Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

事故に遭う

2007-02-24 11:03:04 | つぶやき
 何度も高速道路での危なさや、運転での対外者とのやりとりに触れてきたが、昨日はそんな事故になっても仕方ない状況に、1日で2度経験することになった。どちらも急ブレーキを踏み込んで回避しようとしたわけだが、一度目は見事に事故とあいなった。けして安全運転をしていても事故は起きるものだから、100パーセント事故に遭わないとなれば運転を回避する以外にはない。

 仕事で現場へ向う途中、県道から村道へ分岐してすぐのカーブでその1度目の急ブレーキを踏むことになる。小雨が降って路面が濡れていた状況のなかで、左カーブへ入った際に事故となった。普通ならカーブは直線部より広くなっているものだろうが、そのカーブの部分だけが、その周辺では狭い。普通ではないといえばそんな事故を呼ぶ環境と想定だきるから、本来ならもっと減速しなくてはならないのだろうが、何度も通っているその道で、対向車に遭ったのは昨日が始めてであった。そんな今までの経験からくる思い込みというものが自分にもあったことは確かで、〝なぜ〟と思う対向車の動きを責める以上にそうした自戒も必要なのだろう。その対向車を確認した際に最初に思ったのは、「右側へ膨らんで走っている」という印象で、対向車はS字に近いカーブを通過して、最後のカーブに入ってきたわけだ。だから、どうしても道路の真ん中よりに入ってくる。気がついて左にハンドルを切るだろうと一瞬は思ったが、こちらに向って走ってくる。一瞬のわたしの「ハンドルを切るだろう」という判断が、ブレーキを踏むほんの少しの遅れを生んだ。最初に車を確認したときに、こちらに向ってくると判断してブレーキを踏み込んでいれば、もしかしたら寸前で停止できたのかもしれないが、いずれにしても100パーセント停止できたともいえない。なぜこちらに向って走ってくるのだろう、という印象は、衝突後に運転手に掛けたわたしの言葉からも伺える。「余所見をしていたんですか」が第一声だった。なかなか車から出てこなかった対向車の方は、おそらく動転していたのかもしれない。中年の女性であった。衝突したところで止まったものの、どちらも少し動いてから止まった。他の車の通行に支障があるため、わたしは少し車を移動して停め、相手は最初に停まった場所にそのまま車を置いた。それほど移動していないその車の停止位置を見ても、どこが衝突地点なのかは明確には解らなかったが、自らの軌道を想定しても、ブレーキ後に滑っていて衝突した時点ではどちらも道路の真ん中にいたのかもしれない。センターラインはなく、一見すれ違いはできないカーブなのかと思うが、その後現場の帰りに、相手と同じ軌道でこの道を会社に戻ったが、すれ違いのできない道幅ではない。

 保険のこともあって派出所に出向いて事故証明をだしてもらうよう手続きをとったが、警察が言うように、法規を守っていれば事故の起きるはずはないのだ。見通しが悪いから徐行運転は法規上は常識だ。とすれば、わたしのスピードは県道から分岐したあとだから減速はしていたが、やや下り坂という状況で徐行ではなかった。相手側は左側走行ではなかった。相手の方も毎日のように通っている道だから、よく知っている道、こちらも頻繁に訪れていた現場だからほとんど頭の中でイメージできる道、そんなお互いがわが家の庭のように知っている場所だからこそ、事故は想定外だったわけだが、それが落とし穴だったわけだ。

 このケースにはもうひとつ事故が起こるべくして起きた環境があった。相手側の車は左ハンドルであった。異常に衝突間際まで相手側の反応が鈍い、と感じた原点に左ハンドルという相手側の運転ポジションがある。右側にポジションがあれば、もっと相手側は左にハンドルをきったはずだ。わたしの方は、左に切ろうとしても擁壁があって切れなかった。いや、左カーブで下りともなると、なかなか切ろうとしても切れなかったかもしれない。なんともいえないが、右ハンドルであったなら、もっとその危機感を、相手は察知していたはずだ。

 年度末へ向って忙しくさまざまなことが頭の中にめぐる。それは仕事だけではなく自らの生活にかかわる部分でもせわしい。2度めの経験は、そんななかで自宅に帰る高速道路で起きた。もちろん夜間だから車間の感覚は通常よりは把握し難い。この日はふだんとは少し雰囲気が違う。昼間の事故のこともあって、帰宅の時間が少し遅かった。午後8時代ともなると、通勤時間帯にくらべれば若干通行量が減る。しかしその分追越していく車のスピードは速い。追越車線に入ると、そんな雰囲気も手伝って、知らず知らずに140キロくらい出ている。ふだんならもっとスピード感が認識できるのに、この日はそれがない。眠気はないが、スピード感がとれないほど、悩みなのか疲れなのかわからないが溜まっている。追い越していく車をやり過ごして、追い越し車線に入りしばらく走っていると、急に大型車が追越車線に入った。スピード感がとれていないから、急に入ったがそこそこスピードが出ているものと思い込んでしまった。ブレーキを踏むという意識がそのとき生まれなかった。ところがその大型車、おそらく80キロ以下で追越車線に出た。そのあたりから登りに入るということで、ブレーキを踏んでいるわけではないが、まるで急停止したように大型車はわたしに接近した。まさに〝ぶつかる〟というのがわたしの印象だった。後ろとの車間はそこそこあったので追越車線で急ブレーキを踏んでも大丈夫という判断は咄嗟にしたが、停まれる自信はまったくなかった。この場合同じ方向に向かってそこそこの速度で走っているから、意外にも〝ぶつかる〟と思ってもぶつからないものだ。停止はしなかったが、ブレーキ痕がのこるほどの減速でなんとか回避していた。〝ぶつかる〟という経験は何度もあるが、〝もうだめだ〟というほどの経験はそう何度もない。それを1日に2度経験してしまったことに、運転というものも精神的な部分があることを認識するわけだ。

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