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ゆめと(ttm21)です。所感、エピソード等を気ままに綴ってみたいと思います

うわさ(デマ、流言)について 3

2022年12月15日 | 放送大学

 今回も放送大学の講義からです。

<うわさに踊らされないために>

 ディフォンツオは、人がうわさをする理由について、人間は「他者と関わりあって生きる社会的存在」であり、同時に人間には「世界を理解したいという根源的な欲求がある」ことを挙げています。つまり、うわさとは人間が世界を協働で理解したいとする本質的な行為であり、そのための優れた方法だというのです。もしうわさが、このように人間にとって本質的な行為なのだとすれば、うわさそのものを排除することは難しいと思われます。では、我々が、根拠のないうわさに踊らさされないようにするにはどうしたらよいでしょうか?

 1つには、何よりもうわさが拡がらない環境を作る必要があります。特に災害時などは、人々が重要とみなすであろう情報について、「曖昧さ」を低く保ち、人々の「不安」を緩和することが肝要です。しかし、災害発生直後等は政府、メディア、専門家など、本来、率先して正確な情報を提供すべき機関や人々においても情報が錯綜し、混乱が生じてしまいます。したがってそのような状況で、我々がうわさに踊らされないためには、やはり一人一人が、こうした情報に対して批判能力(リテラシー)を持つことも必要でしょう。

   具体的な方法の一つとして、「受け取る情報のチェックを習慣化する」ことがあります。すなわち、当該情報の中に、それが真実ではないという根拠を見出せないか、又は、当該の情報以外で内容の真偽を確認できないかというチェックです。キャントリルは、前者のタイプを内在的チェック、後者を外在的チェックと名付けました。うわさに踊らされないためには、少なくとも前記のいずれか(出来れば両方)のチェックをすることが重要であると考えられます。

 ヂフォンツオはまた「人は受け入れられるうわさだけを信じる」としています。自分の感情や考え方に合致するうわさはもっともらしく感じられるし、信じたいという気持ちにもなります。したがって、多少曖昧な情報であったとしても、そのうわさを確証する証拠ばかりに注意が行き、反証する証拠は無視されたりするという確証バイアスが生じます。

 私は以上の学説に思い当たる節が多いにありますが、皆様はいかがでしょうか?昨今出回っているうわさの数々を、以上の観点から見直してみるのも一興と存じます。 

 

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うわさ(デマ、流言)について 2

2022年12月01日 | 放送大学

 今回も放送大学の講義からの引用です。

 では、現実には、どのような情報がうわさとして拡がるのでしようか。オルポートとポストマンは次のような基本公式を提案しました。

                R~i×a

  これは、うわさの流布量(R:rumor)は「当事者に対する問題の重要さ(i:imoortance)」と「その論議に対する曖昧さ(a:ambi-guity)との積に比例することを表しています。重要さと曖昧さの積がうわさの流布量となるので、いずれかの値が0であればうわさにならないが、逆に重要さと曖昧さの両者が大きくなれば、うわさは爆発的に拡がることになります。ただし、現在までの実証研究では「曖昧さ」はうわさの流布量を規定する要因になるものの、「重要さ」に関しては「不安」に置き換えた方が現実的であるとの認識が支持されています。

 すなわち「曖昧」で「不安」を掻き立てる要素が大きい情報ほど、うわさとして拡散されるようです。

 

 

 

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