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伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

農業用水の考え方⑧

2010-07-24 20:09:14 | 農村環境

農業用水の考え方⑦より

 農業用水の考え方④で少しこの言葉を使ったが農業用水は「反復利用」されている。妻の実家のため池の項でも述べたように、ため池の水を利用している人たちは直接的な水源はあるものの、ため池直下の人たちは水源らしい水源は認められない。にもかかわらず耕作ができるのは、湧水に頼っているからだ。しかし湧水は涸れることもあるわけで、安定的水源とは言いにくい。しかし実際はそうした水しか期待できない水田が、延々と耕作を続けてきているわけで、そこには湧水ばかりではなく漏水も加わっていることだろう。当然のこと水は低い方に流れていくもので、浸透した水もいずれどこかで湧き出すことになる。矢野隆氏は戦後の昭和23年に発行された「伊那盆地北部に於ける段丘上の灌漑」(信濃郷土科学研究会『研究報告』第1集)において、西天竜からの浸透水が第二段丘面の古田に湧出したり、湧水の増加に伴って山葵の栽培面積が拡張したことについて既に触れている。今まで水田ではなかった土地に水が潤い始めたことによって、その浸透水が下段域に影響を与え、人々はそれを利用しているのである。

 反復利用は利用した水田で再び使うというわけにはいかない。そうするには揚水する以外にはなく、自然的な利用ではない。しかし、大きな区域としてそれを見れば、例えばどの水田でも漏水が一定量あれば、段々に下へ向かって漏水した水を利用することになる。漏水ではなくとも必要量に達した水田から溢れ出た水は、下流域で利用されることになるわけで、必ずしもロスがすべてロスとはならないのである。ところが近年の混住化といった農村環境は、反復利用を最大限利用できないこともある。ようは漏水した水が改廃された土地に湧出すれば悪水扱いであって、利用価値はなくなる。むしろ苦情すら発せられることだろう。さらにほ場整備の多くは用水路と排水路の分離を行った。もちろん畑地化するにはドライな水はけの良い土地が望まれるためで、土地利用価値を上げるには水稲のことばかり考えてはおられなかったというわけである。必ずしも分離されたことで反復利用ができなくなるわけではなく、再び下流域で用水として利用されれば目的は達したことになる。ところが山間地域の多い長野県では用水路と排水路の分離によって反復利用に関してはマイナス効果が高かったといっても良い(実際は排水路に落とした水はそのまま河川に流れていってしまうというケースが多い。河川に流出すればいずれ再び河川から取水する人たちのためになるということも言えるが、反復利用できないだけにその用水路を利用している実態から見れば、水が減ったと思っても不思議ではない)。逆に言うと、かつて人命にも関わる水争いをした記憶があるにも関わらず、この地域は山間というだけに水は豊富な方だったとも言えるだろう。確かに苦労して山間を等高線に沿って導水しているあまたの水路が今も利用されているが、水源については比較的恵まれていたということは言えるのだろう。

続く


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