Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

心貧しかった孫

2009-02-27 12:36:27 | ひとから学ぶ
 8月7日午後3時と記録してあるが年代は記されていない。年代を推定できるようなものは、誌に書かれた内容くらいである。次の誌は、いつのものとも知れないノートになぐり書きされたものである。おそらくわたしが高校時代のものだろう。


「孫」

毎日テレビの前で孫の顔と付き合う。
そして手にあまる孫は、
祖父に意地の悪い質問をする。
「この番組の感想は」と。
目的のある番組を視聴したいと孫は人生観を問うのだ。

頭も白く、九十に近い祖父は、
まぶしそうに視線をあげる。
そして汚れた手で目をこするのだ。
「何だっていいじゃねーか」
一回や二回ではない、
孫は同じようにテレビの前で祖父に投げかけた。
マンネリ化した老いた生活に
テレビの映像は新鮮には映らなかったのかもしれない。

半分寝ているその顔に、
孫の意地の悪い質問は
何の苦も無かった。
ただ老い果てたその目は、テレビを追うだけである。

映像を隠す必要もない。
感想のない老いた祖父のまぶたに
頭脳との共鳴はもうない。


 この後、おそらく2年ほどで祖父は亡くなる。祖父とは長い間、テレビのチャンネル争いをしたものである。幼いころは祖父と孫の趣向が合うはずもなく、まさに〝チャンネル〟を回しては喧嘩をしたものである。今の時代とは異なり、テレビの普及過程にあっただけに、祖父も譲ることはなかった。今では絶対にあり得ないような争いであっただろう。その争いの経験から数年後、祖母が亡くなり、あれほど強い意志を孫に見せていた祖父も、急激に衰えた。かつて争いをしていたころも、そして衰えた後も、孫は祖父の対面に身体を寄せて、テレビが見えないように邪魔をしたものである。果てにはその番組で何を得ているのか、などという質問をする。意地の悪い孫であったことは確かである。それほどかつてのチャンネル争いは、その後の二人の生活に大きく影を落とした。そして孫はそのまま家を旅立った。その後あまり会話もなく、祖父は亡くなった。

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