Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

終末は土曜か日曜か

2007-02-23 08:14:51 | つぶやき
 わたしは一週間の始まりは、日曜日だと思っている。おそらくそれは正しいと思うのだが、このごろはそれがよく解らなくなってきている。常に持ち歩いている小さなノートは、その日の予定や、あったことを書き入れている。もっといえば日記のようなものも兼用しているのだが、あったことが記録されているだけだから、内容は薄い。そのノートの見開きは、月曜日から始まり、日曜日に終わる。毎日そんな場面を開いていると、しだいに一週間は月曜日に始まるものだと思い込んでしまう。

 ところがそのノートにあるカレンダーを開くと、一週間は日曜日に始まっている。始まっているといってもカレンダーの最も左端にある曜日をもって始まりと認識しているだけで、本当はそれが始まりだと意識してこのカレンダーが作られているかは定かではない。自分の記憶も曖昧になって、いくつもカレンダーを注視してみると、最左端が月曜日のカレンダーもけっこうある。注視するまでは最左端は日曜日と思い込んでいた。昔はどうだっただろうと記憶をひも解いてみるが、わたしの記憶は正しいと思う。土日が休日という今の平均的勤労の実態からしてみれば、月曜日が始まりであるに違いない。しかし、昔からカレンダーを見ては最左端に日曜日があることから、それが週の始まりだと意識していた。

 しかしである。終末という言い方はあきらかに週の終わりを意味する。土日が最右端に並んでいると、まさに終末である。ニュースでの週を現す言葉を、いろいろ聞いてみても月曜日が週はじめとされている向きがある。とすれば一週間は月曜日から日曜日をワンサイクルとしているのだろうか。
 
 さて、われわれは土日が休日だから、月曜日が頭にあるノートがちょうど良い。ところが、みんながみんな土日が休日とは限らない。月曜休業もあれば水曜の休業の人たちもいるだろう。そん人たちはカレンダーやカレンダー式のノートなんかをどう利用しているのだろう。当たり前のように世の中の常識の世界にいたから、何も疑問にも思ってこなかったが、あらためてカレンダーの曜日配置の違いを知ってそんなことを思っている。ついでになぜ日曜日は赤い字で書かれるのだろう。これに関しては、どこのカレンダーも変わらない。「日」が太陽を思わせるから「赤」なんだろうか。

 このごろは日めくりなんていうのは少なくなったが、子どものころにはカレンダーなんていうものはそれほど農家にはなかった。むしろ日めくりが当たり前のようにあって、それをめくるのは子どもや年寄りの仕事だった。必ず暦としてさまざまなことがそこに書かれていて、旧暦のいつなのかもすぐにわかった。しだいにカレンダーが一般的になっていった。当初はカレンダーにも旧暦や十干十二支など書かれたものが多かったが、このごろのカレンダーは何も書かれていないものも多い。これほどコンピューターが当たりまえで、常に画面が開かれている時代なのに、カレンダーだけは昔と変わらず必需品だ。変わらない小物のひとつかもしれない。

コメント    この記事についてブログを書く
« 貧乏暇なし | トップ | 事故に遭う »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

つぶやき」カテゴリの最新記事