Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

「仕事」中編

2021-11-25 23:41:22 | ひとから学ぶ

「仕事」前編より 

 地方、とりわけわたしの周囲では、定年退職するころから地域の役が連続して回ってくる。基本的には年齢順に、誰でも対象者となるから、誰でも「受ける」のが当たり前だと思うのだが、とはいえ、「誰でも」というわけではない。当たり前のことで、例えば自治会の戸数によってもそれは異なる。たくさん同年代が何年にもわたって大勢いいれば、「誰でも」ということにはならず、選択されて役を負っていくことになる。が、地方でも世帯数が減少し、わたしの住む地域でも、ふつうに「誰でも」受けることが慣例化している。特別理由がない限り…。ということで、わたしも今、公民館の役を負っているが、この後毎年のようにスライドして役が大きくなっていき、そのあとには自治会の役員も待っている。

 先日も伊那市内のある自治会の話になった。話をされた方は、現在区長だという。伊那市の場合、戸数の大小はあるのだろうが、わたしの住むエリアに照らし合わせると自治会が「区」という印象だ。大小があるから、話をされた方の区は200戸ほどあるという。やはりわたしの住む地域とくらべると「大きい」。話によれば、年間200日ほど用事があるという。ほぼ生業で言う「仕事」と同じくらいだ。ただ、1日中拘束されるというわけではなく、短ければ1時間もかからないこともあるのだろう。とはいえ、200日もあると大変なこと。これでは「誰でも」受けるということにはならないだろう。もちろん戸数が多いから、前述した通り。選択された役員も、代償はそれほどないのに、大変な「苦労」だけはしなくてはならない。これを「仕事」と言わず、なんと言う、という感じ。もちろん定年退職されていて、いろいろ自治会にとどまらず役をお持ちのようだが、退職しているからといって「暇」なわけではない。世間への恩返し、なとどいう説明など、きっとしたくないだろうが、世間の眼には、そんな眼もあるかもしれない。だからだろうか、こうした選択される場合、お役所関係の方が自ずと多くなる。

 あらためて「仕事」といっても、現実的には生業上現役だとしても、重い、軽い、がある。みなそれぞれなのである。苦労した人もいれば、まったく苦労などなかった人もいるだろう。現実は、実に格差がある。そして、それはこうした定年後の時間にも関わってくる。いずれにしても、定年退職したからといって、時間の消費に悩む人もいるだろうが、人のために奉仕のような「仕事」に追われる人もいる。やはり、「仕事」とは印象にある「生業」だけのものではないことは、確かな事実であり、年老いても「仕事」で忙しく暮らす人は大勢いるのである。

続く


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