Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

矛盾の風景

2008-06-30 12:21:33 | つぶやき
 ホームに電車が入ってくる。まばらな客であるが、今日はやけに客が少ない。そんな印象が頭の中をよぎるとともに、視線を変えると、駅前からバスが旅だって行く。まだ乗客は改札口にさしかかったというのに、バスは駅を遠ざかってゆくのである。

 そんな風景を見たのは、その時間帯だけではない。朝の混雑時、なかなか通り抜けられない改札をすり抜け、駅前の開放感を感じたころに、すでにバスが駅前の信号機に向かって進んでいる。もちろんそのバスに、改札を通り過ぎた人々が乗り込むことは不可能である。ふと時計を確認するが、確かに朝方の混雑のせいで、2、3分定刻よりは遅れている。とはいえ、駅から現れてくる顔は1日中で最も多い。人を乗せて動く空間は、駅から解放された客を相手にしていない。では、なぜ駅にバスは停車しているのか、とそんな不思議な問いをしたくなる。

 到着した電車をよそに尻を向けて走り去るバスを、誰も不思議がることもない。ごくふつうの毎日の風景。あまりに乖離した空間は、どちらも「関係ない」とばかりに自由に行動する。ガラガラのバスの空間を見るにつけ、「あなたは人が嫌いなの」と問う。頷きはしないが、見せるは尻ばかり。ガラガラの方が軽くて走りやすい、などとバスは思っているのか、それとも早く定年を迎えたいと思っているのか、ピカピカな車体をゆする。

 この不思議な毎日は、なぜ繰り返される、などと思ってもわたしには関係ないことである。そのバスに乗ることは、一生ないと思う。しかし、そんな風景を毎日見ていると、いったいここに同じ空気を吸っている人たちには、あのバスは不要物なのだろうか。もちろん毎日のできごとだから、誰もそのバスに乗ろうとはしないだろう。不可能だから。できもしない乗り継ぎをしようとすることの方がバカげた話だ。

 逃げるように去るバス。何事もなかったように駅を出てくる人々。矛盾の風景が、今日も始まる。誰がために、今日は始まるのだと、誰も思いもせずに・・・。

 こんな風景を違う場面でも見る。そしてどこの場面にも矛盾の風景を当てはめたくなる。空気は水と油のごとく別の世界に分かれ、共有されはしない。賑わうマチにあって、会話を交わさない若者のように。そして自らそんな矛盾に気がつかない世界を彷徨う。自らも気がつかない方が幸せ?、などと思いながらも無口な自分が遠くに去ってゆく。なんだ、お前も一人前になったじゃないか、と人は言うかもしれない。やけに風を冷たく感じながらも、雑踏に消えてゆく風景である。
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