Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

道端の家

2007-01-04 09:45:24 | ひとから学ぶ
 12/29発行の月刊「かみいな」という新聞の投稿欄に、次のようなものがあった。

 私の家は国道153号線沿いです。今道路の表面をけずっていて、マンホールが飛び出た状態です。新しく舗装し直すのでしょうか。車が通るたびに震度3~4くらいの揺れに悩まされています。何しろ築60数年の古ーい家なのです。息子じゃないですが、〝ウチを壊す気か〟と叫んでいます。早くどうにかしてください。

 という辰野町の方のものである。この投稿に目がいったのは、国道153号を頻繁に通っているということもあったからだ。気になるのは、「舗装をし直すのでしょうか」というところで、道路沿線に住んでおられるのに、何の工事をしているか認識されていない人がいる。いまの時代だから、工事をするとなれば周辺住民への説明はされている。にもかかわらずこうした投稿があるというところに、①説明がされていないのか、②家族の誰かは知っているが、他の者には伝えてないのか、③知ってはいるが苦情をなかなか言えないという、内面の言葉なのか、などと考えてしまうわけだ。

 わたしの実家の近くの国道153号線でもバイパスができるといって、周辺の住宅が何件も移転して、風景が変わっている。「こんなに広く用地が必要なんだ」などと思うほど、予想以上の幅が確保されている。そこにあった家は、近くに立派な姿を見せている。このごろの道路建設に伴う移転ともなると、たいがいの家は立派になる。「たくさん補償をもらって・・・」などと妬まれないともかぎらないほどに、立派になるから、ちょっと違和感すらある。

 たびたび通る信州新町の国道19号線沿いに、道からすぐのところに家が建ち、玄関先がすぐ国道、なんていう家並みも時にはある。現代の道路拡幅と、かつての道路拡幅をくらべれば、明らかに環境に差がある。簡単にいえば「補償の差」ということになるのだろうが、かつては、道路を広げるにも、必要最小限の用地補償に限られたのか、道の際に家がそのまま残っているケースはよく見られる。いや、よく見られるというよりも、ほとんどがそういう環境にある。拡幅に伴って大きく空間をとるような拡幅改良が行なわれるようになったのは、地方ではそう昔のことではない。自動車を一人1台持つような時代を想定していなかったのかもしれないが、これほど自動車が多くなれば、沿線に住む人には、その影響は大きい。とくに道端に玄関先を持っている人にはたまらないわけだ。今でこそ冬タイヤはスタッドレスになったが、スパイク時代にはホコリや泥で大変だったのだろう。その割にはそんなことを大きな声で騒ぐ人は、そういなかったように思う。そうした人たちの苦痛の上に、他人は道を往来していたわけだ。

 そう考えれば、現在のように大きく空間をとって家々を移転させてゆく方法は、後々には問題もなくベストと言えるのだろうが、では、かつてその空間を提供した人たちは、一生その苦痛を背に生きてゆかなくてはならないのか、とそんなことを思ったりするわけだ。ことにその大きな補償の差に、そうしなくては移転の同意が得られない、というカードが見え隠れしていて、この世の中は、結局は銭勘定のなにものでもない、ということを強く感じるわけだ。そう言う意味では、そうした環境にある人たちを救う意味で、新規のバイパスというものは意味あるものなのかも知れないが、といってもすべての人たちが解消されることはまずない。道が通ることで立派になった家を見るほどに、妬みがそこに生まれても何も不思議ではない、と思うとともに、地域社会はそんな点からもほころんでいるんだと気がつく。環境影響調査のようなものも行なわれている事業もあるようだが、果たして人々の暮らしに影響する〝こころ〟の問題を視点として持ち合わせているかは疑問である。確かに貴重動植物を残すことも意図はわかるが、人よりも動植物の方が大事だ、なんていう動きがあることが残念でならない。

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