Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

「こんなこともあるんだ」

2017-08-08 23:50:14 | ひとから学ぶ

 「こんなこともあるんだ」、そう思った。会社帰りの道で、あっという間に前の車に近づいた。わたしとのかなりの速度差があると感じたのは言うまでもない。かなり手前でそれに気がついたから減速したわけだが、あっという間に近づいた前車の後ろに着くと速度にして50キロ弱、時には40キロを下回ることもある。前車前方に車が見えないから、追い抜きができるところに至ったら「抜こう」そう思った。そうはいっても追い越しが可能な場所は限られる。それまでは割り合い車間をとって、ゆっくりと前車の速度アップとダウンを想定しながらゆっくりと走った。こうした車にありがちなことは、上り坂では速度ダウン、下り坂では速度アップが起きる。追い越しが可能な場所は下り坂だった。数キロは前車との車間を十分に取って、速度の上下に惑わされることなく走っていたので、後続の車は「早く行け」とばかりにわたしに接近することも何度か。そして追い越しができるエリアに入ると、後続を引き連れている列から逃れるようにわたしは前車を追い越した。結果的にその原因車を追い越したのはわたしだけで、後続の車は対向車がやってきたため引き続いて原因車を追い越すことはできず、再び追い越し禁止エリアへ。夕方の比較的車の多い時間帯であったものの、冒頭で記したように「こんなこともあるんだ」という珍しい状況に。

 原因車は、結果的に追い越したわたしの車に次の信号機が赤になったため追いついた。青になると発進の遅い原因車との車間はずーっと開くのだが、再び信号でわたしが止まるたびにわたしに追いつく。これを繰り返すこと何度か。わたしが原因車を追い越してから5キロ以上の間、原因車を運転していた彼(男性であることはわかったし、高齢者マークは表示していなかったので年齢は分からないが、そこそこの年配の方だとは思う)とわたしの間に別の車が割り込むことなく(途中で間に入る車はあったが、すぐにそれらの車は横道へ右左折していった)、彼は信号待ちしているわたしの尻に追いついた。きっと彼はこう思っただろう、「そんなに急いでも差はないんだ」と。遅い車に着いて、その前にも車列が繋がつていると、わたしはこのように「抜こう」などと考えることなく、むしろ車間を取ってわたしの後続の車にいらだちを起こさせるほど前車と車間をとることもよくある。しかし、信号機に近づくと赤か、あるいは青か、そして歩行者用の信号機が点滅を始めているか、という状況を見て前車との車間は調整している。ようは、あまり前車との車間を取りすぎることによって、わたしだけ黄色になる前に信号機をパスして、後続の車を足止めしてしまわないように、と。

 まさに今日、原因車は、時にはわたしと数百メートル車間が開いても信号待ちしているわたしに追いついた。しかし、わたしが青で通過した交差点にしばらく後に入った原因車は、黄色になりかけた信号機をパスしたものの、その後続車は赤によって停止した。その後ろには何台もの車を従えて。彼にしてみれば「そんなに急いでも差はないんだ」と思ったかもしれないが、明らかに彼1台の後ろにいた車とわたしが、その後目に見えるエリア内に接近することはなかった。もちろん時間にしては数分の違いではあるが、彼によって創り出された渋滞は、先頭にいた彼だけは無関係な渋滞であった、ということ。「こんなこともあるんだ」という希なケースだが、自分だけの世界で運転する「人」をわたしは好まない。


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