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農業用水の考え方⑨

2010-07-28 20:26:29 | 農村環境

農業用水の考え方⑧より

 代掻き時の減水深は湛水させるのに必要な水量だから必要水深以上の水が必要なことはよくわかる。いっぽうその後の養い期間における用水量は同じ減水深でも補給的なものだから日常の管理によって補給の仕方は異なってくる。専門用語では代掻きに対して普通期といわれる期間の用水量は、一般的に代掻き時期の減水深に対して2割程度に落ちる。この期間の用水量について『土地改良事業計画設計基準 農業用水(田)』においては「期別蒸発散浸透量と栽培管理用水量の和」と規定している。浸透量については代掻きの際にも述べたように土壌条件によって異なってくる。いっぽう栽培管理用水量は「ほ場条件や栽培様式だけでなく、用排水施設及びその管理方式、水源状況など、様々な要因によって変化する」と言っているが、実際必要量が大きくなるのは栽培管理によるだろう。よく「中ぼし」と言われる時期がある。収穫間際まで同じ水位で管理するわけではなく、乾かす時期もある。みなが皆同じ時期に中ぼしし、同じ時期に湛水すれば代掻きの際と同様に必要水量が集中することが考えられる。

 こうした普通期の減水深は、まさに字のごとく1日に減水した水深をもって減水深として捉えている。ようは湛水する際の減水深を拾い上げて減水深とするわけでもなく、現実的にはその栽培管理によって減水深は多様であるといってよい。ところが用水量を算定する際に測る減水深は基本的には通常管理の減水深に限られている。また降雨があれば減水どころか水深が上昇することもあるわけで、これまで詳細に捉えても結局計算方式にも矛盾があって、基礎データを集め算定することそのものが趣味的範囲であるとわたしは思う。すでに過去から限られてきた用水権量が栽培方式が変わったといって容易に変動可能ではない以上、現在の水利権水量の根本はほとんど作られたものといっても良いかもしれない。

 時代は草刈りすらろくにしない時代になった。道路に流れ出す漏水とも溢水とも思われる水に対して、管理者に苦情がくることも頻繁だという。ようは無駄な水がずいぶんとちまたに流れているといっても良いかもしれない。だからといって水を減らしてしまうというわけにもいかないわけだし、荒れた水田、転用された水田、そして集落営農のように担い手に渡された水田と、どう転んでも用水はその時々によってバランスを保っている、ようは来るだけしか使える量はない、といった受動的な水田耕作が長年行われているといえよう。

終わり


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