旅の窓

平凡ながら列車の旅が好きで、その様子を紹介しています。
『閑雲野鶴日記』は日々の自由気ままな生活の記録。

道南いさりび鉄道 鉄印の旅 5 上磯駅から渡島当別駅へ

2020-09-26 09:40:01 | 道南いさりび鉄道線の旅
上磯 カミイソ       10:56着 10:56発
 単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線を持つ無人駅ですが、1番のりばは折り返し専用の行き止まり式のホームとなっており、このホームのみ非電化です。


 約半数の列車が、上磯駅で函館駅に折り返します。


 駅名の由来は、アイヌ語の「カマ・イソ」(波をかぶる岩)に由来するという説と、北海道ではかつて西側のことを上と呼び、当地が函館市から見て西側(=上)の海岸(=磯)であることに由来するという説があります。


 かつては、駅の西側にある日本セメント(現・太平洋セメント)上磯工場への専用鉄道。また、上磯工場と峩朗(がろう)鉱山(石灰石鉱山)及び万太郎採掘場(粘土採掘場)を結ぶ鉱山鉄道もありましたが、1989年(平成元年)10月に廃止されています。
 そもそも道南いさりび鉄道線の前身は、1909年(明治42年)、上磯村峨朗の石灰石を函館に運ぶ目的で、函館地区の有志が鉄道院に布設を請願したのが建設のきっかけで、これを受け1910年(明治43年)の軽便鉄道法を準用して建設され、1913年(大正2年)9月15日に上磯軽便線として開業した五稜郭駅・上磯駅間の鉄道を、1930年(昭和5年)から1936年(昭和11年)にかけて檜山郡江差町の江差駅まで延長し、11月10日に開通した江差線です。 
 本来上磯駅までの鉄道であったことを物語るように、上磯駅を出ると右にカーブし、太平洋セメント上磯工場を避けるように大きく迂回します。






 セメントの主原料である石灰石の鉱量が300年分有ると言われている峩朗鉱山から上磯工場への輸送は鉱山鉄道からベルトコンベアーに代わっています。全長6.2kmあるそうです。


 天気が良ければ、上磯駅・上磯トンネル間で右手に駒ヶ岳が見えるはずですが・・・。左手の函館山だけ見えます。
 

 661mの上磯トンネルを抜けると矢不来信号場です。


 第一矢不来トンネルは、信号場の一部です。


矢不来信号場 ヤフライ    
 ここは、1990年(平成2年)6月4日に津軽海峡線の列車増発に対応するため、交換箇所を増やす目的で開設された信号場です。
信号場名の由来は、当信号場の南側に所在する矢不来地区の名称で、アイヌ語の「ヤンケナイ」(陸揚げ場)に東北弁で「矢が来(け)ない」という言葉を当て、「矢不来」とし、後年音読みされるようになったといわれています。
 線路は一線スルー式の通過線と待避線の2本で、待避線の一部が第一矢不来トンネル・第二矢不来トンネルになっている珍しい構造の信号場です。


 基本的に列車交換がない場合は、上下線共に海側の岩石覆いの下を通過します。列車交換や追い抜きがある場合は、トンネル側の線路に入り、列車の通過を待ちます。
 通過線は、海岸線の沿って国道228号を見下ろすように進みます。
 振り返ると、太平洋セメント上磯工場から沖に2km程伸びる海上桟橋が見えます。


 茂辺地駅方面の合流点に近い所にあるこの建物が、信号場中心のようです。


 信号場を出ると一旦海岸に出ます。


 再び離れて茂辺地トンネルを抜けて茂辺地川を渡り左にカーブし茂辺地駅到着直前、遠くに一瞬、ブルートレインが見えます。
 1988~2015年に上野駅・札幌駅間で運行されていた寝台特急「北斗星」の客車2両を保存・展示している「茂辺地 北斗星広場」です。
 保存されている2両は、最後部に連結されていたB寝台車「オハネフ25-2」と、北斗星の特徴でもあった豪華なB個室寝台車で、一人用個室「ソロ」とシャワー室、ロビーを備えた「スハネ25-501」です。


茂辺地 モヘジ      11:07着 11:08発
 住所が面白い。北海道北斗市茂辺地鉄道用地。開業は1930年(昭和5年)10月25日。ひょっとしたら開業以前から鉄道が通ることを期待したためでしょうか?
 駅名はアイヌ語の「モ・ペチ」(静かな・川)に由来します。


 再び、国道228号とともに海岸沿いを進みます。


 お天気が良ければ下北半島の山並みが見えるのですが・・・。


 道南いさりび鉄道線最長区間も、589mの当別トンネルを抜けると渡島当別駅に着きます。

 つづく


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