ゆ~たん音楽堂

ドキドキ&ハートフルな音楽と仲間を探して
東奔西走!
音楽ディレクター ゆ~たんの日常。

是非、読んでください。

2005年08月21日 20時27分02秒 | Daily Life
<あなたのうたはわたしのうた>コンサートにクォン・ジョンセンさんが寄せて下さったメッセージです。

少しでも多くの方に読んでいただきたく、プログラムからぼくのブログに転載します。
クォンさんの暖かな「眼差し」を受けとめていただけたら嬉しいです。

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月の光のように美しくなりますように

一ばん星みつけた
二ばん星みつけた
三ばん星みつけた

お月様いくつ?
十三 ななつ
まだとしゃ若いな
あの子を生んで、この子を抱かんしょ

一ばん星ごろごろ
ひょうたんほっくりに
二ばん星ごろごろ

1944年、夏、東京渋谷区幡ヶ谷本町3丁目の空き地で子どもたちが遊んでいました。
空襲のない月夜でした。そんな日、子どもたちは空き地で夜遅くまで遊びました。
あの頃、東京の空もまだ公害で汚れていませんでしたので、夜空の星が美しく輝いていました。

空き地では朝鮮の子ども、日本の子どもがお互いに仲よく列をつくっていました。
そして、みんなが前の子の腰を抱え込んでしゃがむと一匹の長い蛇のような形になりました。
年長の男の子たちは、この「月さまあそび」を幼稚だとかなんとかいい、
自分たちだけで「さむらいごっこ」をしにどこかに行ってしまいましたので、
残った女の子たちだけが列を作りました。
その中に私たち小さな男の子も入れてもらい、私ともう一人の朝鮮の子どものエイボオちゃんも
「一ばん星みつけた」とうたいながら遊びました。

あの日、私たちが月さまあそびをしていたあの時、遠く海の彼方の朝鮮でも子どもたちが
月の光の下で元気よく遊んでいたことでしょう。
もっと遠くは中国の子どもたちも、ビエトナム、タイ、インドの子どもたちも、そして
ヨーロッパの子どもたち、アメリカの子どもたちもそうやって遊んでいたでしょう。
世界中の大人たちがお互いに殴りあい、壊しあい、殺しあう戦争で夢中になっている間、
子どもたちは月の光の下で楽しく遊びました。
 
60年が過ぎました。
大人たちはいまだに終りのない戦争をしています。
今日もイラクの子どもたちがどれほど死んでいったのでしょうか。
パレスティナの子どもは何人死んだのでしょうか。
国を失い遠くインドまで行ったチベットの子どもたち、内戦に恐怖するネパールの子どもたち、
アフリカのたくさんの国の子どもたち…。

子どもたちはこんなに美しい世界で、どうして飢えと恐怖に慄かなくてはならないのでしょうか。

今年の夏に韓国と日本の音楽家たちが一緒に演奏会を開くと聞いて、
60年前の月の夜に朝鮮の子ども、日本の子どもが一緒に仲よくあそんだことを思い出しました。
たとえ一回だけの演奏会でも、この素朴な音楽が世の光となり、平和につながることをお祈りします。

時々芸術が権力の操り人形になることもありますが、これまで芸術は世の暴力に拮抗し戦ってきました。
音楽は平和と愛と良心を守る武器なのです。

うつのみやレディーシンガーズ晶とソウルレディースシンガーズが、これからもずっと〝隣国の輪〟をひろげ、
いつかあの遠いアフリカの国の女性たちとも一緒に演奏ができるように頑張ってほしいのです。
音楽をもって愛を伝え、苦しみを取りのぞくことって、思うだけでもうきうきすることです。
寺嶋陸也先生の作曲で「こいぬのうんち」が素敵な音楽会でご一緒させていただくことは
私にとっては大きな喜びとなります。
 
月の光のように美しい音楽会になりますように
                                                        The end


クォン・ジョンセン
[訳:パク・スンエ]