Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

(偽善)

2018-08-27 23:43:41 | つぶやき

 報道に限らず、テレビなどで垂れ流される情報に、大いに疑問を抱くことは多い。とりわけ災害や、大きな事件報道は、世の中の話題を誘うし、それをネタにしてワイドショーは繰り返し、そしてあちらも、こちらも、という具合に同じような内容を取り上げる。そして、コメンテーターと言われるレギュラー、ゲスト、構わず自由に発言するが、国の施策とまったくことなったことを口にし、国民に間違った印象を与えることも少なくない。

 たとえば西日本の災害をテーマにしたとき、小規模農家への支援を、とコメンテーターが訴えるが、ちまたではそこだけで米作りをしているような零細農家は、なくしても良い、というのが国策だ。もちろん災害に対しては今ところ、平等に復旧対策が行われている。したがって復旧に対する支援は当然実施されるが、災害でもなければ、零細農業は終焉の道を歩むのみだ。

 そんな国民に垂れ流される情報の違和感を書こうとしていたら、本日発売の「週間ポスト」(2018 9/7号)に、まさに同じようなことが掲載された。週刊誌であるから、内容はそれほどあるとは思えないが、そもそも「テレビを薄っぺらくする「偽善コメンテーター」」というタイトルからして、主旨はコメンテーター叩きであって、具体的にどういう発言に問題があるといったことは詳述されていない。うすっぺらな番組でも、それをもって番組を構成しなければならない制作側の苦労もあるのだろう。そもそも民放は営利目的だから、すべてにおいて自由というわけにはいかない。偽善コメンテーターという言葉があるとするならば、「偽善テレビ」という言葉も成り立つだろう。テレビで流されるものすべてに対して、これを「報道」と称して良いものか、とも言えるかもしれない。がしかし、それはテレビだけではない。すべてにおいて、「偽善」ばかり告知しているような気がしてならない。

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