上からではネズミの所までは遠すぎます。かといって下に降りてしまえば、すぐに気づかれてしまいそうです。頼みの綱のヨモちゃんは勝手口の前で、トロンとした目をして座ったままです。ネズミがジャイモを齧り始めました。

「今だ」
 ぼくは尻尾を思い切り膨らまして飛び上がり、天井すれすれのところで、脚を思い切り横に開きました。すると体はふわりと浮かんで、そのまま静かにネズミの上に落ちていきました。
「やった」
 着地と同時に前脚でネズミを抑え込みました。とうとうネズを捕ることができました。

「あんたの尻尾って、飾りじゃないのね」
 いつの間にかヨモちゃんが戸口の前に立っていました。相変らず仏頂面をして皮肉めいたことを言ってくれます。素直に「やったね、よかったね」って言ってくれればいいものを、「尻尾が飾りじゃない」なんて。そこがまたヨモちゃんらしいって言えば言えるのだけど。

「あと少しってところで鼻の頭掻くンだもの、ネズミが逃げるはずよ。死にそうなくらい痒いですって、ちゃんちゃらおかしいわ。私なんか鼻がムズムズしてクシャミをしたくてたまらなくなるのよ。でも必死でこらえているのよ。あんたクシャミが出るのを堪えたことある」
「ううん、ない」
「でしょうね。それこそ死んじゃうくらい苦しいのよ。ネコはね、みんな何かを我慢して必死でネズミを捕っているのよ」
「えっ、そうなの。知らなかった」
「何が知らなかったよ。バッカじゃぁないの」
 ヨモちゃんは呆れて、納屋から出て行きました。

「フーンそうなンだ、みんな何かしら我慢しているンだ」
 ぼくはネズミを捕る時には、二度と鼻の頭を掻かないようにしようと決心しました。でもヨモちゃんだってぼくのこと馬鹿にする割には、少し抜けています。お父さんにあげるネズミを、軽トラの運転席の屋根の上に乗せるなんて。あんな所に置いたらお父さんはいつまでたっても気がつかないと思います。だからぼくは、このネズミをお父さんがすぐに分かるところに置いておこうと思います。

 お母さんが起きてきました。ヨモちゃんが勝手口に走って行きました。
「お母さん、開けて」
「ヨモギお帰り、フサオ知らない」
「もうじき帰って来るよ」
「そう、じゃぁご飯、先に食べようか」
 勝手口のドアをぼくのために少し開けたままにして、お母さんはヨモちゃんと一緒に台所に消えて行きました。
「お父さんはここならすぐに分かるよ」
 ぼくはネズミをくわえて離れの縁側に走って行きました。
                                                                                                       
 家の中に入ると、台所ではヨモちゃんが煮干しを食べています。お皿から煮干しだけ取り出して、床の上でバリバリと噛んでいます。煮干しを食べているヨモちゃんの顔と、ネズミを狙って物陰に潜んでいた顔が重なり合って見えます。

「お帰りフサオ、ずっと外に居たの」
 お母さんはぼくにカリカリを出してくれました。
「うわ、なんだ、こんなところに」
 離れの縁側からお父さんの声が聞こえました。お父さんがネズミに気がついたようです。離れの縁側は庭木の陰になり、ひんやりとしています。本格的に夏になった頃から、お父さんは毎朝ここで新聞を読むようになりました。
 新聞を取りに行こうとして、踏み石の上の下駄を履こうとしたのでしょう。ぼくは今しがた獲ったばかりのネズミを、下駄の上に置いておきました。お父さんがすぐに気がつくように。

「うわ、なにこれ。くれるの」
 お母さんの声がしました。きっと部屋の空気を入れ替えよとして窓を開けたのでしょう。窓の下にはヨモちゃんからのネズミと、ぼくからのカナブンが並べて置かれているはずです。
「お母さん、気がついてくれたンだ」
 ぼくは嬉しくなってお皿の中のカリカリを頬張りました。つけっ放しのテレビでは天気予報が始まりました。天気図が画面いっぱいに写し出され、台風がもうじきやってくると言っています。

草むしり作「ヨモちゃんと僕」後7

2019-09-25 05:47:02 | 草むしり作「ヨモちゃんと僕」
草むしり作「ヨモちゃんと僕」後7

(夏)逃げる① 

 このところ毎日のように雨が降ります。南からの湿った暖かい気流が流れこんできたためだと、テレビの天気予報が伝えています。縁側のカーテンレールに吊るされた洗濯物はなかなか乾かず、日を追ごとに増える一方です。
 お父さんは雨による日照不足で、みかんの出来が悪くなるのではと心配しています。八月の日照時間は、十月から収穫の始まる露地みかんの甘さに大きく影響するのです。やっとハウスみかんの収穫が終わったばかりなのに、もう露地みかんの心配をしています。年がら年中、お父さんの頭の中はみかんのことでいっぱいなのです。

 でも今はみかんのことよりも、もっと心配なことがあるようです。南の海の上で発生した台風が、勢力を増しながら日本の近海に近づいてきています。このままいくと、三日後にはぼくの住む山間の町の真上を通過する見込みです。そしてその日はちょうど、トキオが東京からやってくる日に当たるのです。
 たぶんトキオの乗る飛行機は、運休することになると思います。それはそれで仕方のないことですが、問題は翌日の飛行機に乗ることができるかということなのです。その日はちょうど八月十二日の日曜日で、旧盆の帰省ラッシュの真っただ中なのです。たぶん旧盆の間は、飛行機の予約はいっぱいのはずです。運が悪ければ翌日の飛行機どころか、お盆の間は飛行機に乗れない可能性もあります。
 トキオを保育園にあずけながら、出版社に勤めるユミコの休暇は一週間です。その間に飛行機に乗れなければ、もう今年の夏の帰省は諦めるしかありません。果たしてトキオが翌日の飛行機に乗ることができるのかどうか。そのことが今のお父さんにとっては一番の心配ごとなのです。
 
 バタンと車のドアの閉まる音がして、お父さんが走りだしてきました。さっきホームセンターに行ったばかりなのに、もう帰ってきました。片手に捕虫網と虫かごを持って、小走りに走ってくるお父さんの頭の上には小さな麦わら帽子が乗っかっています。玄関の靴箱の横に捕虫網と虫かごを置くと、お父さんはそのまま走って行きました。よっぽど慌てているようで、頭には小さな麦わら帽子が乗っかったままです。

「あれ、お父さんどうしたの」
 お父さんの後を追ってぼくも外に出ていきました。
 納屋の中からガサガサと音を立てて、お父さんが出てきました。よっぽど気が急いているのか、ぼくのことなんか見向きもしません。丸く束ねられたホースを肩にかけて、庭先の水道のところに走って行きました。

「まったく、あんな所に………」
 ブツブツとなにか言いながら水道の蛇口にホースを取り付けました。ホースから勢いよく出てきた水を、軽トラの屋根めがけてかけ始めました。水しぶきが上がり、小さな虹が車の屋根の上にかかりました。麦わら帽子はお父さんの頭の上にちょこんと乗っかったままです。
「気持ちは嬉しいけどな」
 よく見ると屋根の上に黒い物がのっかっています。お父さんはそれに向かって水をかけています。けれども黒い物は屋根の上にこびりついているのか、ホースで水をかけたくらいでは落ちそうにはありません。

 お父さんは弱り切った顔をして、水を出しっ放しにしたままどこかに行ってしまいました。そしてすぐに棒切れを持って戻ってきました。そして棒の先に雑巾を巻き付けると、軽トラの荷台から屋根の上の黒い物を突き始めました。
 ぼくはあれが何なのかピンときました。ネズミの死骸に違いありません。この前の夜、ヨモちゃんが軽トラの上に持って行ったものです。確か「お父さんにあげる」って言っていました。でもあんな所に置いたものだから、お父さんは気がつかなかったのでしょう。お父さんはずっとあんな物を乗せたまま、軽トラを乗り回していたなんて。気の毒に……。

 そういえばヨモちゃんの姿が見えないと思ったら、そんな事だったのか。でもヨモちゃんのことだからきっとどこかに隠れて、お父さんのようすを伺っているはずです。しかしあれからもう五日も経っています。ミイラになってしまったネズミの死骸は、ホースで水をかけたくらいでは落としきれないのでしょう。

「まったく驚いたよ。カリカリを買い忘れたのを思い出して、引き返そうとしたンだ。その時ヒョイと車の屋根の上を見たら、なんか乗っかっているンだよ。よく見たらネズミの死骸だよ。何日も乗っかっていたようで、腐って半分干からびていたよ。まったく、気持ち悪い。慌てて帰って来たよ。おかげでカリカリ買い忘れてしまったよ。明日また買いに行かなくちゃ」


草むしり作「ヨモちゃんと僕」8

2019-09-25 05:46:00 | 草むしり作「ヨモちゃんと僕」
草むしり作「ヨモちゃんと僕」後8

(夏)逃げる⓶

 ネズミの後始末には慣れているはずのお父さんですが、五日前のネズミはやはり気持ちが悪いのでしょう。棒の先でネズミを突いている後ろ姿は、どこか逃げ腰です。
「きっとこのあいだの夜よ」
 騒ぎを聞きつけてやって来たお母さんが、笑いを必死にこらえながら言いました。
「あの日は確か、九時ごろヨモギがネズミを捕って来たでしょう。それをフサオにあげて、また外に出て行ったわ」
「うん。その後フサオも出て行って、朝まで帰って来なかったよ」
「次の朝、窓の下に一匹。それから庭の踏み石に置いた下駄の上にも一匹、置いてあったわ」
「そうだよ。下駄を履こうとして、危うく踏んづける所だった」
「それから軽トラの屋根の上に一匹」
「だったら一晩で四匹ってことになるのか。すごいじゃないか。でもそんなにいるのかい、この家にネズミが…」
 お父さんが大げさに首を傾げたものだから、頭に乗っかっていた麦わら帽子が下に落ちてしまいました。地面の上は車を洗ったすぐ後なので、そこいら中に水溜りができています。
「しまった、時生に買った帽子をかぶったままだった」
お父さんは慌てて麦わら帽子を拾いあげると、つばに付いた水を手の平で軽く拭き取りました。それから他に汚れが無いか確かめて、車庫の柱の釘に掛けました。

「お前も一匹くらいは捕ったのかい」
 車庫の前にいたぼくにお父さんが聞きました。
「うん、ぼくも捕ったよ」
「そうか、下駄の上に置いたのはお前だったのか」
「うん、そうだよ」
「お前もやっと一人前になったなぁ。また頼むよ」
「うん、任せて………」
 
 任せてねって言いかけて、庭のようすがいつもと違っているのに気がつきました。軒下のプランターや物干し竿がありません。いつもは出しっぱなしにしてあるバケツやザルがどこにも見当たりません。玄関の郵便受けや、縁側の踏み石の上の下駄までもありません。   
 散らかし放しの庭が、今日はきちんと片付いているのです。物がきちんとしまわれていて気持ちがいいといえばいいのですが、いつもとは勝手が違って何だかよその家のようです。
「なんか変だな」
 グルリと辺りを見回した時でした。突然パタンと大きな音がしました。
「わー」
 ぼくは驚いて大きく跳ね上がり、そのまま無茶苦茶にそこいら中を走りまわり、ブロック塀の上に飛び乗りました。
「また来るからね」
 ブロック塀の上でハアハア息をしているぼくの耳元で、あいつがささやき声が聞こえました。
「来るな」
 ぼくは声を振り払おうと飛んだり跳ねたり、全速力で庭を駆けまわりました。でもそうすればするほど、声はどんどんと大きくなって、ぼくの頭の中いっぱいにガンガンと響き渡ります。

「ああもう、どこかに行ってしまえ」
 頭を大きく振りまわし全速力で走り出した途端、バンと音がして目の前に星が輝きました。星の光があまりに眩しくて、ぼくは目を開けることができません。


草むしり作「ヨモちゃんと僕」後9

2019-09-25 05:45:17 | 草むしり作「ヨモちゃんと僕」
草むしり作「ヨモちゃんと僕」後9

(夏)逃げる③

「フサオ、フサオ」
「ああよかった、フサオ。気が付いたのね」
 母さんとヨモちゃんが心配そうに、ぼくの顔を覗き込んでいます。
「お母さん。痛いよー」
「まだ動いちゃだめよ、痛いでしょう。凄い勢いでシャターにぶつかったものだから、心配したのよ。ねぇヨモギ」
「うん、お母さん。心配したよねぇ」
 ぼくは車のドアの閉まる音に驚いてあちこち走り回ったあげく、倉庫のシャターにぶつかって気絶してしまったのです。
「ヨモちゃんも、心配してくれたの」
 ヨモちゃんがぼくの心配をしてくれるなんて。ぼくは嬉しくなってヨモちゃんのホッペに、そっと手を伸ばしました。
「何するのよ」
 ヨモちゃんのパンチがぼくの鼻先をかすめました。
「バッカじゃないの、心配して損した」
 ヨモちゃんは怒ってどこかに行ってしまいました。

「散々だな、フサオ」
 お父さんがお母さんの後ろから、顔を覗かせました。
「だいたいお母さんが悪いよな。いつもは出しっ放し、開け放しの、やりっ放しの散らかし放しだからなぁ。いつもごちゃごちゃしている庭が、今日は妙に片付いているからな。フサオが驚くのも無理ないよ」
「うん、ちょっとだけ驚いたよ」
「おまけにいつもは上げっ放しの倉庫のシャターまで、ご丁寧に降ろしてあるものだからなぁ。倉庫にシャターがついているなんて知らなかったよなぁ」
「うん、知らなかった」
「なに言っているのよ、お父さん。だいたいお父さんが急に車のドアを、あんな大きな音を立てて閉めるから、フサオが驚いたのよ」
「うん、あれには驚いたよ」
「やっぱりそうか、車があんまりきれいになったものだから、つい嬉しくなってしまって。すまなかったな」
「そうね、たまには洗車もいいわね。前に洗ったのって、いつだったかしら。」
 そういえば泥んこだった軽トラが、いつの間にかピカピカと輝いています。やっぱりあれかなぁ。あんまり車が汚れていたから、ヨモちゃんがわざとネズミをあんな所に置いて洗車させたのかな。

「せっかくだからこれも仕舞っておくか」
 丸く束ね直したホースを肩に掛けて、お父さんが倉庫のシャッターを押し上げました。
「足の踏み場もないな」
 倉庫の中には軒下のプランターや物干し竿などが、乱雑に置かれています。どおりで庭がきれいに片付いているはずです。
「台風で吹きとばされるよりは、ましでしょう。」
 お母さんは大切なものを、倉庫に中に隠したのだとぼくは思いました。なるほど、ここなら風に吹きとばされなくてもすみます。
「ちょと、踏みつけないでよ」
お母さんはぼくを抱き上げながら、プランターの間を歩くお父さんに声を掛けています。
「頭痛くないの」
「うん、もう平気」
「そう、よかったわ。でもまだおとなしくしていた方がいいわ」
 お母さんはぼくの喉元を優しく撫でてくれました。お母さんの指先は少しザラザラしていて、母ちゃんの舌のようだとぼくは思いました。するとぼくの喉はゴロゴロと鳴り出しました。
「お母さん、大好き」
「お母さんもフサオが大好きよ」
ぼくはずっとこうしていたかったのに………。

 風が出てきました。鉛色の雲が何かに追い立てられるように、どんどんと流れていきます。
「そうか、じゃぁ、明後日になるンだな」
 ユミコからの電話は飛行機の欠航を伝えるものでした。でも翌日の昼過ぎの便に乗れるようになったと聞いて、お父さんもひと安心しています。

「トキオ、トキオは空を飛ぶ」
 いつの間にか帰って来たヨモちゃんと一緒に、お父さんが歌っています。耳元の囁き声は次第に大きくなり、ガンガンと耳鳴りのようにぼくの頭の中で鳴り続けています。でもぼくは決めました。台風なんかに絶対連れて行かれないって。

「空を飛び、街が飛ぶ。
雲を突き抜け、星になる。
火を吹いて、闇を裂き、
スパーシティが舞い上がる」
 お父さんとヨモちゃんが歌っています。歌っているのは、お父さんが若いころ流行った歌だそうです。当時人気のあった男の歌手が、電飾のついた王子様のような衣装を身にまとい、赤と白の縞模様のパラシュートを背負って歌っていました。トキオはTOKIOと書きます。
 六月十日の時の記念日に生まれた初孫は、時が生まれると書いて時生という名前です。TOKIOと時生。なんだが語呂合わせみたいですね。お父さんは機嫌のいい時には、いつもこの歌を歌います。
 お風呂からあがって来たお母さんが、呆れた顔で見ています。
「トキオ、トキオ。トキオはお前を抱いたまま、トキオ。トキオは空を飛ぶ」
 ぼくも一緒になって歌いました。明日トキオが飛行機に乗って、空を飛んでやってきます。
「バッカじゃないの」
 ああ、ついにお母さんにまで言われてしまいました。「バッカじゃないの」って。
 髭をトキオに切られても、ユミコに叱られても、ぼくはやっぱりこの家が好き。お父さんとお母さん、それからヨモちゃんのいるこの家が好き。ここはぼくの家なンだ。だから台風なんかに連れていかれないぞ。

「明日なんか来なければいいのに」
 けれど明日はやって来ました。