【いわて牛の肉めし】(一ノ関駅)
2021.10.28投稿
1975年(昭和50年)7月1日購入 価格500円
[製造元](有)斉藤松月堂

名古屋からの帰省途中に購入。
掛紙は、所有している掛紙で一番古い物です。
社名は、「斎」が正しいのですが、この年代の掛紙ではなぜか「斉]となっています。
当時も現在も、駅名が「一ノ関」で市名は「一関」なのですが、この掛紙ではそれが逆転しています。
1977年(昭和52年)2月3日購入 価格500円
[製造元](有)斉藤松月堂

名古屋からの帰省途中に購入。
東北新幹線の開業に向けて1976年(昭和51年)10月から国鉄と東北六県が実施したキャンペーン「北へ向かって」のロゴマークが付いています。
掛紙のレイアウトが若干変更されていますが、社名・駅名・市名は修正されていません。
斎藤松月堂の牛肉系駅弁の元祖と言われているものですが、どのような内容のものだったか、記憶も記録もありません。
ただ、当時は『肉』と言えば豚や鶏。高価だった牛肉はほとんど口にすることがなかったので、この駅弁を購入したのだと思います。
ただ、当時は『肉』と言えば豚や鶏。高価だった牛肉はほとんど口にすることがなかったので、この駅弁を購入したのだと思います。
因みに、この時代の「吉野家の牛丼並盛り」は300円で、仕送りだけに頼る大学生にとっては高嶺の花。
自炊と学生食堂の『150円定食』が中心の食生活で、外食と言えば名古屋では超有名な『寿がきやラーメン』。
100円(卒業する頃には2~30円値上がりしていたと思います。)でおつりが来ました。
現在は器も変わり、価格も330円になりましたが、ペラペラのチャーシューにメンマとネギというスタイルは変わらないようです。
変わったと言えば、世紀の発明品と言われる『ラーメンフォーク』は当時ありませんでした。
あの食器ブランド『ノリタケ』との共同開発で、その機能美がニューヨーク近代美術館『MoMA』に認められて、美術館でも販売しているそうです。

自炊と学生食堂の『150円定食』が中心の食生活で、外食と言えば名古屋では超有名な『寿がきやラーメン』。
100円(卒業する頃には2~30円値上がりしていたと思います。)でおつりが来ました。
現在は器も変わり、価格も330円になりましたが、ペラペラのチャーシューにメンマとネギというスタイルは変わらないようです。
変わったと言えば、世紀の発明品と言われる『ラーメンフォーク』は当時ありませんでした。
あの食器ブランド『ノリタケ』との共同開発で、その機能美がニューヨーク近代美術館『MoMA』に認められて、美術館でも販売しているそうです。

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