草むしりしながら

読書・料理・野菜つくりなど日々の想いをしたためます

うちの子が一番

2024-10-15 07:15:36 | 草むしりの子守歌

うちの子が一番

 先週の土曜日は、長男の子どもたちの通っている幼稚園の運動会でした。運動会の前の週末には私も息子一家と一緒に生家に帰り、そのまま一緒に息子の家まで戻ってきていました。息子夫婦には運動会も見て行けばと誘われたのですが、折悪しく風邪をひいてしまい、このままいても迷惑をかけるだろうかと帰ってきました。

 東京の住まいに戻ってからは薬を飲んでは眠ってを繰り返し、昨日やっと起きる気になったところです。本当のことを言うと運動会はせっかく機会なので観たかったのですが、「余所の子と比べても仕方ない。うちの子が一番なのだから」と自分に言い聞かせて帰ってきて正解でした。

 さて運動会の翌日には息子夫妻から、たくさんの写真や動画が送られてきました。年少さんの次男も年長さんの長男もそれぞれに頑張って、立派に競技に参加していました。とりわけ年長クラスの長男の方は、組体操や駆けこ、ダンスなど多くの競技に出場しました。

 もちろん先陣を切ってゴールのテープを切るなんて華々しい活躍はしませんでしたが、、ちゃんと整列ができたり、みんなに合わせてダンスもできました。また団体の中で各自が役割の異なる組体操は、ちゃんと自分の役割りをはたして、最後は全員で大きなピラミッドを作ることができました。ちょっと感激もしました。

 さてその翌日です。息子から一本の動画が送られてきました。動画には運動会の時に踊ったダンスを、今度は一人で踊っている姿が映し出されていました。実に楽しそうに少し腰を下げて、ブレイクダンス風にキレキレのダンスを披露していました。棒みたに突っ立って手や足を動かすだけだった運動会のダンスとは、まったく違って見えました。

 運動会の時もこれくらいに踊ってくれたら、どれほど周囲の注目を集めたことでしょうか。等と思ってしまいしたが、子どもには子どもなりの理由があるのかもしれませんね。みんなに合わせなければいけないとか……。それとも緊張したのかな?

 とにかくこんなにダンスのうまい子だったのですね。やはり「うちの子が一番」でした。

 

 

 

 

 

 

 

 


母の白和え

2024-10-14 09:35:39 | 草むしりの得意料理

白和え 1

「goo ブローカー今日のひとこと」には時折ポツリと呟いております。先日のテーマは「時別な日に食べたい料理」でした。そこで早速「母の白和え」と呟きました。

 しかし特別な日に、白和えとは………。ずいぶん質素ですね。でも昔といっては私の幼い頃には、白和えはごちそうの部類だったのですよ。あまり詳しくは覚えておりませんが、毎日の食卓に肉や魚などが上がることはめったに無かったし、豆腐も時々しか買わなかったような気がします。

 ですから味噌汁に豆腐を入れるようになったのも、私がかなり大きくなってからでした。記憶違いならごめんなさいお母さん……。

 そんなたまにしか買わない豆腐?冬場は主に「けんちゃん」と呼ばれる具だくさん汁にしておりました。多分「けんちゃん」は「けんちん汁」が訛ったのでしょう。大根と豆腐と煮干しを油で炒めた汁物で、当地では冬場の定番料理でした。けれどもだし用の煮干しが丸ごと入っていて、煮干しを残すと怒られるので嫌いでした。

 また夏場は冷や奴で食べていました。その日は父が「ご馳走だ」と喜んで、普段はしない晩酌をしておりました。ただ豆腐に醤油をたくさんかけると怒られるので、冷や奴もあまり好きではありませんでした。今になって思うのですが、子どもの時の好き嫌いは、怒られるということにも原因があったように思います。ちなみに今は奴には、醤油はかけません。それだけでも十分おいしいですね。

 さてそんな豆腐嫌いだった私が、唯一好きだった料理が「白和え」です。当地では高菜の白和えが一般的です。湯がいて細かく切った高菜とコンニャクを油で炒めて薄く味をつけ、水気を切った豆腐をすり鉢ですり合わせた和え衣にまぶします。和え衣の味付けは砂糖と塩、隠し味に味噌少々でした。

 母は普段の料理には砂糖をあまり使わない人でしたので、子ども心に母の料理は塩っぱいと感じておりました。ところがこの白和えだけは砂糖をふんだんに使っていたのでしょう。とても甘くて隠し味の味噌が口の中で自己主張しておりました。家で一番大きなすり鉢にいっぱい作ってくれました。

 それからこれを食べていて怒られたことがないのも、好きな理由のひとつかもしれません。ただ白和えに関しては忘れられない思い出もありますが、何分にも長くなりました。次回はその思い出話を書くこととして、今日はこれまで………。

 


背景の一部

2024-10-10 15:31:38 | 草むしりの子守歌

背景の一部

 東京では涼しいを通り越して、肌寒く感じるようになりましたね。今日からはまた暑くなのとか。体調を崩した方もいらっしゃるのでは無いでしょうか。などと人のことを言う前に、今回は私の方が風邪をひいてしまいました。

 さてそんな不安定な気候の中、関西に住む長男一家と四日ほど生家に帰って来ました。生家の方は蒸し暑く、まだまだ夏の名残のような気候でした。それでも朝夕はめっきり涼しくなり、明け方など寒いくらいでした。

 その寒さが災いしたのか、恥ずかしながらいい年をして寝冷えをしてしまいました。せっかく孫たちと遊ぼうと色々と計画していたのに、半分しか達成できなかったのが残念です。それでもパパやママが遊んでくれて、孫たちにとっては大伯母になる私の姉が料理の腕を奮ってくれました。三人の孫たちにいい思い出ができたのでは無いでしょうか。

 仕事の都合で長男一家はまた海外に行くことになりました。今度帰って来るのは五年後とか。それまで生家で過ごした楽しい四日間のことを覚えていてくれるといいのですが。もちろん全部は覚えていなくても、何かひとつでも覚えていてくれるといいですね。そしてまた生家に来たいと思ってくれると嬉しいです。

 パパの部屋を初めて見たり、川で蟹を捕ったり水遊びをしたり、畑で野菜を収穫したり、ミミズを捕ったり、庭中にじょうろで水をまいたり……。何が一番印象に残ったのでしょうか。

 そんな楽しい思い出の中に、私が登場すると嬉しいですね。もちろん思い出の中心にいるのは、パパやママや兄妹たちです。でも目を懲らして見ると、思い出の背景の一部に婆ちゃんがいた。そんな感じがいいですね。


「光る君へ」第37話感想

2024-09-30 16:23:46 | 日記

[光る君へ」第37話「波紋」感想

 NHKの大河ドラマ「光る君へ」をいつも楽しみに見ています。

 今回はまひろの書いた「源氏物語」が冊子になりましたね。三十三帖になる物語は冊子ごとに、色分けされた料紙に書かれておりました。各巻の清書は何人かの能筆家に依頼して、藤壺の巻である薄紫の紙には藤原行成(渡辺大知君)が清書をしておりました。

 表紙もキラキラ輝いて、料紙に書かれた文字の上もキラキラ輝いておりました。色とりどり紙をみていると、第31話「月の下で」の一コマを思い出しました。

 この31話は源氏物語が誕生したは回であります。まひろの上に色とりどりの紙が落ちてくるシーンがありました。「源氏物語がまひろの上に舞い降りてきた」とそんな感じでした。

 何らかの物語を書いたことのある人なら、こんな経験したことがありませんか?モヤモヤとした頭の中に、突然物語が浮かんで来ることが……。私の場合は主人公が突然頭の中から飛び出してきて、どんどん話を進めていきます。

「そうよ。これ、これ、この感じ。分かるー!」と大喜びで見ておりました。

 でもその時ふと「何んで、色つきの紙なの?普通は白い紙じゃない?」なんて、ちょっと色つきの紙に違和感を覚えました。

 しかしその色つきの紙の理由が、今回の37話を見て分かりました。あれは今回のために演出家が、前もって仕掛けておいたてくれたのですね。市井の名も無き物書き志願者たちのために!

 ドラマはしっかり見れば見るほど、面白さが何倍にもなって伝わってきますね。スマホを気にしながら見るのは論外ですね。それから視聴率などで作品の評価をするのは、意味の無いことだと思いませんか? 


台風報告その2

2024-09-24 07:00:51 | 日記

台風報告その2

 やっと涼しくなりましたね。皆様いかがお過ごしですか。

 私は十日ほど生家の帰っておりました。当地は8月30日の台風10号による記録的な大雨以降、ほとんど雨が降っていない状態でした。暑くて早朝と夕方の前後2時間しか作業ができませんでしたが、屋敷周りの草むしりや畑仕事をなんとか終わせることができました。

 台風10号の時は線状降水帯が発生し、生家の前を流れる川の3キロほど下流で護岸が崩落しました。また生家の田んぼのある地区では農業用水の取水口が流され、田んぼに水を当てることができなりなりました。それから地区のお宮の参道に掛かる小さな橋が流されました。

 また我が家の畑の上にある自動車屋さんは、修理場に水が押し寄せました。幸い住居までは浸水しなかったものの、修理場の中にあったドラム缶2本が畑に流れてきました。

 自動車屋さんから電話があり「ドラム缶が流れてお宅の畑も池みたいになっているから、見においで」と誘われたそうです。

「しかしさすがにそれは断ってその日は家でおとなしくしていたと」姉が申しておりました。