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ゆめと(ttm21)です。所感、エピソード等を気ままに綴ってみたいと思います

初めての給食

2022年08月15日 | 回顧録

 終戦記念日を迎え 今回から思い出についても書いていこうと思います。

 この世に生を受けて 最初にしてかつ強烈な記憶といえば「空腹」に始まる食べ物関連のものである。祖国の敗戦とともに、朝鮮満州の国境から命からがら引き揚げた我々家族は、文字通り着のみ着のままの無一文で、粗末なバラックに収容され、間違いなく最底辺の極貧層であった。
 植民地における支配層で、軍事物資を供給する企業の生産担当幹部の父は特別に徴兵を猶予されており、食生活も含め、かなりハイレベルな生活を送っていたという。それを歳の離れた姉と兄は懐かしく語ってくれた。「少年少女期に天国と地獄を経験した」と。しかしそれまでの私の経験に天国は無かった。
 当時の食の記憶と言えば進駐軍から配給された家畜飼料(あわ、ひえ、コーリャン、コーンの屑等)時折農家の好意により無償で提供されたイモの葉っぱ、茎等をかじり、野草をむさぼり、それさえ無い時には、水を飲むしかなかった。それだけにまともな食べ物にありついた記憶は鮮烈である。最初の記憶は生卵である。しかしながら1つの卵を水で割って18人で食べたため、味は分からなかった。そして次がスイトン、これは泣けるほど旨かった。間を飛ばして小学校の給食。
 ランドセルも晴れ着もなく、麻袋を背負い兄のおさがり仕立て直しである中古の国民服での入学ではあったが、幸運にもその年から学校給食が始まった。最初のメニューは忘れもしない。コッペパン、脱脂粉乳、そして鯨の竜田揚げ、これらはもう筆舌に尽くせないほど美味であった。小学校入学によって私はこの世の天国を知ったのである。今もって私の辞書に「好き嫌い」の文字は無い。

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自他共栄・汝の敵を愛しなさい

2014年02月18日 | 回顧録

 研修の帰途 渋谷駅の乗り換え通路で呼び止められました。振り返るとSさんで、

なんと35年ぶりの再開です。現在も司法書士事務所代表としてご活躍とのこと。

今日は遅いので 再会をお約束して立ち話でお別れしました。

 

 帰路の途中当時の情景が走馬灯のように 脳裏をよぎりました。Sさんはバリバリの

反企業戦士、私は人事部直属の活動家排除プロジェクトのメンバーでした。当時私の

勤めていたD社は、革新政党党員の牛耳る組合が連発するストライキで業界首位から

4位まで転落し、瀕死の状態からの復活を目指していました。その活動の第一が企業内

活動家の排除であり 私の職務でもあったのです。

 

 

 結果的に 私はプロジェクトのなかで トップの業績をあげ「人切りF」と恐れられました。

実態はどうであったかというと、配属後、まず所轄の活動家全員と個別面談をおこないました。

最初の面談はおおむねこのようなものです「このやろう!お前のような企業の犬は

革命が成就したら真っ先に吊してやるからな覚悟しとけよ!」これに対して私は

「まあまあ穏やかに話しましょう。成程我々は対立する立場にあります。しかし個人的

には格差のない社会実現にあこがれたこともあるし、党幹部に高校時代の友人もいます。

一つの信念を持ち活動している方はノンポリよりはずっと尊敬しています。その一方で私は

現在あなた方を極力排除し、その反企業的活動を封じ込めることで給料をもらい家族を

養っています。したがってこのミッションは何が何でも完遂します。

 

 そこで両者がウインウインとなる方法がないか探ってみました。すなわち当社を退社する方は

現在より格段に良い条件で転職先を斡旋します。他の方は生産や企業活動を阻害しなければ

従来のようなレクレーション等の会社行事から全て排除し、口を利かない等の職場での「村八分」

状態の解消と昇給・賞与・昇進の最過酷評価を公平なものに改めることを約束します。

 

 そして私のことを信用して頂くために 皆さんにささやかなっプレゼントを用意しました。先に

お断りしておきますが、当社では自前の調査組織を持っています。そこで皆さんの身辺調査を

致しました。まずリーダー格のSさんですが、将来の独立を目指して司法書士の勉強をされて

いるようですが残業・臨出の多い現状ではなかなか思うようにいかないようですね。

そこで残業・臨出の免除と特別奨学金を申請して勉学費用の半額負担を提案したいのですが?

ちなみに Aさんのお母様は心臓の難病を抱えていらっしゃいますが、従来希望して叶えられ

なかった最高権威であるJ大のS教授による執刀を先輩にあたる医長の口添えで実現させたり、

高利の住宅ローンを抱えるBさんには大幅に低利の会社提携ローンへの借り換えをすすめる

等等を考えています。」

 

 その場でSさんから回答は得られませんでしたが 次々と面談を行い 並行して各職場の

課長・職制をあつめて 簡略するならば 「北風から太陽」への作戦変更を提案し 意見を

求めると 生産現場においても従来のような同僚との際限のない闘争は疲れるのでこの提案は

好評裏に了承されました。具体的には本日ただいまより活動家への従来の敵対的な対応を

改め、職場全体で同僚として暖かく受け入れる、ストライキ・サボタージュ等の生産阻害活動に

対しては日にちを限定して従来の対応に戻すことを確認しました。

 

 

 多くの活動家の転職相談にのったことは 現在のキャリア・コンサルタントの業務に大いに

役立っておりますし。ストライキやサボタージュの根絶はもちろん活動家の業績表彰者続出等

による大幅な生産性向上で事業部は最高益を計上し、トップから末端にいたるまで幸せな時を

過ごせました。

 転勤時に活動家の現役・OBから送別会のご招待を頂きましたが さすがにこれだけは

丁重にお断りしました。

 

 

 自分の主義主張に合わない職務を命じられたらどうするかについて 恩師2人の教えが

このときも私を救ってくれました。

 

 表題の「自他共栄」は合気道の恩師T師範、「汝の敵を愛しなさい」はゼミ指導教授で

敬虔なクリスチャンのN教授です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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箱根駅伝に思う

2014年01月06日 | 回顧録

  正月の2日間久々に箱根駅伝の筋書き無きドラマを堪能しましたが 駅伝にまつわる

若かりし日のことを思い出しました。

 

   入社2年目の23歳から5年間サブの業務として事業部主催のレクレーションの企画

運営と陸上部のマネジャーを命じられました。レクレーションを活発にすることと事業部

対抗駅伝大会の成績を向上させるのが担当役員の希望でした。特に駅伝は毎年1つ

づつその順位をあげていくことが望ましいとの注釈が加えられていました。

 

 この業務はサブの業務でメイン業務はこの5年間に収益管理から労務管理に変わり

ました。 メイン業務にはそれぞれ上司、先輩がおり、その指示により動きましたが、

サブ業務は実質的に完全に任されて私1人で担当するので私の意識としてはこちらが

メインで、気合いが入りました。

 

 そしていかにして私らしくこの業務を遂行するか考えました。私は「産業心理学

(現在は産業組織心理学)ゼミ」を履修し、担当教授からは、「社会人として業務遂行

に当たってはゼネラリストを目指すも合わせて産業心理学のスペシャリストとしての

視点から常に個性的な分析を試みなさい」とのご教示を頂き実践してきました。

 

 そこで駅伝大会で事業部Eチームの順位を上げるにはどうするべきかを分析し あわせて

施策を立案しました。Eチームは全50数チーム中常に10位以内に入るという実力がありますが

3位以内入賞の実績はありません。前年の順位は7位です。そこで次回の目標は6位とし

毎年一つづ順位を上げて、6年後に優勝を狙うこととしました。

 

 さてそのための要件としては

1.現在の6名の部員を増員し層を厚くする

  →駅伝は5区制で補欠1名を加えてぎりぎりの陣容であり体調不良で2名がリタイヤーし

    高齢の監督が走らざるをえなかったことがありました

2.部員のレベルを向上させる

   以上が必要なことはすぐに分かりました。

 

 さてそのための施策としては

1.の増員対策

(1)隠れた人材を発掘するため事業部主催レクレーション「職場対抗駅伝大会」を活性化させる

   →前年までは総務部主催で事業所対抗の1カ月前の冬場にこれも事業所対抗と同じく

    5km×5区間で競われ前年の参加チームはわずか6チームと極めて不評。しかも陸上部員が

    参加するため個人賞は陸上部が独占し、応援もまばらで最も盛り上がりに欠ける行事でした。

  ⇒陸上部主催とし、監督は運営委員長、部員は出場せず運営委員として表にでて、総務部は

    裏方の雑用を担当。時期は陽気の良い秋に実施、3km×5区間と負荷を軽減、課長チーム対

    女子チームの対抗戦や、ベストドレッサー賞、仮装賞、ファミリー賞、優秀応援賞、その他の特

    別賞を多々用意し参加賞も奮発。事前に組合、職制会等で参加をよびかけました。その結果36

    チーム180人と課長チーム10女子チーム20人の総計210名と前年の7倍の参加者を数え

    応援も走路の沿道を埋め尽くすなど次年度以降も事業部最大のイベントとして定着しました。

(2)職場対抗駅伝大会の上位10名に陸上部入部を勧める

  →1名を除き全員が辞退

      (毎日昼休み、休憩時間を削っての鬼監督のもとでの猛練習が知られていた)

  →練習等の拘束の緩やかな、陸上同好会「E愛走会」を創設、総務部を中心に10~20代 

       の女性を勧誘 (カラフルなユニホームを社費で支給)し8名の入会に成功、男性の入部辞退者 

      9名も全員入会しました。

  →陸上部は昼休みに近くの公園を使って柔軟体操、ジョギング、5km走等の練習を毎日行って

    いました。そこで愛走会は柔軟体操、軽いジョギングまでは全員で、それ以降は自由参加と

    しました。ある時期になると男性会員の大部分と、女性2名が最後まで陸上部に参加する

    ようになり、女性2名を陸上部マネジャーに任命し、男性3名も自主的に入部しました。

 

2.部員のレベル向上

(1)モチベーション向上策

 ①入賞体験

   従来は年に1回の事業所対抗戦とそれに先立つ職場対抗しか活躍の場がなく、

   そのために1年間厳しいトレーニングを積むモチベーションを維持することは大変です。

   まして職場対抗は出場を禁止したのですからこのままでは酷いことになります。そこで

   成功体験を積ませるために、マイナーでオープン参加が可能な競技会を探してみました。

   まず最初にトライしたのがある大手の音楽鑑賞会が主催した「第1回マラソン大会」です。

   距離は5kmで厳密にはマラソンでもハーフマラソンでもないのですが、小手調べとしては

   うってつけです。結果としては8名が出場しなんと1~8位を全員が独占し、この大会は

   1回限りで廃止となりました。主催者には申し訳ないことをしましたが、陸上競技関係者

  が全く参加しない大会とはいえ賞状とトロフィーを授与されて部員のモチベーションが

   上がったことは言うまでもありません。これに味をしめて村営や、地域限定で1流アス

   リートが見向きもしない大会を丹念に探し、入賞実績を重ねました。

 

②栄誉をたたえる

  社内の「8ミリ映画同好会(当時はビデオがまだ普及していませんでした。)」に呼びかけ

 フィルム代は会社もちで「記録映画<陸上部栄光への道>」の制作を依頼しました。

 練習風景、競技会への参加風景を手弁当で撮影してくれました。

 これを編集完了次第昼休みに社内会議室で上映会を開きました。ちなみにナレーションは

 交換台の女性に依頼し、BGMは私が担当しました。

 また①の入賞実績も社内の掲示板と昼休みの社内放送で広報しました。

 選手・監督は大感激です。

 

(2)科学的トレーニングの確立

 ある程度モチベーションもあがり、記録更新を選手たちが自ら切実に求める状況に

なり、人員的にも余裕ができた段階で、トレーニングメニューをレベルアップしました。

もともと監督は陸上競技公式審判員の資格を持つなど、指導者として極めて高い

能力の持ち主でした。私も大学の運動部のコーチに就任するにあたり運動生理学は

ある程度学びましたが、今回監督には最新の外部研修を受けて貰いました。

 筋力、柔軟性、スピード、持久力、休養等のバランスの取れたトレーニングメニューを、

年間・月間・週間単位で作成し、事業所対抗の日にピークがくるように、栄養管理、

メンタルトレーニングも含めて現時点でベストと思えるものを作成しました。

 

*結果はどうであったかといいますと、7位でバトンを受け継いで、翌年6位、同5位、4位

3位、2位で6年目は私は本社に異動になりチャレンジできませんでした。(ちなみに結果

は6位)見事にミッション100%完遂です。これは私から見ても出来すぎでした。この件を

晩年他事業部において駅伝監督を務める後輩の部長に話したところその場では信じて

貰えませんでした。どうも年寄りの誇張した自慢話と受け取ったようですが、後日「古い

記録を調べたらおおせの通りでした。脱帽です!」とのTELを貰いました。

 

 

 

 

    

 

    

 

    

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

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危機こそチャンス

2013年08月17日 | 回顧録
 前回の文章を書いている最中に入社2年目に味わった社会人として初めての
キャリアの危機を思い出しました。それは希望して配属された印刷現場で 
悪戦苦闘の末 ある一定の立場(班長代行)を築いた時期に訪れたのです。

 その日は絶好の小春日和で 昼食後の腹ごなしに 屋上で職場の若手を集めて
上半身裸で恒例となった日焼け筋トレをやっていました。そこへ事業部の勤労
担当の主任が通りかかり上着を着るようクレームをつけたのです。いわく
風紀上好ましくない・・・と。私は若気の至りでこの勧告を無視しました
「就業規則のどこにもそんなことは書いていないし、男性が上半身を晒すことは
極めて健康的である」といって・・・・。

 さてそれから3日後、不定期異動の内示がありました その異動先はかの主任
の部署です。そしていわく「君には再教育が必要なので異動してもらったが
緊急の事なので当部署内に適当な仕事がない そこで当分の間原稿のコピーを
やって貰う」とのことでした。

 半世紀近く前のことですので 今でこそコンビニで1枚5~10円でコピーが
取れますが当時は乾式コピーというのは極めて高価で現在の価値に換算してA41
枚1000円位のコストがかかりました。そこで自由に取らせると経費が大変
ですので 申請書を書き上司の許可を貰ってから 専任のアルバイトに依頼する
という形をとっていました。要するに1日中ひたすらコピーをとりまくるという
単純作業です。一種のペナルティー人事であることは明白です。しかもいつまで
という期限が区切られていません。まさか定年までということは無いでしょうが
・・・・。

 ここで恩師でクリスチャンであるN教授の言葉が浮かびました。「世の中に
1つとして意味のない無価値な仕事は無く、職業の貴賎もない 社会に出たら
犯罪行為でない限り どんな仕事でも与えられたら天命と思い全力で取り組み
ベストを尽くし その道のトッププロを目指しなさい!」

 ということでふてくされる間もなく 恩師のアドバイスを実行に移すため
 職務分析を行いましたまず納期に間に合わせることを大前提に ①品質:
 いかにきれいにコピーするか? ②コスト:いかに経費を削減するか?を
 現場での知識、メンテナンス業者からの聞き取り等も含めて 多面的に
 検討した結果

・用氏をA4主体からA3主体に変更
  当時のコピー機はレンタル制でB5~A3の大きさに関係なく一律1枚いくら
 という料金設定に なっておりこれがコストの9割以上を占めていました。
 そこでA4の場合も2枚付け合わせ、小さなカットや図表も極力まとめる
 (現場で使用していなかった手動断裁機を借用して対応)
 →レンタル料の40%削減

・用紙は余剰紙を断裁して使用していましたが 化粧断ちという仕上げ断裁を
 省き→断裁コストを半減 それにともなって用氏の利用率(廃棄しない部分)
 を13%アップ

・当時は極めて故障が多く 修理期間中はコピーがとれないため利用者に多大な
 迷惑をかけましたが 修理担当者から簡単なメンテナンス技術のレクチャーを
 受け また専門的技術が不可欠な修理については ポイントのチェックと統計的
 手法による事前メンテナンスを活用し
 →突発的な故障とそれに対する修理作業は10分の1以下に激減しました

・コピーの汚れは 原稿を乗せるガラス面と機械内部の鏡面ドラムの汚れによるもので
 従来は修理担当者が修理時に清掃業務を行っていました
 →私が毎日業務開始時に 清掃業務を行い常に最高の品質でコピー出来るように
 なりました

・従来は依頼者が出来上がったコピーを受け取りに来ましたが→社内定期便を活用
 または徒歩により直接依頼者デスクまでお届けするようにしました

・従来は事務的なやり取りでしたが
 →依頼者をお客様として対応することにしました「いらっしゃいませ、毎度有難う
 ございます、何か注意点はございますか?」

 これらの実施により私自身も楽しく仕事に取り組めましたが 何よりもコストダウン
が経営会議の話題となり 事業部担当常務、工場長がコピー機まで見学に来られました。
これが将来的には常務直命の電算化計画、工場長直命の工場内物流改善プロジェクトの
リーダーへの就任につながる 私のキャリアにおける最初の大きな好機となりました。
また更には コピー依頼者は多くが営業でしたが ここで培った良好な関係が更に将来
営業部門の大改革を成就するための大きな資源となったのです。
 






 



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