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伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

昭和58年9月29日、飯山市常盤の千曲川決壊

2018-06-26 23:29:13 | 歴史から学ぶ

 以前「昭和58年台風10号」について触れた。長野県内中で大きな災害が発生した例としては、最も現代人に記憶として残っている台風だと思う。

 

背後は高社山

 

 先日「ネガフイルムの劣化」について触れたところだが、この石仏がある飯山市福島地積の千曲川を挟んだ対岸に飯山市常盤がある。この常盤で千曲川の堤防が決壊して、広範に浸水被害を起こしたのが昭和58年の台風10号である。「昭和58年台風10号・後編」に掲載した新聞記事の見出し「またか!飯山 泥の海」は、前年にも常盤の対岸の飯山市木島で支流樽川の堤防が決壊し、大きな水害を被っていたからだ。同時期にわたしは飯山に暮らしていたことは以前にも触れた通りだ。飯山市福島の万仏山の石仏のネガを探していたら、この際の災害のネガにありついた。昭和58年9月30日の朝撮影したものだ。フイルムの劣化が著しく、傷が目立つ。同じころの自らの記録がないかと探してみたら、意外に簡単に見つかった。台風10号がまだ到来していない9月28日(水曜日)午前1時ころ次のように記している。

台風がやってくれば雨も降る。
だいぶ秋雨前線がやってきて降っている。
このところまともな天気の日はない。
仕事も忙しくなってゆくが、いろいろやりたいことも増える。木曽での「宿」の会合には、ぜひ出たいと思う。いろいろな人と会ってみたい。
そして金子さんに会えることも、期待している。いろいろな人との出会いが、この秋にやってきそう。

 雨の様子を危惧しているようだが、この後予定していた人との出会いに期待していた様子がうかがえる。「宿」とは文芸の同好会の発行していた冊子のこと。「金子」さんとは、かつて記したことがあるが、山梨県警の警察幹部の方だった。結果的にこの災害が影響したのか、「宿」の集まりには参加していない。

 また「飯山の水害」と題した10月4日の午前1時ころの日記には次のようにある。

 朝、補佐に起こされた。
 前日の28日、県内は台風10号崩れの温低のため、雨が降り続いた。ニュースを見るたびに、飯島の雨量の多さに、次第に心配になりもした。28日、すでに影響が出始めていた。
 29日、もう青空が出ていたが、起こされたとき、市内は賑やかであった。広報車が千曲川の水位を報じまわっていた。補佐は皿川の水が市街へ流れ込むかもしれないと竹田さんから電話があって、所長が事務所に行ったということで、これから補佐も事務所へ行くという。午前6時半のことであった。それからわたしも支度してテレビにかじりついた。午前7時半前、SBCテレビに「常盤の堤防決壊」と表示された。深刻さに気づかされた。まもなく、「天竜川中川村飯沼の堤防決壊」という報道もあった。「伊那谷も荒れている」、そう思った。

(中略)

 昼過ぎ、補佐、竹田さん、畔上さんと車で様子を見に出た。飯山国際の所から見たとき、木島には入っていないと分かった。その後小塩のスキー場の頭まで行ってみた。同じように様子をうかがいに来ている人がいた。水は外様の方へ流れ込んでいて、決壊箇所は明らかに3箇所見えた。右岸の柏尾の方へも入っていた。山を下り、外様の方へ行くと、決壊した水がすぐそこまで来ている隣の田で、急いで稲を片付けている人たちもいた。長峰丘陵の上で気づいたことは、国道117号の上、2メートルほど浸水しているのがわかった。

 このスキー場で撮影した写真が、これらの写真である。

 

信濃毎日新聞 昭和58年9月29日朝刊

 

 新聞記事は9月29日朝刊のもの。県内での災害の状況を伝えているが、もちろん堤防が決壊したのはこの新聞が配達されたころのこと。天候も回復し、県内の災害の状況もおおよそ判明したころに、飯山市常盤の千曲川は決壊したのである。

 


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1 コメント

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Notitle (あしたのジョーラーメンまん南棟)
2020-10-13 17:10:17
高1と高2陸上競技部夏合宿で来ました。昨年度と同様の被害だったと思います
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