Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

捨て紙

2022-10-13 23:08:13 | ひとから学ぶ

 わたしはガムなど口にしたことは、もう何十年もない。したがってまったく無知であったが、いまどきのガムには「捨て紙」というものがついているという。ガムを噛んだあと、そのガムを捨てるために使うのだという。いつからこうなったのかその歴史を紐解く。すると「ガムはいつから紙につつむようになった?」という質問がウェブ上にあり、その回答に次のような書き込みがされていた。

いつからかわかりませんが昭和36年ごろに「ガムは紙に包んで捨てましょう」という表示が始まったそうです。
ですからこの頃からですからですかね。
それ以前に昭和34年に20円板ガムの形態を決定づけたそうです。
この頃からすでに今みたいに紙に包まれていたのでしょうかね。

 実はこれはガムを包んでいる紙を対象にした回答であって、わたしがここで捉えている事例とは異なる。かつてガムと言えば一つずつ紙で包装されていたものがイメージされるが、今はボトルに入ったガムが人気で当たり前のようだ。すると紙に包んで捨てるということができないため、別に捨て紙を用意するようになったのだろう。包み紙にガムをくるんで捨てた記憶は子どものころある。かつてのガムと言えばそういうもの、とイメージしていたから現在の捨て紙は意外だった。そしてその捨て紙の代用に関するウェブページがたくさんネット上には繰り広げられている。

 この捨て紙の話を、お客さんの所を訪れていて聞いた。そこの事務員さん、付箋を買おうにも、上からいろいろろ言われるため、自費で購入しているという。そのうえで上に「付箋はないか」と言われることもあり、自費で購入した付箋をわたすことも度々あるという。近ごろ上が変わって、今度の上司は「付箋は買わなくても良い」というらしい。その理由は「捨て紙がたくさん余っているから」だそうだ。したがってますます事務員さん、「付箋など買うとは言えない」という。

 捨て紙といっても外見はまさに「付箋」。外見だけではない。紙面の片方に糊が付で束になっていて、付箋そのものだ。かつてガムを包んでいた紙は、自ずと捨てるはずだったから当たり前に使えただろうが(そのかわり捨てるまで包み紙を持っていなくてはならなかったが)、あえて立派な捨て紙が用意されていると、「使いづらい」という意識を持つ人もきっと大勢いるだろう。もちろん現代人にはあたりまえに捨て紙として使えるだろうが…。上司がたくさん「余っている」という背景にも、きっとそのような意識があるはずだ。おそらく捨てる際に付箋を使うのは「もったいない」と。

 ということで上が持ってきたという捨て紙を事務員さんに見せていただいたが、ガムをくるむには「ちょっと」と思うほど小さい印象。でもこれを利用して捨てる人がいるから付属しているのだろうから、それもまたイメージのつかない世界だった。おそらくガムに無縁の人たちには驚きの世界だとおもうのだが、まさか知らなかったのはわたしだけか…。


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