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伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

富士見町の道祖神①

2020-01-15 23:43:30 | 民俗学

 仕事で富士見町を訪れた。これから2月にかけて、10日以上は仕事で訪れる予定だ。富士見町には、その時々縁がある。コケリンドウを発見したのも仕事で富士見町を訪れていた時のこと。立場川近くの公園で昼をとった際にそれを見つけたのは、2010年のこと、もう10年も前のことだ。その後も出先が変わった飯田に席を置いていた時も、富士見町に手伝いで仕事に出向いた。「稗捨場」はその際に記したものだ。今回もその立場川周辺が目指す場所。

 富士見町には、一昨年刊行した『長野県道祖神碑一覧』によると、158基の道祖神がある。というものの、そもそもこの一覧をまとめる際にちゃんと統一しなかったせいもあるが、例えば石祠と言われる形態の道祖神を1基と数えた上に、石祠内に内包されている双体像も1基と数えており、外観上も、あるいは祭祀上も1基と捉えられる道祖神を、一覧では2基と数えている矛盾が存在している。石祠型の道祖神は、長野県内に数多いが、石像を内包している石祠を、このように数えると統一したわけではなく、担当者の考えに任された部分である。したがって158基とはいえ、祭祀上は石祠が富士見町内に60基もあることから、備考欄にコメントされている「祠内に下欄の双体像を祀る」を除くと119基となる。ようは39基減ることから、60基中39基に双体像が内包されていることとなる。

 そこで富士見町の道祖神種別についてグラフにしてみた(左側)。繰り返すがここの双体像には、石祠内に内包されているものを含んでいる。これを前述したように「祠内に下欄の双体像を祀る」を除くと右側のようになる。ようは富士見町ては石祠型の道祖神が最も多いというわけだ。さらに造立年が銘文として残されているものからその年代別を示したものがさらに下に示したグラフである。石祠型の道祖神に古いものがあるが、双体像のあとに石祠型の道祖神造立が増えていることから、一概にどちらが先行したかはここからは言い切れないだろう。

 

 

 さて、石祠型の道祖神の多い富士見町。わたしが仕事で訪れている現場でも、道祖神をあちこちで確認できる。そんな道祖神を見てみよう。まず乙事中林のもの。今日は積雪があったため、わかりづらいが、石祠の横に双体像も祀られている。どちらにも年銘はなく、造立年は不詳。双体像の方は、かなり風化していて像容ははっきりしない。石祠内に内包されている双体像は、向かって左側が女神、右側が男神と思われる。男神は女神の左腕を右手で握っているようだ。

乙事中林の道祖神

 

続く


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