Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

若き女性農業者の思い

2009-02-28 19:03:33 | 歴史から学ぶ
 古い時代のあるお客さんの資料を紐解いている。誇りまるけで雑然と置かれていた蔵の中から古い資料を取り出した。その資料をくるんであった新聞を見ると、昭和35年11月1日とある。わたしがこの世に生を受けたころのものである。それ以来一度も紐解かれた雰囲気はなく、半世紀近く経て資料は明るい世界に復活した。コピーなどというものがないから、カーボン紙を使って複写されたものであろう。今なら失敗をしても簡単にBSで修正するが、カーボン紙上に記録するともなればそれはならない。1枚の紙に鉛筆で書くのとも訳が違う。紐解いていくと、修正した部分は極めて少ない。そこに繰り広げられる文字の羅列、計算式、結果を見るにつけ、その時代の姿を思い起こさせる。当たり前と言われればそのとおりなのだろうが、几帳面な世界が綴られている。

 こんなことでもなければ古い時代の新聞記事に目を通すなどということはない。包んであった毎日新聞の一部分からその年11月1日を少し読んでみよう。「女の気持」というコラムがある。これは毎日投稿されるものを掲載しているのであろう。全国版の新聞の投稿欄に「農村」という言葉から始まる文はすぐに目がいった。タイトルは「零細農家の願い」というもので、コラム欄の見出しにあるように女性の意見てある。「所得倍増論もありがたいことですが、現下のように消費者物価が上げられていくこの事態を、どうにかならないものかと思います。一方では農業人口を減少して、よりよい農村の建設を目さしておりますが、これが単なる掛け声だけで終ってしまわないように念願しています。農業を営む私たちに夢を与えてほしいのです」と始まる。ここでよく理解できないのは、「農業人口を減少して」云々というところで、この時代の考えは農業者を減らすという政策だったのかというところである。すでに零細農家を減らし、大規模化という流れが農家に理解されていたのか、と考えると、少し今までのわたしの考えを修正しなくてはならない。昭和35年といういまだ開田を進めていた時代にそうした流れが意識としてあったとすれば、今の農業の実態はすでに戦後間もないころから始まっていたということになるだろうか。食糧難という時代を経て、10年そこそこで戦争の跡形を消すかのように農村に、そして全国土に広まったとすれば、この時代の人々のパワーは想定外としか今のわたしには思えないのである。どうすればこれほどの変化を伴う環境に順応できたのかということである。

 しかし、その一方でこの女性が語るように、零細農家への希望も与えてほしいという意識もあった。農村地帯は一時に荒れ狂うように変化を遂げていく。投稿には農村の景気のよいことを取り上げているマスコミに対して、「機械の導入、テレビの普及、台所改善、電化生活―などといっておりますものの、それは、まだまだ全農家のかずかに限られているのではないでしょうか。一町以下の百姓では暮らしていけないということが、このごろの農村の通りことばになっているようです」と、まだまだ安定しない生活を訴えている。一町いわゆる1ヘクタール以下の農家は農業では食べていけないと言っているわけで、この後しばらくは確かにそういうことを耳にしたものである。この場合の1ヘクタールとは水稲でいうものであって、今や数十ヘクタールなければ水稲では食べられないとも言われる。今の現状が解っていたら、この時代にほとんどの農家が農業を見捨てただろう。そしてこの投稿を読んで最も心打たれたのは、この投稿者の年齢である。埼玉県入間郡坂戸町の一農婦は21歳という若さである。おそらくまだ結婚前の方だったのだろうから、結婚までの一農婦だったのかもしれないが、すでに50年近く経ているこの女性は、ご健在なら70歳である。そう意識すると、もはやお年寄りのほとんどは、前近代の暮らしをしてきたのではなく、文化生活を十二分に経験してきた人たちなのである。古き時代の新聞の一切れから、こんなことを考えたしだいである。ちなみに東京のベッドタウンとしてこの地域は当時とは一変している。

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