Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

「時間」

2021-11-24 23:49:45 | つぶやき

 何かが違ったのだろう。今とそう環境に違いがあるわけではなく、あのころも週日の動きは同じだった。あえていえば、人員カットがされて、退職年齢が引き下げられて、その先にあまり明るい話題がなかったところは、今とは違うかもしれない。しかし、かといって日々の仕事は、今とそう変わりなく、仕事に追われていたことは同じだ。週末も妻の実家に通い、草刈、稲作、柿の収穫といったいつも通りの生活に追われた。今では柿の収穫はしなくなったから、休日の動きにも少しの違いはあるが、日々の過ぎていくことにそれほどの違いはなかった。

 そんな中、当時は毎日電車で通っていた。若いころの自分を思えば、「そんなことありえない」と他人に言われるほど、そんな通勤の姿は自分にも、誰にも想像できなかっただろう。「何かが違って」自分のこころ内に変化があり、そんな姿が実現したはず。やはり先々が不安になって、もちろん給与もカットされ、経済面を考えたこともあったのかもしれないが、よく思い出せない。すでにこの日記を記していたので、当時の日記を振り返れば、もしかしたらそのあたりの心情は思い出せるのかもしれない。いずれにしても、時間より、何か違った自分を探そうという思いがあったのかもしれない。そして確かに、あのころは、電車の中でほとんどの日記を記していた。見ず知らずの人々と、わずかながらの時間接しながら、人とのさまざまな思いを描いていたと思う。コロナで支障を来している、今とは違った環境でもあった。何を得ようとしていたのかは、思い出せないということは、それほど大きな成果として、今残っているわけではないが、一時の「自分」を顧みるには十分な時間だったと思う。

 その後久しぶりに同じ出先にやってくると、今度は人には「電車じゃないの」と何度か口にされた。想像できなかった自分という姿が、すっかり電車通勤が板について、人様には少し違った自分を描いていたのかもしれない。それだけの長い電車通勤時代があった、ということ。そして今はどうだろう。時間を求めれば、通勤などという「どうでもよい」時間はカットしたい。若いころの自分と変わりはない。少しでも早く、と思い、狭くやっかいな道を日々選んで走っていた時代と、気分的には違わない。そして今は、その駆け引きが「高速道路」という空間に引き継がれた。もちろんかつての様な駆け引きなどいらない。ただ速度計との駆け引きに集約された。電車通勤時代とは、まったく違った「時間」を獲得した、と言える。もうこの時間を捨てて、違った自分を探すことはないだろうし、その気持ちも湧かないだろう。生業を離れるまでは…。


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