第8列車 根室本線 快速はなさき 釧路行 乗車距離135.4km
根 室 11:03発
東 根 室 レ
花 咲 レ
西 和 田 レ
昆 布 盛 レ
落 石 レ
別 当 賀 レ
初 田 牛 レ
厚 床 11:41着 11:41発
姉 別 レ
浜 中 11:56着 11:56発
茶 内 12:02着 12:06発
糸 魚 沢 レ
厚 岸 12:23着 12:24発
門 静 レ
尾 幌 レ
上 尾 幌 レ
別 保 レ
武 佐 レ
東 釧 路 レ
釧 路 13:05着
根室駅からは11:03分発快速釧路行に乗ります。

釧路駅13:5分着なので、昼の弁当として「ロースカツ丼」と駅弁の「花咲かにめし」を買って乗りました。


快速といっても1両だけ、20人に満たない乗客を乗せて出発しました。

皮肉なことに、根室を離れるに従って青空が広がってきました。
次の停車駅厚床駅では2人が降りて、2人が乗って、その次の浜中駅では乗降無し。茶内では1人の乗車と、1両で十分ということに納得しました。

別寒辺牛湿原が見えてくると進行方向右側に厚岸水鳥観察館が見えてきました。平成5年にラムサール登録湿地に認定された厚岸湖・別寒辺牛湿原の水鳥や動植物の観察や、調査研究やモニタリング等を行う拠点として2年後に完成したものだそうです。

最後の停車駅厚岸駅では8人が乗車してきました。
日中の快速ということもあり、1両でも十分のようです。
厚岸駅から隣の門静駅までは厚岸湾に沿って走ります。浜では天候も回復したこともあり、昆布干しが始まっていました。一見すると、海から上げた昆布を砂浜にただ並べて干しているように見えますが、採った昆布は、まず、表面についた汚れをきれいに洗い落とすそうです。次に、浜辺に作ってある昆布に砂がつかないように玉砂利を敷いた「乾場」で、日中一枚一枚並べて天日干しをし、夜は湿気を吸ってしまうため、夕方には取りまとめて「番屋」にしまう。天候を見ながら干す・しまうを2日くらい繰り返し、均一に乾燥を進めていくことが、旨味をぐんと引き出すには欠かせない作業だそうです。

門静駅を通過すると、内陸に入りしばらくは牧草地も見えますが、次第に人家も見えなくなり、
上尾幌駅と別保駅間になると長い山越え区間で両側をに囲まれ、山奥という感じがしました。
別保駅を通過し下っていくと市街地が見え始め武佐駅を通過。釧網本線と合流する東釧路駅を通過すると終点釧路駅。定刻の13時5分に到着しました。
釧路駅のホームで目に付いたのが「石炭」。

釧路は、函館に入港する外国船に石炭を供給するのが目的で、1856年(安政3年)に北海道で最初に石炭が掘られた所だそうです。
展示してある石炭を寄贈した太平洋炭鉱は、明治30年に前身の安田炭礦が採掘を始め、閉山までの82年間で、採炭量は1億トン以上で採炭の多くを海底の炭層から行っていたため、「太平洋の海底炭」というネーミングで宣伝し販売をしていたそうです。ホームにある石炭は、その「太平洋の海底炭」でした。
また、昭和29年のガス爆発事故以外に閉山まで大事故を起こすことが無かった炭鉱だったそうです。平成14年に閉山したそうですが、主に地元企業が出資した釧路コールマイン株式会社が規模を縮小して事業を引き継ぎ、年間70万トンを採炭する日本の唯一の坑内掘石炭鉱として今も残っているそうです。
もう一つ目に付いたのが「湿原の鐘」。

説明板には、「SLが活躍していた当時、操車場で列車の進入を知らせた鐘を、『湿原の鐘』として平成12年1月のSL冬の湿原号の運転に併せて再現し、お客様に鑑賞していただくと共に、SLの発車までの間鐘を鳴らして、当時を思い出していただきます。
なお、こな鐘はSLの到着駅である標茶駅にも『C11 171ふるさとの鐘』として設置しております。(鐘を吊るすアーチは、1925年製30㎏のレールを加工したものです。)」とありました。
第9列車 釧網本線 普通 網走行 乗車距離17.6km
釧 路 13:20発
東 釧 路 13:24着 13:25発
遠 矢(とおや) 13:32着 13:32発
釧路湿原(くしろしつげん) 13:40着
釧路駅からは、13時20分発網走行き普通列車に乗って釧路湿原に向かいます。
この列車には「足湯」と大きく書かれたヘッドマークが付いてました。

これは、定期列車釧路発摩周行4736Dと緑発網走行4738Dを、釧路・網走間を直通運転するために、9月30日まで摩周・緑間を結ぶ「摩周&川湯温泉足湯めぐり号」です。
名前の通り、摩周駅で「21分」、川湯温泉駅で「18分」の停車時間を設けていて、駅舎に隣接する足湯を利用することができる列車です。
7割程度の乗客を乗せて定刻に発車した1両だけの列車は、東釧路駅から釧網本線に入ります。
遠矢駅を過ぎると左に釧路湿原が広がり、その中に岩保木(いわぼっき)新水門が見え、大きく右にカーブを切り林の中を進むと、釧路駅から20分、13時40分に釧路湿原駅に到着しました。

釧路湿原駅は、昭和62年に釧路湿原が国立公園に指定され,翌年細岡大観望と言われる細岡展望台にアクセスするための臨時駅として開設され、その後平成8年から通年営業となった、タンチョウが羽を広げた姿をイメージして作られたログハウスの無人の駅舎です。

展望台は、駅から階段を登って徒歩10分ほどのところにあり、湿原の中を大きく蛇行する釧路川と、遠くに雄阿寒岳・雌阿寒岳を望むことができました。



つづく
根 室 11:03発
東 根 室 レ
花 咲 レ
西 和 田 レ
昆 布 盛 レ
落 石 レ
別 当 賀 レ
初 田 牛 レ
厚 床 11:41着 11:41発
姉 別 レ
浜 中 11:56着 11:56発
茶 内 12:02着 12:06発
糸 魚 沢 レ
厚 岸 12:23着 12:24発
門 静 レ
尾 幌 レ
上 尾 幌 レ
別 保 レ
武 佐 レ
東 釧 路 レ
釧 路 13:05着
根室駅からは11:03分発快速釧路行に乗ります。

釧路駅13:5分着なので、昼の弁当として「ロースカツ丼」と駅弁の「花咲かにめし」を買って乗りました。


快速といっても1両だけ、20人に満たない乗客を乗せて出発しました。

(釧路行キハ56-526の転換クロスシートは0系新幹線電車の廃車発生品。)
皮肉なことに、根室を離れるに従って青空が広がってきました。
次の停車駅厚床駅では2人が降りて、2人が乗って、その次の浜中駅では乗降無し。茶内では1人の乗車と、1両で十分ということに納得しました。

(落石湾と眼鏡岩)
別寒辺牛湿原が見えてくると進行方向右側に厚岸水鳥観察館が見えてきました。平成5年にラムサール登録湿地に認定された厚岸湖・別寒辺牛湿原の水鳥や動植物の観察や、調査研究やモニタリング等を行う拠点として2年後に完成したものだそうです。

(厚岸水鳥観察館)
最後の停車駅厚岸駅では8人が乗車してきました。
日中の快速ということもあり、1両でも十分のようです。
厚岸駅から隣の門静駅までは厚岸湾に沿って走ります。浜では天候も回復したこともあり、昆布干しが始まっていました。一見すると、海から上げた昆布を砂浜にただ並べて干しているように見えますが、採った昆布は、まず、表面についた汚れをきれいに洗い落とすそうです。次に、浜辺に作ってある昆布に砂がつかないように玉砂利を敷いた「乾場」で、日中一枚一枚並べて天日干しをし、夜は湿気を吸ってしまうため、夕方には取りまとめて「番屋」にしまう。天候を見ながら干す・しまうを2日くらい繰り返し、均一に乾燥を進めていくことが、旨味をぐんと引き出すには欠かせない作業だそうです。

(厚岸駅・門静駅間の昆布干し)
門静駅を通過すると、内陸に入りしばらくは牧草地も見えますが、次第に人家も見えなくなり、
上尾幌駅と別保駅間になると長い山越え区間で両側をに囲まれ、山奥という感じがしました。
別保駅を通過し下っていくと市街地が見え始め武佐駅を通過。釧網本線と合流する東釧路駅を通過すると終点釧路駅。定刻の13時5分に到着しました。
釧路駅のホームで目に付いたのが「石炭」。

釧路は、函館に入港する外国船に石炭を供給するのが目的で、1856年(安政3年)に北海道で最初に石炭が掘られた所だそうです。
展示してある石炭を寄贈した太平洋炭鉱は、明治30年に前身の安田炭礦が採掘を始め、閉山までの82年間で、採炭量は1億トン以上で採炭の多くを海底の炭層から行っていたため、「太平洋の海底炭」というネーミングで宣伝し販売をしていたそうです。ホームにある石炭は、その「太平洋の海底炭」でした。
また、昭和29年のガス爆発事故以外に閉山まで大事故を起こすことが無かった炭鉱だったそうです。平成14年に閉山したそうですが、主に地元企業が出資した釧路コールマイン株式会社が規模を縮小して事業を引き継ぎ、年間70万トンを採炭する日本の唯一の坑内掘石炭鉱として今も残っているそうです。
もう一つ目に付いたのが「湿原の鐘」。

説明板には、「SLが活躍していた当時、操車場で列車の進入を知らせた鐘を、『湿原の鐘』として平成12年1月のSL冬の湿原号の運転に併せて再現し、お客様に鑑賞していただくと共に、SLの発車までの間鐘を鳴らして、当時を思い出していただきます。
なお、こな鐘はSLの到着駅である標茶駅にも『C11 171ふるさとの鐘』として設置しております。(鐘を吊るすアーチは、1925年製30㎏のレールを加工したものです。)」とありました。
第9列車 釧網本線 普通 網走行 乗車距離17.6km
釧 路 13:20発
東 釧 路 13:24着 13:25発
遠 矢(とおや) 13:32着 13:32発
釧路湿原(くしろしつげん) 13:40着
釧路駅からは、13時20分発網走行き普通列車に乗って釧路湿原に向かいます。
この列車には「足湯」と大きく書かれたヘッドマークが付いてました。

これは、定期列車釧路発摩周行4736Dと緑発網走行4738Dを、釧路・網走間を直通運転するために、9月30日まで摩周・緑間を結ぶ「摩周&川湯温泉足湯めぐり号」です。
名前の通り、摩周駅で「21分」、川湯温泉駅で「18分」の停車時間を設けていて、駅舎に隣接する足湯を利用することができる列車です。
7割程度の乗客を乗せて定刻に発車した1両だけの列車は、東釧路駅から釧網本線に入ります。
遠矢駅を過ぎると左に釧路湿原が広がり、その中に岩保木(いわぼっき)新水門が見え、大きく右にカーブを切り林の中を進むと、釧路駅から20分、13時40分に釧路湿原駅に到着しました。

(岩保木新水門)
釧路湿原駅は、昭和62年に釧路湿原が国立公園に指定され,翌年細岡大観望と言われる細岡展望台にアクセスするための臨時駅として開設され、その後平成8年から通年営業となった、タンチョウが羽を広げた姿をイメージして作られたログハウスの無人の駅舎です。

展望台は、駅から階段を登って徒歩10分ほどのところにあり、湿原の中を大きく蛇行する釧路川と、遠くに雄阿寒岳・雌阿寒岳を望むことができました。



つづく
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