Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

シロの一生 前編

2024-04-28 23:00:46 | つぶやき

 2012年7月30日に「火葬場から」を記した。読み返すと、ずいぶんいい日記を記している。ペットの火葬について記したものだ。妻がこんなことを今日口にした。妻の実家の近くにいる親戚の家で飼い犬が死んだ際に、火葬場に持ち込んで「火葬にして、あとは処分してくれといってすぐに帰った」と言う。妻にしてみれば「ひどい話」と憤慨したわけであるが、実は「火葬場から」に「火葬場によれば火葬に持ち込んだ後、そのまま骨の処分も依頼してすぐ帰るケースもある」と当時記している。ようは当時のペットの火葬場は、「処分場」のような存在であったとも捉えられるもの。そのことが日記には綴られている。なるほど「処分場」か、と納得してしまうわけであるが、当時はペットの火葬が当たり前ではなかったのかもしれない。この記事はラブが亡くなった際に、火葬場で火葬にした日に記したもの。妻にとっては実家でずっと犬を飼い続けてきたという経験の中で、初めて火葬にした例であった。

 そして今日、シロの火葬をしてもらった。ラブのときと同じ火葬場。実はラブの後にも妻の実家で飼っていた犬は亡くなっているが、火葬にはしていなかった。ラブ以来の火葬、当時とは少し様子が違った。ラブの遺骨は、小さな骨壺に入れられて、今も居間のピアノの上に置かれている。小さな骨壺だから目立たないということもあって、ずっと身近に置いてきた。大型犬であるラブだったから、火葬にした後に骨はたくさんあっただろうが、一部だけが骨壺に入れられて持ち帰られた。記憶は定かではないが、火葬場からそう勧められた結果だと思う。ラブもまた妻にとっては子どものようなものだったから、「全部持ち帰ってあげたかった」とは、シロを火葬している間に口にした言葉だった。

 ラブに比べたら小さなシロは、骨はもちろんわずかだった。火葬場から骨壺の大きさを問われ、3寸のものにしたが、一応全ての骨が納まった。しかし家に帰り、ラブの遺骨の横に並べると、それより一まわり大きい。ラブの遺骨は、本当に一部分だけだったのだと、あらためてわかったしだい。

 さて、ラブは人懐こかったが、シロはクールだった。でもお母さんとは、常に一緒に実家と家を行き来した。3年半もの間、ずっと食事を食べさせてもらって過ごした。ここではシロの一生を振り返ってみることにする。

 

2009/4/5 我が家にやってきた日

2009/4/8 毎日のように写真を撮った

2009/4/11 いつも段ボールの中

2009/4/19 こんな具合に寝ていることが多かった

2009/4/25

2009/5/31 1か月もしたら顔つきが変わってきた

2009/8/29 ラブとはいつもじゃれ合っていた

2009/11/23

2010/4/25 ため池の土手へラブと散歩に行くことがよくあった

2010/9/5 いよいよ家の中で自由に…

2010/10/16

2010/12/31 2010年大晦日

2011/4/3 ラブも年をとった

2011/10/29 やはり、ため池で

2013/12/8 もうラブはいない

2014/11/25 サンルームから家の中をのぞくことが、休日のよくある光景

2015/3/17 吠えまくり続けていたころ

 

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