スピリチュアリズム・ブログ

東京スピリチュアリズム・ラボラトリー会員によるブログ

【雑報2点】異才の詩人・写真家/無限の夢

2012-09-03 13:02:39 | 高森光季>その他
 ちょっとネット上から紹介2点。      *      *      * 前にもちらっと書いたことがありますが、私が毎日見ている写真ブログがあります。 ( ゜毒゜)< しんどい。 今日は特別美しい作品だったので紹介させてもらいます。( ゜毒゜)< しんどい。より この方、365日毎日、写真と短文(詩)をアップされています。 一日も欠かさず。すごいですね。 プロではないようです。 ほん . . . 本文を読む

【「私」という超難題】(18) 責任と罪

2012-09-03 00:12:36 | 高森光季>「私」という超難題
 「私はない」とすると、責任の主体がなくなります。倫理が崩壊します。 現代の支配的思想である唯物論では、私とは、「脳が発生させる湯気のようなもの」「様々な物質システムから構成される複合体」ということになります。 そこには、「責任」ということは、本質的には存在しない。社会を円滑に運営していく(種の保存)という功利的な意味で、違法行為に対して責任は設定しますが、それ以上のものではない。 そして実際、社 . . . 本文を読む

【「私」という超難題】(17) 思想や想念は私ではない

2012-09-02 00:13:47 | 高森光季>「私」という超難題
 どうも難解な話が続いて申し訳ないですが。 前回、「超越へ向けて自己を投企する」ということを書きました。典型が「殉教」です。 霊的に見れば、死ぬこと自体は別に問題ないわけです。死後も私は存続するのですから。こんなことを言うとあきれられるかもしれませんが。 で、ここで気になるのが、「思いにとらわれてしまう」ということです。この(9)で書いた「想念憑依」とも関係します。 マイヤーズ通信に、以下のような . . . 本文を読む

【「私」という超難題】番外編 私中心に戻る?

2012-09-01 15:12:20 | 高森光季>「私」という超難題
このシリーズの「(14) 現実認識・自己認識と無力感」で、こんなことを書きました。 《現実というのはとてつもなく巨大で、われわれの知ではとても把握・理解できるものではない。 自己客観化を突き詰めていくと、自分というものが、とてつもなく小さな存在で能力も可能性も限定されていることを知る。そこでしばしば出現するのが、「無力感」です。 だって、私などというものは数十億の人間の「1」に過ぎないし . . . 本文を読む

【拾いもの】神社で会った守護霊?

2012-09-01 12:13:40 | 高森選>2ちゃんねるのスピリチュアリズム
 どこかで見て拾っておいたものです。 かなり読みにくて意味不明も多いものですが、なかなか興味深いところもあるのでよろしければ。////////////////////////////////428 自治スレでローカルルール他を議論中 2010/10/23(土) 08:04:32 ID:3dV/3TNB0  話長くなるけど誰かに言いたくてしょうがなかったからさ書き込みする。  この前さ小さい頃から見 . . . 本文を読む