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私の心に残った、ひとつの映画のことを書きます。
日本にはあまり知られてない映画と思います。
題名は「il Tetto(屋根)」舞台はミラノ、時代は1950年頃です。
イタリア南部の漁村で、新婚カップルが誕生しました。
妻の名前はマリア、夫のは忘れてしまいましたが、名前がないと不便なので、この場でだけジョルジョと名づけることにします。
貧しい田舎の村では、これから子供を生んで育てることができない、と若い二人は思いました。
ジョルジョのお兄ちゃんだって結婚後に田舎に見切りをつけて、ミラノに出たのですから。
マリアとジョルジョは、ジョルジョのお兄ちゃんのアパートにしばらくの間身を寄せて、ジョルジョの仕事を探すことにしました。
まあ、若い二人にも、若いお兄ちゃんにも、野心もあったのではないかと思いますが。
ジョルジョのお兄ちゃんのアパートには奥さんと3人の子供(数が記憶違いでしたらごめんなさい)がいて、奥さんの年老いた両親も同居をしていました。
ふたつの続き部屋に、カステッロと呼ばれる2段ベッドなどを置いて、全員がひしめき合って暮らしていました。マリアとジョルジョが加わると、かなり悲惨になりますね。
やがてジョルジョに仕事が見つかってひと段落。さあ、新居を探そうとなりましたが、その頃のミラノは、ジョルジョのように地方から出てきた人たちで溢れていました。
今のジョルジョの給料では、借りれるアパートなど、とうていありません。
始めは、狭いながらも楽しい我が家をやっていた9人でしたが、次第にストレスが溜まって、近頃では口げんかが絶えなくなりました。マリアはジョルジョに隠れて泣くこともしょっちゅうでした。
マリアが泣いてるのを知ったジョルジョ。何とかしないと、とジョルジョがあせる中、マリアに子供ができたことが分かりました。
9人がひしめく狭いアパートで、どうやって子作りをしたのでしょう。その頃のミラノには大家族で住んでいる夫婦のための「子作りの場」というのが町のどこかにあったのでしょうか?
それとも同名のよしみで、キリストのお母さんのマリアさんと同じに、行為なし懐妊ができた、又はちょっと譲って行ってらっしゃい、お帰りなさいのキスだけで身ごもったのでしょうか。
マリアが流産でもしたら大変です。ジョルジョは家を建てる一大決心をしました。
場所はミラノの中心地から少しそれた、空襲のあった焼け野原。そこしかありません。そこは私有地ではなくて、市や国のものでした。
おまわりさんは朝と日中、夕方に焼け野原を見回りに来ます。もし家を建てていたら、ものすごく叱られて、逮捕です。
それなのに、ちっちゃな、ちっちゃな小屋がポツン、ポツンと建っていました。
この小屋はおまわりさんが見回りに来ない、夜のうちに建てられたものです。
この頃、ミラノでは屋根が付いていれば、住居と認められて居住権を持つことができたのです。テントや木材の簡易掘っ立ては移動式で別な扱いです。
ジョルジョは10人の仕事仲間にお手伝いを頼みました。マリアのことを知ったジョルジョの友達は、喜んで手伝いを引き受けました。
「こんなにいるんだから一晩でできるさ」みんなは言いました。
夕方、おまわりさんが去ると、全員が一斉に動き出しました。漆喰を練ったり、レンガを運んだり。わき目もふらず必死です。
家の大きさは日本の広さでいうと6畳1間です。一晩で建てるのですから豪邸は無理でしょう。2LDKもちょっときついと思います。
ジョルジョはマリアのために、ジョルジョの友達はマリアとジョルジョのために、一所懸命働いたかいがあって、真夜中近くに家の壁は出来上がりました。
そこへマリアがみんなに差し入れを持ってきたので、みんなはちょっとだけ休むことにしました。
その時、「ふぅ~、疲れたなあ」とジョルジョの友達が壁に寄りかかりました。
壁はドシャ~と、かなりの部分が崩れ落ちて、やり直しになりました。
だんだんあたりが白んできました。壁はどうにかできて、屋根に取り掛かったところです。
そして、はっきりと朝になりました。見張りをしていた友達が、おまわりさんが近づいて来るのを知らせました。
友達はみんな一斉に逃げます。
ジョルジョも、お兄ちゃんの家から持ち出した椅子1脚を小屋の中に置くと、藪の中に隠れました。
ジョルジョの顔や服は漆喰や泥にまみれていて、「僕、家作ってたの」がバレバレですから。
屋根は7割の出来、不足の所から青空が見えてます。まずいですね、これは。
窓は窓枠もガラスもカーテンもなくて、ポッカリ開いててもいいんです。ベッドもタンスもテーブルもなくてもかまわない。
でも屋根だけは10割いるんです。
住めるから住んでるんですよ、と屋根が叫んで、おまわりさんが黙るのです。
失望して小屋の前に立っているマリアに、一人のシニョーラがササッと近づいてきました。
マリアたちの様子を見ていた、一番近い小屋に住んでいるシニョーラでした。
シニョーラは抱いていた赤ん坊をマリアの腕に抱かせると、赤ん坊の服をめくって足をキュッとつねりました。
すやすやと眠っていた赤ん坊は驚いたんでしょうね。爆音のように泣き出しました。
シニョーラにせかされて、赤ん坊を抱いたマリアは家に入りました。椅子に座ると同時に、
「ボンジョルノ、シニョーラ(おはよう、奥さん)」とドスのきいた、ダミ声のおまわりさんが、きのうの夕方にはなかった、小屋の入り口をふさぎました。
マリアは恐くて返事ができずに黙っていました。赤ん坊は黙りません。足をつねられた身の上を訴え続けます。
「だんなは?」とおまわり。
「・・・ 仕事に出かけました・・・・」
おまわりは、自分の頭の上の、大きく欠けている屋根と、青空を睨み付けました。そして、漆喰の乾いてない小屋の中をジロジロ。
「シニョーラ、」と、おまわりが険しい顔でマリアに切り出すと、赤ん坊が前よりもっと大きな声で泣き始めました。
マリアはオロオロして赤ん坊をあやし、おまわりは黙ります。
おまわりは上目遣いでもう一度天井を見ました。そして眼を伏せました。
沈黙が続いて、赤ん坊の泣き声が弱くなった頃、おまわりが口を開きました。
「ボンジョルノ、シニョーラ(奥さん、いい1日を)」
おまわりさんはマリアに背を向けました。
-------------------------------------------------------------------------
この映画は事実をもとにしています。
本気で取り締まる気があるなら夜中も巡回するはず、と考えるのは日本的なのかな。
陽が落ちてまた昇るまでは誰もが家族といたい時間。そんな時間の見回りは無粋な仕事で、官庁も進めなかったのでしょうかしら。
それとは別ですけれど、他人の痛みを、みんなが分かっていたような気がします。
Emi
私の心に残った、ひとつの映画のことを書きます。
日本にはあまり知られてない映画と思います。
題名は「il Tetto(屋根)」舞台はミラノ、時代は1950年頃です。
イタリア南部の漁村で、新婚カップルが誕生しました。
妻の名前はマリア、夫のは忘れてしまいましたが、名前がないと不便なので、この場でだけジョルジョと名づけることにします。
貧しい田舎の村では、これから子供を生んで育てることができない、と若い二人は思いました。
ジョルジョのお兄ちゃんだって結婚後に田舎に見切りをつけて、ミラノに出たのですから。
マリアとジョルジョは、ジョルジョのお兄ちゃんのアパートにしばらくの間身を寄せて、ジョルジョの仕事を探すことにしました。
まあ、若い二人にも、若いお兄ちゃんにも、野心もあったのではないかと思いますが。
ジョルジョのお兄ちゃんのアパートには奥さんと3人の子供(数が記憶違いでしたらごめんなさい)がいて、奥さんの年老いた両親も同居をしていました。
ふたつの続き部屋に、カステッロと呼ばれる2段ベッドなどを置いて、全員がひしめき合って暮らしていました。マリアとジョルジョが加わると、かなり悲惨になりますね。
やがてジョルジョに仕事が見つかってひと段落。さあ、新居を探そうとなりましたが、その頃のミラノは、ジョルジョのように地方から出てきた人たちで溢れていました。
今のジョルジョの給料では、借りれるアパートなど、とうていありません。
始めは、狭いながらも楽しい我が家をやっていた9人でしたが、次第にストレスが溜まって、近頃では口げんかが絶えなくなりました。マリアはジョルジョに隠れて泣くこともしょっちゅうでした。
マリアが泣いてるのを知ったジョルジョ。何とかしないと、とジョルジョがあせる中、マリアに子供ができたことが分かりました。
9人がひしめく狭いアパートで、どうやって子作りをしたのでしょう。その頃のミラノには大家族で住んでいる夫婦のための「子作りの場」というのが町のどこかにあったのでしょうか?
それとも同名のよしみで、キリストのお母さんのマリアさんと同じに、行為なし懐妊ができた、又はちょっと譲って行ってらっしゃい、お帰りなさいのキスだけで身ごもったのでしょうか。
マリアが流産でもしたら大変です。ジョルジョは家を建てる一大決心をしました。
場所はミラノの中心地から少しそれた、空襲のあった焼け野原。そこしかありません。そこは私有地ではなくて、市や国のものでした。
おまわりさんは朝と日中、夕方に焼け野原を見回りに来ます。もし家を建てていたら、ものすごく叱られて、逮捕です。
それなのに、ちっちゃな、ちっちゃな小屋がポツン、ポツンと建っていました。
この小屋はおまわりさんが見回りに来ない、夜のうちに建てられたものです。
この頃、ミラノでは屋根が付いていれば、住居と認められて居住権を持つことができたのです。テントや木材の簡易掘っ立ては移動式で別な扱いです。
ジョルジョは10人の仕事仲間にお手伝いを頼みました。マリアのことを知ったジョルジョの友達は、喜んで手伝いを引き受けました。
「こんなにいるんだから一晩でできるさ」みんなは言いました。
夕方、おまわりさんが去ると、全員が一斉に動き出しました。漆喰を練ったり、レンガを運んだり。わき目もふらず必死です。
家の大きさは日本の広さでいうと6畳1間です。一晩で建てるのですから豪邸は無理でしょう。2LDKもちょっときついと思います。
ジョルジョはマリアのために、ジョルジョの友達はマリアとジョルジョのために、一所懸命働いたかいがあって、真夜中近くに家の壁は出来上がりました。
そこへマリアがみんなに差し入れを持ってきたので、みんなはちょっとだけ休むことにしました。
その時、「ふぅ~、疲れたなあ」とジョルジョの友達が壁に寄りかかりました。
壁はドシャ~と、かなりの部分が崩れ落ちて、やり直しになりました。
だんだんあたりが白んできました。壁はどうにかできて、屋根に取り掛かったところです。
そして、はっきりと朝になりました。見張りをしていた友達が、おまわりさんが近づいて来るのを知らせました。
友達はみんな一斉に逃げます。
ジョルジョも、お兄ちゃんの家から持ち出した椅子1脚を小屋の中に置くと、藪の中に隠れました。
ジョルジョの顔や服は漆喰や泥にまみれていて、「僕、家作ってたの」がバレバレですから。
屋根は7割の出来、不足の所から青空が見えてます。まずいですね、これは。
窓は窓枠もガラスもカーテンもなくて、ポッカリ開いててもいいんです。ベッドもタンスもテーブルもなくてもかまわない。
でも屋根だけは10割いるんです。
住めるから住んでるんですよ、と屋根が叫んで、おまわりさんが黙るのです。
失望して小屋の前に立っているマリアに、一人のシニョーラがササッと近づいてきました。
マリアたちの様子を見ていた、一番近い小屋に住んでいるシニョーラでした。
シニョーラは抱いていた赤ん坊をマリアの腕に抱かせると、赤ん坊の服をめくって足をキュッとつねりました。
すやすやと眠っていた赤ん坊は驚いたんでしょうね。爆音のように泣き出しました。
シニョーラにせかされて、赤ん坊を抱いたマリアは家に入りました。椅子に座ると同時に、
「ボンジョルノ、シニョーラ(おはよう、奥さん)」とドスのきいた、ダミ声のおまわりさんが、きのうの夕方にはなかった、小屋の入り口をふさぎました。
マリアは恐くて返事ができずに黙っていました。赤ん坊は黙りません。足をつねられた身の上を訴え続けます。
「だんなは?」とおまわり。
「・・・ 仕事に出かけました・・・・」
おまわりは、自分の頭の上の、大きく欠けている屋根と、青空を睨み付けました。そして、漆喰の乾いてない小屋の中をジロジロ。
「シニョーラ、」と、おまわりが険しい顔でマリアに切り出すと、赤ん坊が前よりもっと大きな声で泣き始めました。
マリアはオロオロして赤ん坊をあやし、おまわりは黙ります。
おまわりは上目遣いでもう一度天井を見ました。そして眼を伏せました。
沈黙が続いて、赤ん坊の泣き声が弱くなった頃、おまわりが口を開きました。
「ボンジョルノ、シニョーラ(奥さん、いい1日を)」
おまわりさんはマリアに背を向けました。
-------------------------------------------------------------------------
この映画は事実をもとにしています。
本気で取り締まる気があるなら夜中も巡回するはず、と考えるのは日本的なのかな。
陽が落ちてまた昇るまでは誰もが家族といたい時間。そんな時間の見回りは無粋な仕事で、官庁も進めなかったのでしょうかしら。
それとは別ですけれど、他人の痛みを、みんなが分かっていたような気がします。
Emi
なんとも言えない陽気な国イタリアらしい
映画なんですね~
きっとviviさんはこの映画が好きだと思いますよ。
優しさだけではない、困惑や切なさもうまく描いてます。
見て見ぬふり、聞いて聞かぬふり、知ってて知らぬふり。
苦労している人は、他人に優しい。
モッチさんはとても優しいですが、たくさん苦労をされたんでしょうか。
大切な心が無くなってきていますよね。
本当の幸せ・優しさ・思いやりって
なんだろうって 考えさせられる映画だと
思います。
emiさん 吹き替え無しで観られるんでしょうね。
素敵だぁ!
このマリアはけなげで、ちょっとnonちゃんを思い出します。
ホントの幸せはいろんなタイプがあると思いますが、人の事を考えられる機会を持つことが出来た時も、すごく幸せなんだろうなって思います。
吹き替え無しで観られないこともないですが、感情、つまりテレパシーで観ているような気も。