Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

生きている限り・前編

2015-06-08 23:27:34 | つぶやき

 「胃ろうしてまで生きたくない」、今もって多くの賛同を得る言葉かもしれない。延命治療に対しては「悪」とまで断言されるほど、今の医療環境は変転してきている。介護にかかわって医療現場での過度の延命に対して否定的な流れがあることは以前にも触れた。そんななか、知人から実母のことを例に「今鼻腔栄養で、様子を見てます。これでうまくゆかなければ、中心静脈栄養を行ってもらいます。デイサービスやショートステイで受け入れてくれる施設はないと、おどされています。これは延命だと、何か反社会的であるかの様に言われてます。でも話かければ、ちゃんと反応がある親の栄養補給をやめるつもりはありません。苦痛を伴う人工呼吸はともかく、それ以外の方法でしっかり「延命」させてもらうつもりです。病院や施設のスタッフには、大勢の患者の一人でしかないかも知れないけど、私には唯一の親なので。」というご意見をいただいた。義父はずっと自宅で娘や息子の世話になって介護を受けてきた。年齢が年齢だからといって、少しでも気を緩めると身体が弱ってしまうと、できる限り自分で食べ、自分でトイレに立つように心がけた。もちろん周囲が大変であったことは言うまでもない。世間のふつうの家族だったら、とっくに命は絶たれていたかもしれないが、家族の思いによって努力は続いた。今の世論ならそれも「延命」だといわれるのかもしれない。しかし、だからといって「さっさと死ねるように」お国から引導を渡されるのはどんなものか。このところの医療環境の変化は、まさにそんな感じだ。もちろん行く末の国の姿を憂いてのものかもしれないが、延命がそれほどに悪者にされるのは、そもそもこの国の家族の変化からくるものではないだろうか。

 父が亡くなってもう3年を過ぎた。病を持ってはいたが、自ら歩いて病院に行って、数ヵ月後に父は逝った。意外であったのは言うまでもない。病院に行ったら「良くなる」と思っていたのに、まったくそれは違った。それ相応の状況が重なっていたとは思うが、すでに80歳を過ぎている者に対しての治療は、積極的ではないと思えて仕方なかった。どうも今はそれがさらに加速しているようだ。あの時、父に対してもその措置に対して家族の判断が持ちかけられた。わたしは家を継いでいる身分ではなかったので、兄の言う雰囲気にこころは流れ、頷くだけが役割だった。何より父と義姉と対立的なことがあって義姉の気分を害してはという気遣いもあった。とはいえ病院のベッドに横たわる父から妙な言葉を聞いて、耳を疑った。父にとって義姉とのそれまでの関わりからくるものなのだろう、痴呆もなく意識ははっきりしていたのに、義姉の顔を見ても誰だか解らなかったのだ。あえて「胃ろう」までしてという気持ちを持てなかったのは、もし退院しても誰が面倒を見ていくのか、というところで躓くのが解っていたからだ。かつてとはまったく違う家族の様相である。今や嫁が舅や姑の世話をする時代ではなくなったのだ。いや、実父母であっても、世話をしない時代に入った。すべての環境を見渡せば、お国の「さっさと死ねるように」という計らいを誰も否定しないだろう。故の、延命=「悪」の公式なのだ。

続く


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