Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

生きている限り・後編

2015-06-12 23:40:28 | ひとから学ぶ

生きている限り・前編より

 しばらく前に義父は肺炎を起した。やっとやっと食事をしていただけに、自宅では治療は無理だろうという判断で入院した。2週間ほどで退院できるだろう、と思って送ったものの、1ヶ月ほどになる。患者の家庭事情はさまざまでも、病院の対応は画一的といってもよい。それぞれの思いにそれぞれの対応をするのが不可能ななことは解るが、入院することで病というよりも命そのものが短縮されることを垣間見る。こうして父も同じ道を歩んだのでは、と。

 妻が「今年の夏は越せないかも」と口にした際に、「そんなに悪いのか」と思ったのは言うまでもない。しかしそれは「悪い」ではなく、食べられなくなったという事実が結果的に終末をうかがわせる言葉に代わるわけだ。いわゆる「延命」は食べられなくなったことによる栄養補給をどうするかによってくる。自宅で介護していた際には、自分でできることは自分で、と家族ができうる限り手をかけた。もちろんそのために家族が大変だったことはいうまでもない。入院後妻は「介護がないってこういうことなんだ」と実感を口にした。ようは施設に頼っている介護と、自宅介護の大差を表す。妻にも胃ろうに対する罪悪感のようなものがあったからだろうか、中心静脈栄養には入っても、胃ろうを造ることは否定的だった。かつてわたしが父の治療の選択時に思ったことと同じだったかもしれない。

 中心静脈栄養も延命的処置に変わりはない。しかし「胃ろうしてまで…」という思いがあるからそれは肯定される感がある。入院して自分で食べられなくなった義父は、このままではそう長くないということになる。妻はそういう予測を何度も口にした。意外だったのは、延命治療に対してそれほど考えていなかったことだ。しかし、より安全な処置はどんなものかと考えたとき、結果的に胃ろうがあっても良いだろうとという思いになってきている。ようはそれだけ家族は、すでに今まで家族でできることをできる限りしてきたのだから。その延長として、たとえ世の中で「悪」として捉えられている胃ろうが選択されたとしても、義父を支えてきた家族には許されて当然だろう、とわたしは思う。もちろん意思を確認すれば返答がある以上、胃ろうを選択する認識がなくても、それが家族の思う「生きている限り」だと思う。

終わり


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