Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

盆を送る

2009-08-18 12:41:09 | つぶやき
 盆月と言われる8月。盆月に亡くなってもその年のうちに新盆の法要を行う家も目立つようになった。新盆見舞いに訪れたが「うちは来年です」などと言われたという例も耳にするようになった。「あそこは今年新盆だろうか」といって悩むこともある。新盆見舞いの風習はけっこう継続されている風習の一つである。葬儀も身内だけということも多くなった最近の死者とのかかわり。地方の新盆見舞いの姿を見ていると、地方にあってはまだまだ身内だけで葬儀を済ませるなどということは稀なことだろうとうかがえる。

 8月に入るとローカルな無料配布されているような新聞に「盆」の特集が組まれることが多い。「週間いいだ」においても「お盆の迎え方」という記事が8/9付けのものに掲載された。盆飾りもままならなくなりつつある中で、こうしたマニュアル的なものが目立つようになってきている。盆だけではなく、葬儀のこと、正月のことなどかつての風習にかかわるものが多く取り上げられている。ただしあくまでもその地方の共通的な部分であって、どこも同じ方法というわけではないことは誰しも認識しているが、簡略化されるさまざまな行事にあっては、マニュアル化されたものにしだいに統一されていってしまうのだろう。その原点を担うのが葬儀や盆に関わる部分ではいわゆる葬祭センターのようなところである。解らないことがあれば葬祭センターで基本的なことは教えてくれる。言い伝えを気にせずとも、そこそこのことはできるというわけだ。

 同記事によれば飯伊地区の一般的な新盆の進め方というものが紹介されている。8月1日には家紋入り盆ちょうちんを玄関先に飾る。8月10日ころまでに新盆の祭壇を飾り、仏壇や墓のそうじも済ませる。そして8月13日に迎え火をたくのはよく知られたことで、「隣組合や近い親族が集まり新盆法宴」がされるとある。13日から15日にかけて新盆見舞いに訪れるわけである。新盆の家でちょうちんを出すのがいつなのかというところは地域や家によって異なる。近所でも7月のうちからちょうちんを掛ける家も見た。また隣組や近親の者が寄って新盆の法要をするのも13日に限ったことではなく14日であったりすることもある。近親は13日、そうでない人たちは14日などという言われ方はよくするが、お寺の都合もあって必ずしも日は定まらない。場所によっては新盆でなくとも盆に必ず檀那寺で経をあげに来るところもある。

 新盆見舞いに訪れたときの口上「お新盆でおさみしゅうございます」というのはこの地域の定番である。同じことはわたしの生家でも教わった。しかし最近の口上からは「おさみしゅう」という文句はあまり聞かれなくなった。寂しいという意味にあたるが方言と捉えられるとなかなか口にし難いのが事実。若い人たちから聞くことはない。

 さて記事には盆棚の飾り方が表わされているが、竹が四方に立てられ祭場のように描かれているのには違和感を覚える。表わされた図もそうであるが、最近は盆ごさを畳の上に垂らしている姿を見ない。生家は下伊那ではないが、ござを伝って仏様がやってくるといって畳に垂らしたものだ。その生家でも最近は盆だといって盆棚を作らない。わざわざ別の場所に作るという面倒なことをしないのである。仏壇にそのままござだけは敷いて、盆棚風にはするが、仏壇だから裾を畳に垂らすなんていうこともできない。たった3日ほどのために手をかける時代ではなくなってしまったということだろけうか。ごく普通に行なわれていた年中行事の衰退は、農家でも著しく進んでいる。

コメント    この記事についてブログを書く
« 結局、小さな犬止まり | トップ | 盆を思う① »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

つぶやき」カテゴリの最新記事